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♪帰り来ぬ青春(さよなら公演ライブ)非売品特典レコードより
YESTERDAY WHEN I WAS YOUNG
   作詞:なかにし礼 作曲:C.Aznavour 編曲:宮川泰
   演奏:高橋達也と東京ユニオン 東京クレモナ・ストリングス

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★ ★★★★★

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前回に引き続き辛い歌が連続してしまいました。気分は鬱&鬱......
辛いと申しましても、この歌の場合は意味が違います。それは、お別れの辛さです。
これはシャルル・アズナヴールの名唱のカバーを目論んだ意図ではありません。
17年間の青春をかけたザ・ピーナッツの想いをなかにし礼さんが最も得意とする
シャンソン畑から、恐らくこれしかないという曲を選び特別に詩をつけたのでしょう。

しかしながら、ザ・ピーナッツは血の通った人間であり、心優しい女性達なのです。
この歌詞で、この曲を、その8分21秒を歌い切ることはとても出来ませんでした。
だから商品とはなりえない、散々な出来のライブ録音となってしまっています。
むしろ、ライブという軽い表現ではなくて、まさに、これは「実況録音盤」なのです。
歌として芸としては落第です。人に聴かせられるようなものじゃないんです。
歴史の記録でもあり、ザ・ピーナッツ・ファン皆様への涙の滲んだ別れの手紙です。

♪あの頃 私たち 十七の 少女だった
 歌うことが 好きなだけの 何も知らぬ 子供だった
 始めて 日劇の 舞台を 踏んだ時
 私たちは ふるえすぎて 歩くことも出来なかった
 互いの ドレスを 互いに にぎりあい
 ドレスを 手あかで 汚してしまった
 あれから 月日は 流れた けれども
 いつでも 手をとりあい はげましあった

このあと歌詞はこの三倍ほど延々と続くのですが、例えもう二度と商品化はなくとも
歌詞には著作権がありますので、全転載は自粛いたします。
また、以後の歌詞を紹介するのは感情面で耐えられないところも実際あるのです。
ここまでで、以降の歌詞を想像される方が知らない方が精神的に良いかも知れません。
ただ、とても象徴的な部分については語りたいと思います。

「さよなら姉さん、さよなら妹」という歌詞が最後に出てきます。
「ザ・ピーナッツ」としての「二人で一緒の人生ともお別れ」という意味なのですが、
曲の初めから涙声で歌い出していてもなんとか、ここの歌詞の前までは歌えていた。
しかし、姉さん、も、妹、も、声が出なくなってしまいました。
ここの歌詞はリフレインで二回歌うのですが二回目もここで嗚咽に化してしまいます。

芸能界から身を引く、舞台には立たない、テレビカメラに向かうこともない、それは
自分達で決めたことであり。独り一人の生き方をしようと心に決めたことだった筈。
しかし、姉妹でもう二度と二人で息を合わせて歌うことはなくなるのだという実感は
そのような覚悟を決めて挑んだにせよ、そこは短い年月ではなかっただけに感無量の
ものがあって、それはもう、しっかり歌おうよと、励ましあうレベルではないので、
破綻してしまったのだと思いますが、これは誰にも責められないでしょう。

ピーナッツの声が出なくなり、聴き取れなくなると同時に「あと少し、頑張って」
「いや、もう頑張らなくてもいいよ」という客席の拍手が自然に沸き起こります。
たかが録音ですが、恐ろしいことに、この拍手の音が「暖かく」感じるのです。
心優しい響きの拍手なのです。そういう感覚がスピーカーを通して伝わって来る。
この録音は、この拍手の響きを聴くだけでも価値があります。そういうものです。

私はいまだに、あの日、どうすべきだったか、の答えを出せないでいます。
あの日とは、昭和50年4月5日(土)です。
NHKホールでの「ザ・ピーナッツさよなら公演」に行くべきか、どうか...
何を躊躇うことがあるのだ、と思われるでしょうがねえ?
最後の舞台を見終わって、帰宅する時の自分の感情がどうなってしまうのか?
それが辛くて、怖くて、とてもとてもお別れには行けませんでした。
「それが渡世人の辛えトコロよ」と寅さんのセリフのようなものなんですね。
後悔はしてはいないのですがね。この心のしこりがねえ...複雑で複雑で...

