■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
♪愛への祈り 1968.06 <恋のロンドのB面>
作詞:橋本淳 作曲・編曲:すぎやまこういち
演奏:レオン・サンフォニエット
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★★ | ★★★★★ | ★★★★★ |
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
この曲、好きです。どうせピーナッツの歌なら全部好きなんだけどね。(苦笑)
どう好きなのか、といいますと。これ気品があるからなんです。趣味がいいんだ。
電気ベース(死語か?)のブン・ブブンという音をもし抜いたらクラシック調です。
どこか「花の首飾り」に似ている雰囲気がとってもチャーミングです。
すぎやまこういちさんはクラシックが大好きな方だと思います。(全く推測ですが)
そういう方でないとこの優雅で繊細で古典芸術の香り漂う編曲はあり得ませんから。
ピーナッツの歌と声音が、これがまたぴったりとムードに寄り添っている。
他の歌手でも味が出るような曲ではなくて、ピーナッツだけの世界だと思います。
これを聴いていると「リボンの騎士」のサファイア姫が眼に浮かんできます。
男とか女という生臭い言葉は出てこないプラトニックな純愛の世界なんです。
サファイア姫の子供は双子でしたね。あとで「双子の騎士」という漫画になった。
こういうのを宝塚歌劇でなぜやらないのかなあ?
帝国華撃団でやってもいいなあ(こら、またアニメ・オタクな事、書くな:謝)
今でこそ、ザ・ピーナッツはどこが素晴らしくって、何がそんなにいいのかなんて
冷静に分析したりしてますけど、15歳のインファント少年には「愛」優先だった。
ただ可愛いピーナッツが好き。そこには理屈など何もないんだ。
30センチの小美人に恋をしてしまったんだから、そこには性を超越した愛があった。
ピーナッツの歌が、その歌詞が、自分のピーナッツを思う気持ちとシンクロするのだ。
女性が男性を思う立場の歌なのに、こっちが女性になったかのように感情移入出来る。
そこには男も女もないんだな。不思議に男の作詞家が書いてても違和感なんかない。
アンカーさんも私と一緒で芸能活動だけを評価し、讃えているだけじゃないと思う。
確実に「愛」してるんだと思う。相手に何も求めない、という崇高の愛をね。
だから、ここはピーナッツへの「愛の博覧会」のバーチャル会場でもあるんだ。
無関心層から見れば、無価値なことをやってる、と言われるかも知れません。
でもそういう方は、何が価値あることなのか自問自答するべきだと思うのです。
ザ・ピーナッツ源泉の隠れ流行語は「ホリディ」「バカンス」があると思います。
これが、ザ・ピーナッツからの心の贈り物なんです。癒される愛のお返しですよ。
機械にだって「愛機」があります。新しい愛人のスピーカーが我が家に来ました。
1947年設計の旧愛機は「愛への祈り」を素晴らしく、それは上品に奏でました。
だから心配でした。最近の若いスピーカーにこの格調が出せるものなのか?
でも杞憂でした。ウィーン・フィルがフィラデルフィアに変わったような感じがあり、
ちょっと華麗になっちゃったけど、一緒に音楽を楽しむお友達になれそうです。
面白いことに現代のCDがとっても良く聴こえる。
以前のは打ち込み音楽なんて全然冴えない風にしか聴けなかった。楽しめなかった。
いわば、ザ・ピーナッツ(古い録音)専用機みたいなもんだったんだな。
いろいろ聴いてて、気づいたんだ。
今の女性歌手の歌って倍音成分が強いよ。基音が弱い。録音の傾向・流行なのかも?。
録音自体がドンシャリなんだ。(迷い猫さんにしか通じないオーディオ隠語:笑)
すなわち中音が張り出さない。ちょうどSP盤とは逆の現象。人声の温もりがない。
ザ・ピーナッツって一般的には高い声がよく出るという印象があるようなんだけれど
実際にはそうじゃない。中低音がしっかりしているんです。エネルギーも凄いんだ。
恐らく現役の頃、多少の電気的増幅系や音響特性の悪いホールでコンサートやっても
彼女らの声は遠くまで届いたと思う。そうでなければ歌手になれなかった時代かも。
2001/12/30(Sun) 20:22投稿
--------------------------------------------------------
<アンカーさんよりレス> - 2001/12/31(Mon)
08:57
この歌は元々「恋のロンドのB面」という意識しかなくそれほど聴いていませんでした。
でも数年前に発売されたビデオ「P−ナッツ」で歌っている映像を見てから
「恋のロンド」と同じくらい好きになっていたんですねぇ。
インファントさんがおっしゃっるように
◆気品があるからなんです。趣味がいいんだ。
◆他の歌手でも味が出るような曲ではなくて、ピーナッツだけの世界だと思います。
◆男とか女という生臭い言葉は出てこないプラトニックな純愛の世界なんです。
こんなところでしょうか。
普通こう言う歌を歌うと白々しく聞こえたりしがちですが
ピーナッツの歌はそれを感じさせないまさにピーナッツの世界なんですね。
他にもいっぱいあるヒット性のない歌を次々にたくさん作っていった
スタッフ側の純粋な音楽に対する姿勢と言うものが、今の音楽界にはなく
自分たちのイメージした曲を歌ってくれるのはピーナッツしかいない、
という状況だったんじゃないかと思えるくらい、聴いててもピーナッツに
よくあっていると思います。
当然ヒットしないものが多いけど。
昔はA面ばっかり、あるいはヒットしたものばかりしか聴かなかったけど
CD「シングルス」が出てからB面もまとめて聴く事が出きるようになったので
よく聴くようになって、あらためて再認識しています。
>インファントさん
新しいスピーカーも家具のような大きいものですか?
