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古都の女(ひと)  1972.04
   作詩:橋本 淳 作曲:中村泰士 編曲:高田 弘
   演奏:オールスターズ・レオン
   録音:1971.12.01 キングレコード音羽スタジオ

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★* ★★★★ ★★★★★

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この歌のことを書こうとするのですが、なかなか筆が進みません。
いつも歌を聴いてから、さあ、何を書こうかな、という調子なのですが、
これの入っているのはLPアルバムであり、CDなのであって、どうしても
同時に他も歌も聴いてしまいます。
このLPの裏は世界旅行をテーマにした名曲揃いなのです。
曲がいいというだけじゃなくて、ピーナッツの歌も抜群だし、全てが満点。
そうなんです。これ凄いアルバムなんですね。聞き惚れてしまうのです。

そうであっても、この曲の存在が強烈であれば、おかまいなしに書けますが、
どういうのかこれ、私の中でなんとなく影が薄いんです。
世間で流行ろうと流行るまいと自分の愛好度には影響ないというつもりですが、
世の中一般には全然認知されていないだけじゃなく、私にも見放されていると
いった状況で、まことにかわいそうな歌です。
どこもお粗末なところなどないのです。よく出来ているとは思うのです。
でも、何かピンとこない。好きにならないと勿体ないのですがね。

ピーナッツの歌唱はこれは円熟の極みに近く、これが数年後に引退してしまう
歌手なのか、と、信じられないくらいの完成度があるし、とても魅力があります。
一曲一曲なにかを勉強してるな、工夫してるなという感じがわかります。
ハーモニーも難しい音程だと思うのですが自在に難なくクリアしていまして、
コーラス技術を聴かせるレベルを既に超えていて歌そのものの味を出している。
この域によくぞ達したものだと感心するし、歌謡曲をコーラスでという範疇では
これからも、この水準に達することは不可能でしょう。

演奏もスタジオ・ミュージシャンの技量が相当高度化したように感じられるし、
録音機材も急激に進化したせいか、実に見事な仕上がりになっています。
総合的にこれはハイレベルな技術集団の第一級の製品であることは間違い無い。
でもそこに求心力が薄いような感じがするのは、熟練し、慣れすぎたような面が
あって、危なげがないが、惹き付ける核心があやふやなように思うのです。

この歌の歌詞を作る時、やむにやまれぬ強い想いがあったのだろうか。
この歌の作曲をする時、これだ、というインスピレーションがあっただろうか。
どうもそのベースが流行り歌を作ろう、というだけじゃないかという感じがする。
ヒット曲なんて、みんなそんな風に作っているのさ、と言われればそうなのかも
知れないけど、好きなピーナッツの歌はそれだけじゃない、これを歌わせたいと
いうような強い思いがあったみたいだし、それは妙に私が、私達が聴きたい歌と
合致していたと思うのです。想念の力の差とでもいいましょうか。

タイトル一つとっても、「山小屋の太郎さん」と「古都の女」では、体裁だけは
後者が圧倒的に良いように感じます。不特定多数に向ければです。
でも、「山小屋の太郎さん」を作ってピーナッツに歌わせたいというその気持は
商売面とか、あらゆる障壁を超えて、歌わせたいんだ、というスタッフたちの
強烈な思念が噴出していたのではなかろうか。
「古都の女」か、いいタイトルだねえ。「大阪の人」の姉妹編で行こうか、では、
なんか初めから意識レベルが低いように思われる。

どうも歌謡曲の情念の世界に疎くて辛口の表現になってしまうのだが、こんな時に
思い出されるのは、ウシオさんの「ピーナッツの後期に捨てる曲なし」の言葉。
きっとウシオさんならば、まったく別の評価をして下さるに違いない。
ザ・ピーナッツはタダの双子の歌手ではないし、多面性も持っているのである。
こういうピーナッツの歌が好き、というラインナップは簡単に出来そうでいて、
ちょっと深みにハマってしまった人ほど、個人個人が分離していく筈なのだ。
きっと、この歌が大好きという方も居られるに違いない。
(2004.3.17:記)