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この道  1971.02
   作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 編曲:一の瀬義孝
   演奏:オールスターズ・レオン
   録音:1970.11.18 キングレコード音羽スタジオ
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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ピーナッツの歌は殆どがそうであるように聴く人を清々しい気分にさせます。
なかでも、このアルバムはα波がた〜くさん出てくること間違いなしです。
あまり絶賛ばかりしていると「鰯の頭も信心から」じゃないのなんて疑われる
恐れもありますが、やはりここでは自分を信じてエッセーを書き進むしかない。
尊い、有難いと思っても誰にも迷惑かけるわけじゃなし。(笑)

この歌が入っていた2枚組LPは一枚が所謂ヒットナンバーの集約なのですが
主役はやはり「ザ・ピーナッツ・ノスタルジック・ムード」と題した2枚目です。
曲目は、SIDE 1
    1. 赤とんぼ〜あの町この町〜叱られて
    2. 村祭
    3. 夏は来ぬ
    4. 里の秋
    5. 花かげ
    6. 中国地方の子守唄
    SIDE 2
    1. ふるさと(ナレーション)
    2. この道
    3. 夏の想い出
    4. 浜辺の歌〜浜千鳥〜砂山
    5. 宵待草
    6. さくら貝の歌
一面の編曲は若松正司さん、二面は一の瀬義孝(一ノ瀬と書く場合もある)さん。
一面の曲は童謡/唱歌を中心に構成されていまして、二面は似てはおりますが、
どちらかというと歌曲としても扱われる歌が多くなっています。
レコードを聴く前に感じたのは「花」みたいなもっと素敵な歌が欠けているな、
というような感覚でした。
特に「この道」は「からたちの花」もそうですが、私には不自然な仰々しさで
歌われることが多くて、つまらない歌だなという先入観がありました。

歌詞やメロディーが悪いわけではないのですが、歌うことをお仕事にされている
人が歌うと、プロだから「聴かせなければならない」ので表情過多になります。
オペラのように、♪ああ〜そうだよおおお〜なんて歌われると、ぞっとします。
あ、懐かしいな〜この道、私、覚えてる、と口にも出さないで、そっと想っている
そういう淡い思い出の筈なのに、山田耕筰って変な人だな〜と思ってた。(笑)

ところが、このピーナッツの「この道」は違います。さらっとしてるんです。
全体に水彩画のように淡いんです。
演奏はわりと大袈裟なんですが、表情をむしろそちらに任せたようなイメージです。
演奏の一部にピーナッツが溶け込んだように存在感の輪郭が希薄になってます。
すっと歌声が入って来て、丁寧に穏やかに歌って消え去ります。
そもそもアルバムの構成自体が追想みたいに始まるんです。
高原を走るようなSLの効果音が右から左へ遠ざかって行き、音楽が浮かび上がる。
このようなSEが入ったアルバムは他にもあるでしょうが、このレコードのそれは
実に自然で、ここにはこれしかないだろうという位に映画のように繋がっています。
歌や曲そのものも走馬灯のように脳裏をよぎって行く感じなのです。

もしかすると録音ライブラリーのものではなく、キングのスタッフがデンスケを
携えて取材録音をした可能性もあります。そういう記述はありませんが。
それというのも、このアルバムはかなり入念な作りだと感じるからです。
ジャケットの写真も凝っています。とくかく安っぽさが微塵もありません。
アレンジャーにも注目です。
若松正司さん、と、一の瀬義孝さんが特別に起用されています。
特別に、という意味は、もちろん、定番の宮川先生ではない、という意味です。

ただし、これは、宮川先生より編曲の腕が上だということではないと思います。
ノスタルジックなムードをメインにした童謡・唱歌のアレンジでは定評があり、
宮川先生のユニークで楽しく面白い編曲とは違うものを目指したいという背景が
あったのではないかと推察します。
事実、オーソドックスな正統派のアレンジで音楽としての品位が高い感じがして、
ピュアな郷愁に浸れる雰囲気が醸し出されています。
こんな美味しい所を頂いてしまっていいのだろうかというスペシャル・アレンジです。
編曲者にもこだわりを持って、狙いに徹して企画したに違いないと感じます。

録音がまた素晴らしい。
私が良く使う録音が優秀というのは、物理的な性能ではありません。
ノイズの少なさとか、音の解像度とか、ダイナミックさとか、高音低音の伸びだとか、
そういう面には実はあまり興味はないのです。
そうじゃなくて、音の美しさ、心地よさ、感銘の深さ、など、客観性のない感覚の
部分で優劣をつけています。だからアテにはなりません。(笑)
この録音の良いところは、生楽器の感触を良く捉えているという点です。

特に弦楽器が素敵です。
弦楽器というものは日頃身近に生の音を聴く機会は少ないものだから、まったく違う
イメージを抱いたりしがちですが、生の音は、このレコードのように中音が充実して
いるんです。少なくとも間近でではない合奏は輪郭だけではなくて中身が詰まった
充実した響きがありますが、どうしても電気的な上滑りな録音になりがちです。
ところがこの録音は事後のエコーやリバーブではないようなマイク・セッティングや
マイクそのものの音色を選んだのか判りませんが、人が座って弾いているイメージが
浮かんでくる稀な名録音だと思います。

音域としてもかなり伸びているのでしょうが、それでも耳当たりがいいのです。
譜面と編成のせいもあるのでしょうが、コクがあって、繊細な微粒子のような響きが
降り掛かってくるのだけれども、その一粒一粒が実は磨き上げられた球面のようで、
知らず知らずにパワーを上げてしまっても喧しくないのは生演奏の味に近いからでは
ないのかと感じます。後期の録音ですが、どこか最新鋭の鋭さを避けて、蓄音機的な
温もりを音響に与えている、そういう技があるようにも思えます。

