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♪愛のゆくえ 1974.04
作詞:荒木とよひさ 作曲:加瀬邦彦 編曲:宮川 泰
演奏:オールスターズ・レオン
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★★ | ★★★* | ★★★★ | ★★★★* |
歌詞というものの良さを殆ど理解出来ない人間なので、作曲、編曲、演奏という面を
どうしても評価対象にしてしまいがちな私ですが、その点ではかなり秀逸です。
また、歌唱技巧面にも暗い私なので、どうこう言えないんですけどこのピーナッツは
熱演だということはできると思います。
たぶん、彼女らの限界ぎりぎりのところまで力を出し切っている。そんな気がする。
いい歌を作って頂いたし、スペシャルアレンジだし、録音もハイレベルで文句なし。
スタッフもいい仕事をしたと感じているであろうし、これだけの出来でありながら、
それでもヒットはしなかった。厳しい現実ですね。
流行歌手というのはこんな場合、無念だと思います。
人気というもので評価されるわけだから、もうこれ以上この仕事を続けていても、
嬉しいこと、楽しいことは以前ほどには感じられなかったでしょうね。
人気は浮沈するとはいいながら、浮かび上がる材料がもう何もなかったんだから。
だって、いい歌を歌ったって、聴こうと積極的になる人の絶対数がないんだからね。
ザ・ピーナッツは余りにも聞き慣れてしまって、見慣れちゃって飽きられたと思う。
またピーナッツか、と皆んなブラウン管から目を逸らせてしまったのではないかな。
大衆は気紛れで飽きっぽい。少なくとも歌手の味方ではない。
だから賢い歌手はあまりテレビには出ない。たまに出るから珍重されるんですよ。
ピーナッツは正々堂々テレビにこれでもかと出演した。持てる芸の全てを披露した。
楽しむだけ楽しんで、茶の間の関心はピーナッツからは次第に遠のいた。
少しばかり気になるのは、後期の録音はピーナッツの声を左右に分離させないで
センターに定位させています。これはどういう意図なのでしょうかね?
それと、録り方のせいか、この頃の声質があまり良くないようにも思います。
音域が出ないとか声が出ないとかいうことは全くないのですが少し滑らかでない
印象があります。(耳の衰えた年寄りが書いているのでアテにはなりません:笑)
しかしね。さよならコンサートではばっちり素晴らしい声で歌ってますよね。
だから衰えたというわけじゃないことは確かなんですね。まだまだイケたんです。
実際に辞める三年ほど前からプロダクション側と引退について折衝していたという。
そういう後日談を知ってこの曲を聴くと、この歌がもしかすると最後の吹き込みに
なるのかもしれない、という切迫した印象を私は持ちます。
B面が「さよならは微笑んで」でもあるから、そのように感じるのかもしれません。
「さよならは突然に」以来「さよなら」が付くタイトルが三つもありますからね。
最後まで精一杯やるんだ、という誠実ささえ感じてしまうのは考え過ぎでしょうか?
でも、もし、これが最後の曲だとしても立派にそれに耐えられる出来だと思います。
----------------------------------投稿日:2001/11/28(Wed)
<ウシオ さんからのレス>-
この曲、東京音楽祭の参加を意識して作ったんでしたっけ。
森山良子さんがこんなことをCDのライナーノーツに書いています。
「この頃(昭和40年代後半)はコンテスト用のスケールの
大きい曲が多かった」
これ、「愛のゆくえ」にも当てはまるかもしれません。
ただ、それが鼻につかないのは、いかにもスケールの大きい歌を感情こめて歌い上げました、
というような大げさなことをしておらず、あくまでメロディーの盛り上がりに沿うように
自然な歌い方をしているから?
「『愛のゆくえ』を歌ったら、知らず知らずのうちに最後のほうが盛り上がっちゃったわね」
みたいな。
この曲のアレンジ、必要以上にうるさいところが(いい意味でね)
宮川先生らしくて、たまらなく好き。
余談ですが、僕が車に積んでる「ザ・ピーナッツ・ベストMD」のラスト3曲は・・・
「愛のゆくえ」→「愛のフィナーレ(新録)」→「ウナ・セラ・ディ東京(昭和42年バージョン)」。
・・・暗すぎ(笑)。
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<インファントの銀賞犬 >
> この曲、東京音楽祭の参加を意識して作ったんでしたっけ。
そうそう、忘れてました、これ、これ。世界大会・銀賞受賞だった。
↓
http://www.ma.nma.ne.jp/~anchor/tokyo-music.htm
> この曲のアレンジ、必要以上にうるさいところが(いい意味でね)
> 宮川先生らしくて、たまらなく好き。
むふふふ、面白い。ここ、何度読んでも面白い。
宮川先生は過熱してくると面倒見のいい下宿屋のオバさんみたいになってオカズを
沢山つけてくれるという感じがします。もういいのにさ、小鉢が多くなるんだ。
編曲家というと数学的な緻密な音の積み上げで「かくし味」みたいな音もあって、
全体の構成を形作っていく作業に向いている気質がいいのでは、と思うんですが、
宮川先生がやると、どの楽器もみんな聴こえてしまうんです。(笑)
どう聞こえるか、より、どうやりたいか、が絶対優先。定石より感性の右脳編曲家。
伝わってくるんだなあ、これが、私も、たまらなく好き!
> 余談ですが、僕が車に積んでる「ザ・ピーナッツ・ベストMD」のラスト3曲は・・・
> 「愛のゆくえ」→「愛のフィナーレ(新録)」→「ウナ・セラ・ディ東京(昭和42年バ
> ージョン)」。
> ・・・暗すぎ(笑)。
重すぎ(笑)。でも、これなら...安全運転まちがいなし。
「ウナ・セラ・ディ東京(昭和43年バージョン)」のCD版は出ないのかなあ。
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<アンカーさんからのレス>
「ウナ・セラ・ディ東京」の昭和43年バージョン
>インファントの連載犬さん
つい最近、江利チエミさんの1985年に出たCD全曲集を
聴いたのですが、(CDが世の中に出て間もない頃ですよね?)
16曲入りで3200円の頃。
この中に入っている「テネシー・ワルツ」、「カモンナ・マイ・ハウス」
「ジヤンバラヤ」、「ひとり泣く夜のワルツ」が今まで聴いた事ない
全く別のバージョンだったんです。これにはびっくりしました。
という事はほぼ毎年出ている「ベスト」やら「全曲集」の中に
ひょっとしたら昭和43年バージョンが埋もれている事もあるかも知れないですね。
僕は毎年出るそれらのベスト盤は全部は買ってないので、もし全部
そろえている人がいらっしゃったら聴き比べてみてください。
何か発見があるかも!?
<特記事項:この後、このバージョンもCD化されました。
詳しくは、「ウナ・セラ・ディ東京」で書きます>