■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

コメ・プリマ  1959.11
  COME PRIMA
   作詞:M.Panzeri 作曲:Paola S.Taccani 訳詞:音羽たかし
   編曲:宮川泰  演奏:渡辺晋とシックス・ジョーズ
   録音:1959.09.05

  

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★モノ

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

♪この世の続く限り 命の限りに恋の
 恋の炎に身を焼き尽くす
 コメ・プリマ あの日のように

なんとも凄い思い込みの歌詞ですが、コメ・プリマってどういう意味でしょう?
これはイタリア語で、音楽用語にもなっている「最初と同様に」という言葉です。
この歌は、ザ・ピーナッツの歌手活動を言い表わしているようであったりもし、
なにか深い因縁を感じずにはいられません。

この歌を聞くと、なぜか、どきっとするのです。
最初から、すごい才能と魅力を持った歌手だったのだ、と、思ってしまうのです。
数々のレコーディングの中では、けっして最高レベルの出来栄えではないのにです。
でも、心に訴えてくる率直さがあるのです。技以前の歌声の素性の良さを感じます。

この歌を伊藤シスターズの仮名でデビュー2ヶ月前に日劇コーラス・パレードで
歌ったということですが、忽ち客席はこの姉妹の歌声に聴き惚れてしまったとか。
それはそうだったろうなと思います。
ザ・ピーナッツの歌声を初めて聴いたら、それは仰天すること間違いないでしょう。
技巧以前にその声の不思議な響きに魅了されてしまうからです。

ピーナッツがデビューした当時の人気は、それは凄まじいものでした。
恐らくあんなスピードで日本中の老若男女を問わずに急激な知名度を獲得する歌手は
これからも絶対に現われることはないと断言出来ると思います。
日本中がテレビに釘付けになっていた時期に売り出しの為のレギュラー番組を持って
いたのですから、その効果が現代の比ではありません。
私はまだ中学校1年生だったのですが、まだピーナッツ・ファンじゃなかったけれど、
その歌は全部知っていましたし、それは私だけじゃなく日本中で評判だったのです。

まだヒット・アルバムなど出せる程にはシングル盤も出していない新人であったのに
いきなりLPまで発売されることになったのは人気の凄さを象徴しています。
だから、テレビなどで歌ってきた「ある恋の物語」や「キエン・セラ」も録音したし、
実質的な初舞台で歌ったこの「コメ・プリマ」もここに収録したのでしょう。
当時は、LP盤などは大御所の歌い手でないと出せるものではなかったのにです。
キング・レコードは大きな期待を込めて、自信を持って世に送り出したLPでしょう。

私の感覚ではピーナッツがリラックスしてレコーディングが出来るようになったのは
「パパはママにイカレてる」あたりから以後ではないかと感じられます。
この「コメ・プリマ」を聴いているとNHKのど自慢にいきなり天才歌手が現われた、
そんな感覚を覚えます。初々しくて、健気で、一生懸命なんです。
伴奏と同時収録なので、ハラハラするような緊張感が録音から伝わって来ます。
だから、良くやったね。上手かったよ、と声をかけたくなるような気分です。

きっとピーナッツさん達は一人ではこんなプレッシャーに耐えられない人達だろうと
いう気もします。二人で互いに「私がついてるからね」という支え合いがあって、
それで奇跡的な歌声を披露することが出来たのではないでしょうか。
変な表現かも知れませんが私は、ザ・ピーナッツは引退のその日でも初々しかったと
いう印象を持っていました。いつも今日が初舞台だという雰囲気でした。
17年前の「可愛い花」を最後の最後に歌っても違和感なんかこれっぽっちもなくて、
ほんとに終始一貫して、素直で、可憐で、可愛い花のお二人だったと思う。

奇しくも後年ピーナッツもカバーした「ラ・ノビア」を歌ったトニー・ダララさんの
デビュー曲とのことで、元歌はどんな風なのかなと聴いてみたい気もありますし、
訳詞の違いとかアレンジ、演奏などスタッフのお仕事の仕掛けを知るのは一興ですが、
ザ・ピーナッツが歌っただけで、それはザ・ピーナッツというジャンルの一曲となり、
比べてどうのこうのと感想を抱くこと自体が無意味なことだと悟るべきでしょう。
このレコードなどは歌の上手さというよりも、こちらの心にジーンと滲みこんでくる
透き通った愛の結晶の輝きのような歌声の爽やかさに感動してしまいます。
こういうのを歴史的録音というのではないでしょうか。

ザ・ピーナッツは結局何も変わらなかった。コメ・プリマな歌手だったと思うのです。
進歩がないわけじゃなくて、チャレンジして、常に進歩しようとする姿勢があった。
吸収型の天才だから覚えたい学びたい、そして、それを観てほしかったのだと思う。
だが、大衆はそういう努力にはあまり関心がなく、興味はもっと表面的で刹那的な
流行を追う方に向いていったと思う。ピーナッツの芸はもう刺激的でなくなったのだ。
そういう発表の場が次々に消えていったのは世の趨勢とはいいながらピーナッツの
歌い続けたいという気持を萎えさせたと思います。
ヒット歌謡曲を作って歌謡番組で一曲だけ歌うことを繰り返す単調さは、それまでの
わくわくするような活動履歴から比べたら、とてもやり甲斐は生まれないと思います。
それでも最後まで誠意あふれる活動を続けていたコメ・プリマ優等生の歌手でした。
(2004.3.23.記)