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♪ヴァケイション(さよならコンサートより:1975.04.05)
V.A.C.A.T.I.O.N 原曲:C.Francis-H.Hunter-G.Weston
   訳詞:あらかはひろし 編局:宮川泰 演奏:高橋達也と東京ユニオン
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★* ★★★★* ★★★★★ ★★★★*

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懐メロポップスといえば誰でも真っ先に思い浮かべるであろうオールディーズ名曲。
もっともポップスという呼び方は当時は一般的ではなくポピュラーと言ってました。
コニー・フランシスの歌は本国ではどうなのか知らないけれど日本では大流行。
ザ・ピーナッツとしてこの曲をリリースしたことはなくて、弘田三枝子さんなどが
もっぱら得意な持ち歌とされてました。パンチのある歌い手さんにお似合いです。
しかしながら、シャボン玉ホリデーのオープニングやエンディングには使われて、
そのままの歌詞であったり、変え歌であったり、景気づけにはうってつけでした。

これが「ザ・ヒット・パレード」を回顧するかのようにメドレーで歌われる一曲目。
以後、26曲メドレーで、14分56秒に及ぶ長丁場なのですが、その内の30秒。
たったの30秒なのですが、それでも歌ったのだ、ということが記念になると思う。
表情豊かに、とか、思い入れたっぷりに、とか、声量、音域なんて二の次の歌です。
とにかくリズムに乗って、楽しく歌えば、それで100点。それがこの歌の魅力。
こういう歌は聴き惚れる必要もなくて、出来れば客席も一緒に手拍子で歌えばいい。
だから、ピーナッツならでは、なんてことは何も無い。歌った事に意義があるんだ。

ホリデー、ヴァケイション、バカンス、これらの言葉では私はピーナッツを連想する。
当時は休暇をたくさん取ると給料の査定が低くなるなんて信じられないことがあった、
働け働けの時代。だったからこそ、これらの言葉はとても素晴らしい響きがあった。
お金も無いけど暇も無い、だけど、働く場所というか求人はたくさんあった。
学歴の無い私は製造現場で毎日汗だくで働いた、残業も労働基準法ギリギリまで。
昼飯はご飯を4杯食べていたが、それでも夕方には腹ペコになったし本当に疲れた。
交流見学会というのが頻繁にあって、あちこちの製造業の現場を知ることも出来た。
造船、自動車、ガラス、ビール、お菓子、便器、ステレオ、ペンキ、色々と見た。

どれも大変な仕事だった。自分が現場だから、どんなに大変かがよくわかったのだ。
学生時代にアルバイトをした電気部品工場と運送屋さんも重労働だった、
だから自分の仕事は、あれに比べれば楽だよな〜と、いつも思っていたものだから、
辞めようなんて気持ちは全く生まれる余地はなかった。
世の中のこと全てが相対的にどう感じるかなので、こういう経験は有り難いと思う。
初めっから今みたいなデスクワークだったら、逆にその境遇の幸せ感が得られない。
今や、こんな仕事していてて、お金頂いて良いのだろうか、とさえ感じてしまう。
キツイ仕事は非人間的ではあったと思うが、逆に人間的であったのかもしれない。
モノを作るというのはそれが何であってもどこか楽しいものでロボットが変わって
やってしまうのは身体は疲れないけど、人間の神経が疲れてしまうし楽しくはない。
だが、もはや、その仕事すらもどんどん海外へ依託されてしまう。
近頃は勤め先も無いという恐ろしい時代。仕事があってこそのヴァケイション。

うんと遡るとそこは小学校の夏休み。40日間というのは途方も無い長さだった。
何処へ出かけるお金もなかったから旅行なんて記憶はないけれど楽しかったな〜。
川崎工業地帯だって遊び場はいっぱいあったんだ。
どこを何に見立てて、どんな遊びをするか、なんて発想は子供の特権だった。
あのばい煙の下にだって自然はいっぱいあった。実際の自然はけっこう強いのだ。
公害という言葉が出来たり、ドブが埋められ、路が舗装されてから自然も消えた。
ヴァケイションの歌が流行った頃は残っていた空き地もみんなアパートになった。
川崎は近代都市になった。良くなった。けど、ちょっぴり淋しい気もします。
(今回は、爺くさい話でつまらなかったかも。ごめんなさい)

                       2002/09/30投稿