そういう意味でも、この心温まる満場のピーナッツファンの拍手はホッとします。
私の分も拍手してあげてくださいね、と、祈りたくなってしまいました。

          投稿日:2003/02/20



Re: <パンプ さんより>-2003/02/20


・・・これは、
彼女達が「ザ・ピーナッツ」として歩んだ歴史の歌であり、
「ザ・ピーナッツ」と決別し「姉」「妹」と
それぞれが個人個人としてこれからの人生を
「自分」として生きていくんだといった
自分達への最後の応援歌でもあったと思います。
(ステージでは晩年「風のささやき」に歌詞をつけて
同じような内容を歌っていたのを記憶しております。)

嗚咽・・
完璧なハーモニーとシンクロする歌声が、
「ザ・ピーナッツ」であるはずの彼女達が、
その仮面から垣間見せた「人間」としての瞬間のようでした。
もらい泣きを何度したことか・・

「さよなら公演」には是非行きたかった・・
でも地方の一少年にはその術が無く、
悔やまれて仕方ありません。



Re: <夢追い人 さんより>2003/02/20


インファントさん、とても辛いこの曲も書いて下さったんですね。
ありがとうございます。

この曲を聞くと、初めて聞いたあの日の、感動したけどホントに辛くて
淋しかった時を思い出します。
”さよならよき友 さよならよき人よ”という詞にも感無量となってしまいます。
あれって、ファンの私達も入ってるんだ!と思ったものでした。
「さよなら公演」は、1975年の4月5日の東京NHKホールの前に
3月21日の大阪フェスティバルホールと24日の京都会館、
29日の名古屋市民会館でもありましたが、私は、大阪と京都の両方を
見る事が出来ました。
学生だった私にはそこまでしか出来ず、経済的理由で東京までは残念ながら
行けなかったのですが、未だにそれが悔やまれます。

あの日、この曲を聞いた時、『本当にピーナッツとさよならなんだなぁ』と
すごーく悲しくなったことをよく覚えています。
ファンの私達にとっても『帰り来ぬ青春』の1ページでした。

因みに、TBSのテレビ番組から製作されたビデオ ー 
「ザ・ピーナッツ ラスト・デイト」の中にも収録されてますね。
しばらくぶりにその映像を見て、また涙する私でした。

(219.115.126.141)



Re: <アンカー さんより>2003/02/21


この歌は、ザ・ピーナッツとのお別れの歌という位置付けなので
やっぱり聴くのはつらいです。
初めて聴いたのは夢追い人さんが書かれているTBSのテレビ番組
「さよならザ・ピーナッツ」でした。
http://peanuts-holiday.m78.com/tbs-special.htm
歌手が引退すると言うこと自体が信じられなかったので
(当時お年を召した方たちもナツメロ歌手として立派に歌っておられたので)
これでお別れだと思ったら涙が出てきて仕方がありませんでした。
インファントさんが最後の公演に行く事ができなかったと言うお気持ち
なんとなくわかる気もします。
でも夢追い人さんは大阪と京都の2回もご覧になったんですか。
すごくうらやましいです。
会場の雰囲気はどうでしたか?
またレコード(CD)になったものと比較してプログラム内容は
どうだったんでしょうか?
クレイジー・キャッツはみんな来てましたか?
質問ばかりでスミマセン。でも知りたい・・・。

パンプさん、
>(ステージでは晩年「風のささやき」に歌詞をつけて
>同じような内容を歌っていたのを記憶しております。)

これは最後のライブ盤に入っている歌詞だったのですか?
もしそうだとしたらやっぱり「シャボン玉ホリデー」が終わった頃から
「引退」の気持ちがどこかにあったということでしょうか。
「風のささやき」の内容は「帰り来ぬ青春」と似ていますものね。