■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

♪朝日のあたる家    1965.07
THE HOUSE OF THE RISING SUN
  Traditional,Arr. AkanPrice 編曲:宮川泰
  演奏:レオン・サンフォニエット
  録音:1965.03.30 キングレコード音羽スタジオ
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★ ★★★ ★★★★ ★★★★

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 謹賀新年。
 元旦の初日の出(こちらでは曇天の雪模様で見れませんが)に因んで、この歌を
持ってきたと書けばかっこいいんですが(笑)、曲順のナンバリングを見直したら
「あ」行からこれが抜けていたのに気づいただけです。本来ならば、#028でした。

ジ・アニマルズ(がオリジナルではありませんが)の歌でヒットした渋い曲です。
こういう歌はあまり日本人にはピンとこないフィーリングが持ち味だと思います。
ピーナッツも含め、日本のどの歌手が歌っても似合うような気もしません。
朝日しか当たらない娼婦の家がニューオリンズにあったとか、そのどこが歌の素材に
マッチするのか、この辺のところは現地とか行って目の当たりにしてみない事には
本当の感じはつかめないし、英語だけわかったところで、いくら深刻そうに歌っても
元のフォークなり、カバーしたR&Bの持つ凄みは日本人歌手ではその醍醐味を出す
ことは至難の技じゃないだろうか。

この頃、つまらないLPを買ったな〜と思ったのが、まだ家にありました。
ナベプロ勢のキング所属オンパレードという風情ですが、眺めると懐かしい顔ぶれ。
↓ <THE HIT PARADE>
朝日のあたる家/砂に消えた涙:ザ・ピーナッツ
胸にのこる微笑(シ・ベドラ):布施 明
恋する瞳:伊東ゆかり
君に涙とほほえみを:ほりまさゆき
サン・トワ・マミー:起本 ヨシオ
10番街の殺人/ゴールド・フィンガー:寺内タケシとブルー・ジーンズ
忘れな草をあなたに:梓 みちよ
青春に恋しよう:フランツ・フリーデル
若草の恋:木の実ナナ
平和の誓い:鹿内タカシ

                         <レコードを見る>

もうこの頃はポピュラーレコードの和風カバーというのは人気が下火でした。
ヨーロッパのカンツォーネにはキング系は会社ぐるみ傾注して息が長かったのですが、
ザ・ピーナッツはシングル盤でも最後の牙城を守るようにカバーを出し続けました。
歌謡曲路線の歌を歌うようになってからも、テレビやステージでは最新のポップスを
歌ってましたし、本当に好きなのは案外オリジナルじゃなくってカバー曲を歌うのが
大好きだったのではないのでしょうか?

ザ・ピーナッツのお二人は自分達が芸の極みに居るのだという意識はなかったのでは
ないかと思うのです。オリジナルにしても、自分達の歌唱そのもので流行ってはいず、
アレンジとか、仕掛けが良くて受けたようにも思うのです。
だから常に憧れる何かがあり、そこを目指し、その味を自分達なりに表現するような
芸風ではなかったかと思うのです。演奏者に徹したかったのではなかろうか?
例えばクラシックのオーケストラにオリジナルが不必要なようにです。
では、この「朝日のあたる家」が、素晴らしいカバーかというと、ちょっと外れかな。
これはピーナッツが歌いたかったのか宮川さんが歌わせたかったのかわかりませんが、
色んなチャレンジをしてみようよ、という結果だと思います。

だから一風変わった、旋律と和声重視の「朝日のあたる家」になっているような?
黒っぽいというか汚濁の中から這い上がるような観念が感じられず、風景描写風に
留まっているのですが、それでも曲の良さは感じ取れるというところでしょうか?
ところが、ピーナッツが歌うとこうなるのか、と妙に、感心させられる面もあります。
宮川先生は、ザ・ピーナッツに万能を求めたのかもしれません。

でも、私も皆さんも、ザ・ピーナッツの歌さえあれば他に何もいらないということは
ない筈なのです。ピーナッツにしか望めないものがいくらでもあった筈です。
私は、ピーナッツが不得意なのは、甘ったるく色っぽい歌やドスの効いた下品な歌で、
そういうのは得意な方が他に居るのだから、洗練された華麗な歌の路線で徹したら、
とか思うのですが、作り手側は同じようなことの繰り返しと感じたのかも知れない。
私は「朝日のあたる家」より「夢見るシャンソン人形」とか、マンネリと言われても
そっちを録音しておいて欲しかったな、と思ってしまいます。
(あいかわらずの無駄話ですが、今年もよろしく)

                          2003/01/01(Wed) 投稿



<ラ星さんからレス>
元旦から「朝日のあたる家」というのも、随分濃いですねえ。
原曲は、なんと17世紀イギリスのもの。
Texas Alexander という人が1928年にレコードにしてから、
アメリカ南部の雰囲気をたたえた曲として広まったとか。
その際、舞台がニュー・オーリンズに置き換えられたらしい。
1941年にウディ・ガスリーが在籍していたアルマナック・シンガーズ、
60年ジョーン・バエズ、62年ボブ・ディラン、
そして64年にアニマルズが更に改作して歌って大ヒット。
ヘヴィーな印象の曲と認識されるのは、アニマルズ以降のこと。

飲んだくれの男と、身を持ち崩した女。妹よ、同じ道を歩むな
といった内容で、劇作家のテネシー・ウィリアムズがこれをヒントに
「欲望という名の電車」を書いたと言われていますが、
(そちらは、没落貴族の設定。宿の名はタランチュラ。映画のヴィヴィアン・リーは
まるで「風と共に去りぬ」のヒロインの成れの果てといった凄みすら漂わせた。)
確かに、ほとんどザ・ピーナッツの世界じゃありません。
アルバム「アモーレ・スクーザミ」の中でも、この曲だけ異色。

>演奏者に徹したかったのではなかろうか?
なるほど。30分間、唸ってしまいました。
私たち、一生その事を考え続けるんじゃないでしょうかね。
「え、それだけ?」って? うーん、書き出すと長くなっちゃうんだもん・・・。
で、「君に涙とほほえみを:ほりまさゆき」って、あのステージ101の?!