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♪女の意地 (後期だが録音時期不祥)
   作詞・作曲:鈴木道明 (オリジナルの編曲:川上義彦)
  

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★ ★★★ ★★★★

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昭和45年の西田佐知子さんの超有名なヒット曲。カラオケでもお馴染みです。
西田さんがこの歌を紅白歌合戦で歌った年のピーナッツは「東京の人」でしたね。
この方の歌唱はクールな独特の味があって、良い作品を結構多く残されました。
現代に最も欠乏している音楽は、ちあきなおみさんやいしだあゆみさんのような
(まだまだ挙げればキリがない程の)質の良い歌謡曲路線ではないでしょうか。

演歌、J−POP、フォークなんてのは年中行事でテレビ特番が組まれますし、
日本の歌=演歌みたいな誤った認識を植え付けるような演出にも度々呆れます。
また叙情歌みたいな特集も組まれます。しかし、この歌のように枠外にあっても
もっと歌われて良いものが西田歌謡には溢れていると思います。
ジャンルで区分して取り扱う悪い風潮から早く放送界は抜け出さなければと思う。

この歌が歌われた時代は、MASさんが、
> この時代の歌のジャンルというのはピーナッツさんのような外国の曲(ポピュラー)と
> 松島アキラさんのような歌謡曲(青春歌謡)がとても近い距離にあるような感じがして
> 歌のジャンル関係なく皆さんが音楽を楽しんでいたんだなと思ってしまいます。
と書かれておられた通りで、ジャンルの細分化など意識する必要なんかなかった。
どの歌手の歌も広い世代に歌われていたし、東京の人がピーナッツ風歌謡であるなら、
女の意地は西田風なのであって、演歌風とかポップス風なんて意識は不要だった。

とは言いながらも当時はこの歌を私が愛好していたわけではありませんでした。
あまりかっこよくないし、メリハリのない地味な歌だというイメージでした。
それでもちゃんと全部が頭に入ってしまっていたのだから歌に飢えてたんですね。
紅白で歌われるような歌はたいがいの若い人はほぼ知っていて歌えたと思うのです。
だから歳をとってからカラオケで、これを歌ってみようかな、という気にもなる。
すると、音域もさほど広くはないし、歌詞を語るように思いを込めて歌い上げると
結構素人でも、徐々に自然に名曲に聴こえるんです。

この歌は、この歌のような思いをした人でしか出せないような味があるのではないか、
そして、その思いをこめて歌えるのはその経験をした人間の特権じゃないかと思う。
さあ、そういうことになると、これは非常に個人の感情で歌うべき歌と思われます。
どう考えてもコーラスで歌うようなものではないのではなかろうか?
ザ・ピーナッツがこれを歌うと一体どうなってしまうのでしょうか?

「まるで一人で歌っているように聴こえる、そのユニゾン」これはザ・ピーナッツを
評してよくつかわれるのでお馴染みの言葉です。
しかし、この「女の意地」の歌唱では、それが決してオーバーな表現ではないことに
まず驚かされます。これは凄い。どうなってるのか理解しがたい魔術のようです。
双子だから息が合うだけではなくザ・ピーナッツだから歌声がぴったり合うのです。
この歌をどのように歌い上げるかという目的意識までがベクトルが一致していますし、
ボイシング、ペース配分、感情の起伏感、音符の長さの微妙な揺れまで合致してる。

こういう歌い方が出来るからこそ、この歌を歌ってみよう、歌わせてみようという
ことに至ったのでしょう。ピーナッツらしくはなくてもこれだからピーナッツだ。
このアルバムの他にもう一枚カバーものを出していますが、どちらのアレンジでも、
そのカバーで何をしたいかという目標が明確であるように感じられます。
この女の意地では、オリジナルの味をそのまま活かしています。
この歌では妙な編曲は似合わないという、その判断が的確だと思います。
デッドコピーという悪口はこの場合当てはまりません。それは違うと思うのです。
ここは、ザ・ピーナッツの歌謡曲歌手面での実力本意が狙いです。
結構いけますよ。演奏も素晴らしく、後期録音だけあって明瞭に録られております。
みなさんは、このカバー、どのように感じられましたでしょうか?

               投稿日:2003/02/05