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♪恋の片道切符   1972.08録音
One Way Ticket(To The Blues)
  原曲:H.Hunter-J.Keller 編曲:森岡賢一郎
  演奏:高橋達也と東京ユニオン コーラス:ZOO RUMBLERS

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★★ ★★★★

  さよならコンサート版  1975.04.05録音 編曲:宮川泰

  演奏:高橋達也と東京ユニオン+東京クレモナストリングス

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★* ★★★★★ ★★★★*

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この曲のレコードがザ・ピーナッツのリリース・ナンバーにあるわけではありません。
1972年8月に録音されたザ・ピーナッツ・オン・ステージの「ポップス・タイム
・トンネル」というメドレーの中でちょっぴりさわりだけ歌っているのです。そして、
何度も繰り返し書いてますが、さよならコンサートのヒットパレード・メドレーでの
一曲ですし、どっちかというと中尾ミエさんがソロをとっているのです。
それでもここへ書きたくなるのは、これは日本でポピュラー音楽が愛好されるように
なった最も重要な曲だと思うからです。

こんなの本国では箸にも棒にも引っ掛からなかったつまらん曲だよ、なんて通の人は
言うのかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことで、我々さえ好きならば
それが大事なことなんだと思うのです。
外国の人とは心の琴線の張り巡らし方が異なるので、どこか湿っぽいメロディーが
日本人には合ったのだと思うし、これを持ち込み広めた人は偉いとも思います。
ロカビリー歌手がみんなカバーしたと思いますが、ロカビリーだから流行ったのでは
なくて、旋律が良かったのじゃないかなと感じます。

私はこの歌はニール・セダカが作ったとばかり思っていたのですが、そうじゃなくて、
ハンク・ハンターとジャック・ケラーという方達の共作なんだそうです。
まだ小学生だったのですが、これはいい歌だなあ〜と思いました。
ポピュラー音楽というものの洗礼を受けていないので凄く新鮮でしたが、歌謡曲とは
違うものだという感覚はなくて同じ仲間だと感じたのですが、大多数のおとなたちは
歌う連中の風体を見て、なんだありゃあ、と、歌を聞かないようなとこがありました。

ところが、私のお袋はこの歌が大好きで、涙が出そうになるね、とか、アメリカ人も
日本人といっしょの思いなんだね、とか、言ってましたが、不思議なことに日本語で
歌うよりも英語のままの方がいい、とも言ってました。
ラジオで流れるニール・セダカの方がお気に入りだったようです。
後年、ニール・セダカのレコードを買ってきたのですが、他の曲には興味がなくって、
これだけが良かったようです。日本人では平尾昌章が歌うのが良かったようです。
この感覚は血が繋がっているだけに私にも共通している感じでした。

これは当時の若者には(小学生にも)忘れられない歌であって横文字からきしダメの
私でも、意味はわからないくせにカタカナ英語でフルコーラス歌えてしまいます。
私だけじゃないと思います。みんなそうじゃないかなあ。
この歌が、ザ・ピーナッツのレコード盤(やCD)に入っていることだけで嬉しい。
それは宮川泰先生の特異なメドレー才能のおかげでしょう。
伊東ゆかり、中尾ミエとのコンビネーションも抜群です。引退の餞としても最高。

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♪恋の日記   1975.02録音
THE DIARY
  原曲:H.Greenfield-N.Sedaka 編曲:宮川泰
  演奏:高橋達也と東京ユニオン+東京クレモナストリングス

    

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この曲も単独でレコーディングしているわけではなく上記のステージ録音のメドレー
で歌われたものです。これもニール・セダカが歌ってヒットしました。
この作曲はニール・セダカさんご自身がされています。
地味な歌なので、印象に薄いのですが、日本では誰が持ち歌にしてたのでしょうね。
こっちの方は、まだ中尾ミエさん、伊東ゆかりさんのゲスト出番前の流れだったので
ザ・ピーナッツが単独で歌っています。(二人で単独というのも変かな:笑)
ただし、ピーナッツがテレビでこれを歌ったのを見た記憶がありませんので、これは
ポップス回顧のために組み入れたというところでしょう。