考え過ぎと違いますか、たかが童謡の録音にそこまで熱心にやってないでしょう?
そうではないという根拠はなにもありませんが、異常なまでに高い音楽面での配慮が
あるのは一聴瞭然でありまして、オーケストラの重厚さも並大抵ではないし、演奏も
テンポ一定のような無表情さは皆無で隅々まで音楽が活き活きと鳴っています。
とにかく全体のスタッフのベクトルが合っていて、多くの人間の総力の結集がそこに
結実していることが伝わって来ます。

渡辺プロに対しての評価は色々あるようですが、ザ・ピーナッツ・ファンの立場では
古今最高のスタッフを擁した、望みうるベストな組織ではなかったかと思います。
プロダクション組織の良さという面がザ・ピーナッツにおいては最高に発揮されて、
人気や営業面は他にお任せ的で(笑)、ひたすら歌と踊りのクオリティ・アップに
邁進出来た幸福な歌手だったと思うのです。
そういう活動履歴で最も顕著に素晴らしさが残されているのがレコードです。
とにかく濃いのです。スタッフの熱意が凝縮された貴重な音源媒体が残りました。
<たかが童謡・唱歌>ではないのがザ・ピーナッツのレコード。

今、このような教科書からも消えていくような歌に世間が注目するようになりました。
さかんにCDも出て、売れ行きも好調なようです。
学校の教科書から古典的な歌が消え、新しいだけの若者の受け狙いのような人気曲が
採り入れられるのは情けない風潮です。なぜそこまで民主的に白痴化するのでしょう。
国語の教科で教えていない言葉が使われるのはバランスが悪いなどという尤もらしい
理屈で排除されたりしますが、教育というのは皆で一丸となって行うことなのです。
音楽の先生がきちんと歌詞の意味を噛み砕いて教えればいいのです。
音楽教育の範疇ではないなどと戯言を言うのは教育者として失格でしょう。

娘の卒業式に参列して情けないなと感じたのは「螢の光」さえ歌わないということ。
歌詞が古く現実的ではないから排除されたのでしょうか?
古い慣習は全て「悪」なのでしょうか?
屁理屈は色々あって、それを教育者側が推しているのだから情けないのです。
厳粛な式典ではなく、自由なイベントを目指すことが有意義なのでしょうか?
更にもっと早々と「仰げば尊し」も当然のようにオミットされてしまっています。
教師への感謝の気持を抱くことを強要しているというのが排除理由なのでしょうか?
長い間教えて頂いた教師へ感謝の気持を持てないようでは一体何を学んだのでしょう。
正面切っては照れくさくて直接言えない感謝の気持を歌で歌うあの想いは大切です。
また、今更のように自分はお世話になったのだと思い起こすきっかけにもなります。
先生も自分はそんなに尊敬されるべき行動をとってきただろうかと反省するのです。

「君が代」に至っては起立して斉唱しているのは私を含めたPTAの一部だけです。
様々な考え方があって個人の思想の自由を束縛してはいけない面は確かにありますが、
皆で行動を共にする協調意識や和合の気持を育てるのも教育だと思うのです。
自分の思うように好き勝手に考えて生きることが一番大事なのであるのならば何も
学校へ行く必要もなく、知識だけ家で学べばいいのですし、卒業式なんて要らない。
私も人一倍自我が強く他人とうまくやっていけない人種だと常々自覚しています。
だけど、それでいいんだなどとは一度も考えたことはありません。
考え方が違っても不本意であっても大局観で俯瞰して物事を考えることが必要です。
もしかしたら自分が間違っているかも知れないという心配をしなければいけません。

一事が万事といいます。
「螢の光」「仰げば尊し」「君が代」を素直に率直に歌えない時代は末世です。
これらは、人を尊い、愛する、思慕の念を育んだ「象徴的な」名曲なのです。
一番大事に扱われなければならないのは一人一人の個人です。自分なのです。
それはそうなのですが、それは自分という物体というだけの個体ではないのです。
自分の中にある「愛」という意識だと思います。それが人間の尊厳なのです。
だからもしかすると自分より先に身を案じるのは肉親であったりもするのです。
少年が子供を殺害したり、親が虐待したり、妻に暴行したりという事件が多過ぎます。
本来「愛しい」という感情が芽生えるべき人間の一番大切な部分が失われています。
こういう殺伐さと、たかが歌ではあっても、関係は無縁ではないと私は思います。

このアルバムではザ・ピーナッツの歌を聴かせる面よりも先に歌の良さ懐かしさを
味わってもらおうとする意識を強く感じます。
まるで学校の音楽の時間に一生懸命に練習した生徒のように真面目に素直に丁寧に
ピーナッツは歌っています。プロらしいいやらしさがないのがプロとも言えます。
童謡・唱歌の極め付きというような専門家によるアルバムでは逆に味わえないような
自然で身近な親近感を抱かせる歌声です。
発売当時もマスメディアを通じてこのアルバムが出されたというPRさえ無かった。
そのような商売を優先させた代物ではなく、スタッフの自己満足という感覚もある
ピーナッツからの贈り物のようなものだと感じます。
商品として一級ではなくても、これはピーナッツの最強のジャンルかも知れません。
そしてそれは天から恵まれたような私の大事な宝物だと感謝しています。

(2004.4.17記)