(61.203.129.188)
-----------------------------------------------------
<インファントの小型犬>
2001/12/31(Mon) 12:01
家具のような(笑)ものは、もう買えません。以前の愛機の仲間はこちら、
↓
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/4518/sub1.htm
今度のはこちら、サイズもお値段もコンパクトでしょう?
↓
http://www.bose.co.jp/home_audio/music_speakers/464_features.html
(61.201.106.150)
-----------------------------------------------------
<ラ星
さんよりレス>- 2002/01/12(Sat) 06:44
インファントさん、ピーナッツ・シリーズにしばらくレスしなくて、すみません。
さてこの曲、去年初めて聴いた時は、あまり印象に残らなかったのです。
いえ、こういう曲が嫌いなのでは、ありません。
1968年、ザ・タイガースの「花の首飾り」にぞっこんだった13歳の僕は、
同時に「なぜこんな夢見るような甘い歌にばかり心を奪われるのだろう」という
ジレンマにとらわれていました。
自分が現実の何かから逃げようとしているのではないかという不安、なにか自分の
中の女性性がふくらんで行くような、こんなことをしていちゃイケナイんじゃないか
という思い。ま、そのどれもこれもが紛れもない自分なのだという心の決着を一応
つけるまでに、その後10年ほどかかるのですが。
(実際、これが僕にとっては大問題。「哀愁のヴァレンティーノ」にどっぷりはまったり、
「男と女の世界」では♪男は誰 あなたよ と軽く突き放された気がして、かえって
ピーナッツに感謝したりで、大変な年月でした。ぐはは。)
しかしホントは決着など、生きている限り、つかないのでしょう。
今日この曲を聴いた時も、ふと「甘い歌に心を許すまい」な〜んて思ってしまいました。
長い前置きでしたが、どっと心を許して(?)聴いてみると・・・・・
前奏でジャランとチェレスタ(ハープシコード)が鳴ったのを受けて、
お、ハープですねえ。京平さんだったら、そのままチェレスタで続けるのでしょうが。
バロックふうなのを、ベースが現代的(当時)にしています。
ピーナッツの秘めやかな歌声。♪まごころ のなんという切なさ。
サビは、宮川さんならもっとドーンと盛り上げていくのでしょうが、すぎやまさん、
成る程とても上品です。
間奏、素晴らしい!少女趣味的演奏に陥っていないのがいいですねえ。
(脱線しますが、先日のNHK杯フィギュア・スケートで優勝した旧ソビエトあたりの
女性選手、数年前は、なにやら「ねえ、おじさん、アタシの大切な物、見たい?」ってな
感じの演技で、目を背けたくなったものです。今回はかなり、技術と大らかさに裏付けられた
艶やかな演技になっていました。でも、“セクシー”ってのは、単に流し目を使う事ではない
と思うんだけど。)
二番から後奏で面白いのが、右の高音ユミさんのバックに低いビオラ、左の低音エミさんの
バックに高いバイオリンが付き、更に低いチェロが右奥で鳴っていることです。
これはほんとにスリリング。歌、伴奏、それぞれの掛け合いが実にチャーミングで、
手に汗握ってしまいました。そう、これが“セクシー”ってヤツじゃないでしょうか。
(やっぱり、ちゃんと聴いてみるもんだ。)