時々、懐メロポップスの番組が組まれますが、たしかに懐かしいとは思うのですけど、
ザ・ピーナッツや坂本九ちゃんが出ない、または、そういう歌が入っていないことは、
物凄い欠落と感じてしまって楽しみも薄らいでしまいます。
いっそのこと、当時の歌手ではなくて、現代の人で、歌で勝負出来るメンバーたちで
構成した方が楽しいのではないかとさえ思ってしまいます。
自分の歳を棚に上げて言うのも変ですが、客席のオジサン、オバサンだけを喜ばして、
それだけでいいのかなあ、とも感じてしまいます。

あくまで自説ですが...
昔のポピュラー・ソングというのは限りなく「文部省唱歌」に近い存在だと思います。
文部省唱歌にはかなり多くの外国の歌が取り入れられているのは周知の事実です。
それに日本語の歌詞をつけて何の違和感もなく日本人に溶け込んでいるのです。
音楽形式の点でも基本に忠実な、AABA型が殆どで、シンプルで普遍性があります。
近来の歌は洋の東西を問わず、凝り過ぎ、です。歌詞も詰め込み過ぎだし。
また、その一方では、原始に戻ってしまうリズム偏重退化現象も見られます。
3分間芸術の程の良さという面でも、当時のポップスはいいバランスだなと感じます。

さて、話題を脱線させてしまいますが、
私はザ・ピーナッツの映像が少ないことを、それほど残念には感じていないのです。
その残像というのは時を超えて脳裏に焼き付いているようにも感じるのです。
それよりも音の世界でのザ・ピーナッツの幻影は何時でも身近に感じられるので、
これがたまらなく愛しくて、何時までも飽きもこないし、常に新鮮です。
どうしてこうまで「音」というのは千変万化で多彩に聴こえるのでしょう。
画像だと、クオリティが断然凄くならない限り、何度も繰り返し見ることはなくて、
たまにしか再生などしません。これだけなのね、という印象もあります。

ところが、これが音声となると、当時から相当な品質で残されているのに驚くし、
また、当時でなくては、こんな美しい音は聴けないという素晴らしい面があります。
同じレコードを繰り返しかけているだけでも音というものは毎日違って聴こえます。
ボリュームの位置がちょっと違ったり、温度、湿度、時間変化など環境の要素が
可変なのだし、聞く当人の体調も刻々変化してるので、違って聴こえるのです。
どういう風にしたらベストになるか、ということに汲々としていた時期もあって、
装置や部品を年中買い替えたり、調整したり、色んな試行をしていました。

でも、最近は気持ちよければいいじゃないか、くらいに妥協出来るようになって、
ちゃんと鳴っているものをあえて変化、向上させようという意識はなくなりました。
グレード・アップという言葉ほど人を迷わす呪文はないようです。(笑)
一時期、SACDやDVDオーディオがこれからの主流になるような流れがあると
思ったので、その際には、たとえ昔の録音でも効果がある筈だから、ピーナッツの
録音もSACD化されないかなとか期待したりしたのですが、どうもそうでもなくて、
新フォーマットでも「音」そのものはあまり良くはなっていないようです。

新しいSACDやDVDオーディオの音に思ったより魅力がないようなのです。
金に糸目をつけない場合はともかく普通のホームユースの装置のグレードの範囲では
むしろ、CDの音の方が良い、という逆転現象も起きてしまうようです。
フォーマットの違い云々よりもデジタル・アナログ変換の品質や音の扱い方の工夫、
そして、アンプへ出力するまでのアナログ回路の充実度なんかの方が大きいらしくて
フォーマットの違いはもっと高度なレベルでのことのようです。
まだまだ、現在の骨董品的だが音がいい私のCDプレイヤーは使い続けられそうです。
なにより、レコードと聴き比べるということが出来るのが私の物差となってます。
変な言い方ですが、レコードに肩を並べていること自体が大変なクオリティだろうと
思っているのです。それほどにレコードは凄い媒体だと信じています。

音の蘊蓄を書きたくなるほどに、このさよならコンサートの録音は素晴らしいです。
「ザ・ピーナッツ・オンステージ」の録音よりも、ライブ・レコーディング技術は
優れているように感じます。もしかするとホールの違いなのかもしれません。
恐らく単に録音するだけじゃなくて最高の収録をしようとする意気込みが音として
こちらに伝わって来るような熱気を感じます。
感情的には普通じゃなかったピーナッツであり、後半はもうメロメロではありますが
この録音の素晴らしさは音だけじゃなく、その「場」の雰囲気までも収めたかのよう、
歴史を刻んだ貴重なものとして残されたと感じてしまいました。

(2003.12.07.記)(2003.12.10追記)