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♪ゴールデン・タウン 1967.07録音
GOLDEN TOWN
作曲:Heinz Kiessling 作詞:Kurt Hertha
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★ | ★★★★★ | ★★★★ |
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聴き方によってはちょっとマーチっぽい重厚で勇ましいメロディーにも聞こえる
不思議な歌です。日本人離れしているのはドイツの人が作ったから当然ですが。
行進曲風だというのは私が勝手にそう感じるだけですが、それにはわけがあります。
ザ・ピーナッツのこのドイツ盤のCDには向うで作ったオリジナル曲が満載です。
物珍しい感覚もあるのですが、どれもこれも気にいってしまいます。
すると通勤途上で頭の中でこれを鳴らして反芻しちゃったりするのですが、これが
歩調とぴったり合ってしまうのです。B面もそうなのです。
だから行進曲のテンポだ、と感じてしまったというわけです。
曲の由来は☆ピーナッツ・ホリデー☆のレコード、テープなどの海外盤を見て下さい。
また、ドイツで活躍したザ・ピーナッツ↓ にも詳しいレポートが掲載されています。
http://www.okada.de/jing/peanuts/peanuts.htm
このドイツ盤CDのことは何度も書いていますが、今なら入手出来るのです。
ザ・ピーナッツのCDは(定番のヒット曲集は別ですが)何時でも買えると思って
いると廃盤になってしまうことが多いので、どうしようかなと迷った時にはさっさと
買ってしまうことをお薦めします。時間は戻ってきません。
一昨日買った本に、こんなことが載っていました。(要約ですが)
世界全体でいうと、交通事故で毎日、3000人の人が亡くなっているそうだ。
しかし今からクルマをなくそうというわけにもいかない。それは利便性の問題でも
あるし、経済、生活習慣全体の問題だ。
そして、同じようなことが言えるのが録音だ。エジソンが鑞管の蓄音機を発明す
るまでは人間の歌を録音することは出来なかった。
今、当たり前のようにCDでMDで、MP3で、あるいはレコードもあればツー
トラサンパチ(若い子には何のことかわからないだろうが)で音楽を聞ける。
しかし、こうして録音された音楽のために、いったいどれほどの人が死んでいるの
だろう。
そう、たしかに人は死なない。でも、本来素晴らしいものである音楽の何かが、
毎日毎日失われていくような気がしている。音楽的な知識や経験もない人がでっち
あげたようなバックトラックの、ヘタな歌が録音されたコピーコントロールCDを
聴いていると、僕にはこれは《音楽》と呼べるようなものではないという気がする。
そして、そういった《なんちゃって音楽》の売上が減っていると聞くと「そりゃあ
そうでしょうね」と力なく納得するしかないし、あるいはそういったものでもCD
セールスチャートの1位になったりすると、ぐったりする。
きっと毎日《音楽》が3000人死んでいっているのだ。
これを読んでぞっとしました。そうか人間の感性が死んでいってるのか。
映画などで、手垢にまみれた評論フレーズに「感心はするけど感動はしない」という
遠回しのけなし言葉がある。こういう歌が多くなっているように私は感じる。
一番タチの悪いのは「良い歌」ぶってる「なんちゃって良識派」で教科書掲載狙いの
ような中身のない歌だとも思う。ブームになれば何でも大儲けなのだ。
こういう歌は気持ちが悪くてしかたがない。嫌いだ。でも昔からある路線なんだけど。
いい歌みたいだから買おうかな、てなもんなんでしょう。みんな金持ちだからね。
録音にしてもどこにもアラがなくて聴きやすく安心して聴けるように作られている。
ハラハラしないのである。
しかし、どこか「芯」がないような感触を受ける。
ちゃんと低音も高音もバランスよく収まっているのだけど、どこか作り物なのだ。
なにが変わったのか、私独自の感覚での喩えなんだけど「床面」が消えているんだ。
しっかりしたコンクリートの床が音場には存在しないのだ。浮遊している。
べつにバスドラムがガツンガツン鳴らなくてはと大仰なことではなくて音楽の土台が
がっちりと聴こえてこないのだ。これが流行りなんだろうか。
このドイツ盤のCDアルバムは害して音が硬質で高音もきつい感じがした。
こういうのは長年の経験で「本物」だと血が騒ぐのである。
ザ・ピーナッツの録音はキング盤でもけっして聴きやすいのんびりした音ではない。
真面目な録音なのだ。適当にまるく収めていないからこそ挑戦し甲斐があるのである。
一般的には高音がきついと感じると高音を下げてしまうようだが、これは勿体ない。
こういうのを『角を矯めて牛を殺す』というのである。
録音したのは(良い時代の)プロフェッショナルな録音技師なのである。
絶対的に信頼すべきなのである。聞きにくいのは聴き方が悪いのである。
高音がきついと感じるのは「高音域の性能が悪い」装置だと気付くべきなのだ。
よしそれなら、と高い周波数が伸びるように逆のノウハウを施してやった。
というのは、常にわざとナマらせている部分があるからなのだ。
それは置き方であったり角度であったりコードであったり接点部品であったりする。
これはチューニングだと思っている。
昨年、スピーカーを変えたが、鳴り方は結局似たようになる。犬は飼い主に似る。
難物ソースにぶつかった方が面白いのである。
また何かやってる、という家人の眼は「お金かけなきゃお好きにど〜ぞ」という感じ。
結局、音の粒立ちが良い偶数次倍音がたっぷり乗ったような快感が感じられる音色に
させることが出来たように思う。こうなると他のソースも聴きたくなる。
音に主張があるというのは聴き応えもあるのだ。
そういう時代の録音なのだが、ここには懐古的趣味だけではなくて本質的な真剣さが
存在するように思う。装置で左右されるような音楽は次元が低いというような考えも
あるかも知れないけど、実際に音楽が活き活きと鳴って血が通ったような仮想現実の
生々しさが聴こえてくると、これはこういう風に鳴りたかったに違いないのでは、と
音響も含めた音楽性というものが確かに存在すると確信せざるをえない。
エコーひとつとっても意味が生じてくるのだから怖いものである。
録音のことばかりになってしまったが、21世紀になって初めて聴けるピーナッツの
音源が登場するというのはバーチャル現役歌手のようで、とても嬉しい。
このゴールデン・タウンという曲は日本から来た可愛い双子の歌手ですよ、といった
際物的な甘えというものが全く感じられず、正々堂々とヨーロッパのヒットソングを
作るんだという気概が漲っており、成功不成功はともかく一流のヒットメーカー歌手
としての地位を確保していたことがわかってファンとしても誇らしい気分にもなる。
さあ、明日もバス停まで口ずさんでしまうかな?
(2004.2.5記)