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♪恋のロンド 1968.06
作詞:橋本 淳 作曲:すぎやまこういち 編曲:宮川泰
演奏:レオン・サンフォニエット
録音:1968.04.15 キングレコード音羽スタジオ
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★ | ★★★★★ | ★★★★★ | ★★★★★ |
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前年の八月に発表した「恋のフーガ」が大ヒット。
それとシリーズで立続けに出したわけではなくて「恋のオフェリア」が間にあります。
フーガという言葉が音楽形式の一つを指すように、このロンドもロンド形式という
音楽用語を使って「恋のフーガ」の姉妹曲、続編という感じを意図したと思われます。
ロンドなんていうハイセンスなネーミングは恐らく余り使われないのではないかな?
ビッグ・ヒットにはなりませんでしたが、私は今でも好きな曲です。
さて、フーガという形式が、ひとつのモチーフを重ねて追いかけるような構造を取り、
そこから、 ♪追いかけて 追いかけて..という歌を結びつけているのですが、
さあ、恋のロンドでは、どうなっているのでしょう。
ヒントは、 ♪立ち止まる私の夢 という妙な歌詞にあると思います。
ロンド形式は、A,B,C,Dというモチーフ(簡単にいえばメロディー)があると
それを、A-B-A-C-A-D-Aと繋げたようなものです。
Aが自分だとすれば、恋のお相手は、B-C-Dと無限に変化するような感じです。
恋も輪廻転生のように、繰り返すようなものなのだから、一人の異性にこだわらずに
その ♪恋は不思議な出来事 男と女のいのち を繰り返せばいいのね、と理解し、
♪忘れて踊りに行くわ と、古い恋を諦める覚悟をしたわけです。
しかし、♪あの人の燃える胸のぬくもりが 今も今も今も残るの
今も今も今も、と、しつこく、繰り返し思い出させる..振り切れないんですね。
だから、♪立ち止まる私の夢 ということになってしまうのでしょう。
すると、A-B-A-C-A-D-Aというのは、B,C,Dと気楽に付き合っていても、
常に思い出されるのは、Aさんのことばかり、という風にも考えられます。
この楽曲そのものはロンド形式ではありませんが、メロディーの万華鏡のように
くるくるとループしている遊園地のティーカップの乗り物のような感じを与えます。
スピーディーで流麗で覚えやすい曲です。まるでモーツアルトの曲みたいです。
この歌はフェードアウトが良く似合いますが、ステージで歌う時はそうはいきません。
恋のフーガもちゃんと歌い切るように最後はパッパヤ〜〜〜と盛り上げて終わります。
でも、この歌はラ〜ラララ〜と歌い続けるので、これは上手い終わり方がないのです。
だから演奏が強引に唐突に終わってしまうアレンジだな〜という感がありました。
さて、ここで唐突ついでに思いきり脱線してしまいたいと思います。
「音楽形式」について、語りたいのです。
音楽学校の生徒じゃあるまいしなんですが、何を思ったのか「音楽形式」という本を
以前に買って読んだことがありました。
ソナタ形式なんてので書かれたクラシックの曲が一体何を手がかりにして理解すれば
いいのやら、と思ったからです。
しかし、読んでみて、なあ〜んだ、そうだったのか、と思いました。
ようするに「形式は内容から生まれた」そうなんです。
要はどんな思いを音楽に込めて表現したいか、これ次第だったのです。
単純な思いは単純に表現すればいいし、複雑な色々な思いが絡みあっているのならば
それに見合った複雑な表現形式となるというごく当たり前のことだったのです。
最大のポイントは「統一」と「変化」。変わるものと変わらないものの組み合わせ。
これは人間の脳のメカニズムに合致している基本的な原則です。
音楽に限ったことでもなくて、安定した基盤と変化の配合バランスが必要なのです。
統一と変化の要素はメロディーだけじゃなくて、ハーモニーとリズムにもあります。
クラシック音楽が何故耳に馴染みにくいかは、思うにドラムやベースの単調さが無く、
体のリズムに乗った安定感がないという面があり、どっちかというと脳で感じないと
良さがピンとこないところがあるからだと思います。
同じような要素の譜面であっても、それが行進曲風に書かれていれば馴染みやすく、
これは何百年も昔から、そして今後も変わらないことだろうと思うのです。
これが交響曲ともなると、いわば「長編小説」ですから、内容が豊富になります。
作者は表現したいことが山程あるということです。
特にブラームスのなどは最初聴いた時、何がどうなっているのやら、どこがいいの?
さっぱり取り付く島もない、という感じでした。
昔の人は、これを演奏会だけで聴いて、ブラボーなんて拍手したのかなあ、と思うと
私は恥ずかしくてなりませんでした。だって、レコードで何回聴いても難解なんです。
でも、慣れというものは恐ろしいもので、次第にこれは面白いぞとわかってきます。
そこへいくとチャイコフスキーの交響曲は一回で好きになれます。
随分と昔ですが、NHKテレビで第五番をN響が演奏していたのを何となく聴いて、
多分初めて聴いた筈なのに、あ、これ、凄くいい、と感じました。
小太りで禿げていて見栄えのしないマタチッチという指揮者でしたが、後日の知識で
この方は大変な名指揮者であって、その当日のも歴史的名演だったとか。
見かけで人を判断してはいけないなと思った次第でした。(笑)
まあ、とにかく、すぐ、あ、いいな、と思えるのがチャイコフスキーです。
ということから、どんな音楽でもそれを楽しむコツは「統一」と「変化」を味わえば
いいのだということが判りました。それがどんな仕掛けで出てくるかがお楽しみです。
さて、そこで、やっと「恋のロンド」に戻りますが、これは、次のようになってます。
C-A-A-B-A(A)-A-A-B-A-C
Cは序奏で、最後のCはエンディング。Bは俗に言うサビ。(A)は間奏です。
この構成はフォスターの名曲なんかでもお馴染みのごくごく一般的な定番の形です。
すぎやまこういちさんも、宮川泰さんも、殆どこの形式でしか作っていません。
この歌では、A、B、Cともに楽想が似通っているので、飛躍的な感じが少なくて
心理的な抵抗がなく、その分、刺激的でなくて、印象が薄くなる面があります。
危なげがない落ち着きがあって耳と感情に優しく流麗だなあと感じます。
ピーナッツの声音もかなり調子の良い時の録音なのか、しっとりしてて良い感じ。
楽器編成はちょっと聞き逃し勝ちですが、かなりの大編成で、すごいボリューム感。
低弦なんかも、おや、と思う程に厚く、色んな音色が隙間なく埋まっているのに、
きらびやかでクリアでなかなかの秀逸な録音です。マルチマイク&マルチトラックで
録ったことが歴然としていて、ピーナッツの録音も新時代に入ったことが判ります。
あまり話題になることの少ない曲ですが、もしもこれが無けりゃ淋しい重要な歌です。
(2003.12.28記)