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♪カム・トゥゲザー 1972年頃(推定)
Come Together 作詞/作曲:J.Lennon P.Mccartney
編曲:宮川泰 コーラス:フォー・メイツ
演奏:ブルー・キャビネット・オーケストラ
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★ | ★★★★★ | ★★★★* |
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ザ・ピーナッツの歌の醍醐味を聴こうとすると、やや肩透かしを喰うかもしれません。
ザ・ビートルズのヒット曲のカバーをどんな風に歌うのかという聴き取り方の場合も
あれっという感じかも知れません。
どうもこれはビッグ・バンド・ジャズ・ロックの演奏楽器の一部にザ・ピーナッツが
編入されていて、メロディー部分の進行役を主に担っているという感覚だと思います。
声音にもややメカニックなエコーをかけて一種の色彩感を演出していて歌を聴かせる
というよりもマスで演奏を聴かせる意図に満ちています。
そういう趣向ですから当然ですがバンドの腕が一流でなければ聴けたものじゃない。
ブルー・キャビネット・オーケストラという名はレコーディング・ネームなので、
実体はナベプロ所属のフル・バンドが演奏しているか、スタジオ・ミュージシャンの
名人集団なんだろうなと思います。もうこれは「伴奏」というレベルじゃないです。
私はこういうの好きです。聞き所がた〜くさんあって楽しさが凝縮しています。
とにかく音楽としてレベルが高いはずなんだが、そんな小難しい理屈はどうでもよく、
なんかこれ、かっこいいな〜という感じだけで聞き惚れてしまいます。
少し脱線しますが、下の表を眺めて見て下さい。
レコーディング年 | 曲数 | ■=2曲(端数繰り上げ) ■=テープ商品 |
1959年(昭和34年) | 9 | ■■■■■ |
1960年(昭和35年) | 23 | ■■■■■■■■■■■■ |
1961年(昭和36年) | 30 | ■■■■■■■■■■■■■■■ |
1962年(昭和37年) | 29 | ■■■■■■■■■■■■■■■ |
1963年(昭和38年) | 42 | ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ |
1964年(昭和39年) | 26 | ■■■■■■■■■■■■■ |
1965年(昭和40年) | 28 | ■■■■■■■■■■■■■■ |
1966年(昭和41年) | 23 | ■■■■■■■■■■■■ |
1967年(昭和42年) | 23 | ■■■■■■■■■■■■ |
1968年(昭和43年) | 29 | ■■■■■■■■■■■■■■■ |
1969年(昭和44年) | 8 | ■■■■ |
1970年(昭和45年) | 42 | ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ |
1971年(昭和46年) | 32 | ■■■■■■■■■■■■■■■■ |
1972年(昭和47年) | 57 | ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ |
1973年(昭和48年) | 11 | ■■■■■■ |
1974年(昭和49年) | 5 | ■■■ |
1975年(昭和50年) | 2 | ■ |
メドレーは1曲としてカウント。ライブ盤でのヒット曲歌唱はカウントしない。
録音年がはっきり特定出来ない数曲があり推定も混じっていますが大局は変わらず、
このように図示してみることで何かが判ってくるという面があると思います。
最初の年の1959年(昭和34年)は、4月デビューでしたから少ないし、また、
1975年(昭和50年)は2月に引退表明しているので少なくて当然でしょう。
しかし、1969年(昭和44年)が異様に少ないのは何故なのでしょう。
まだ引退を決めてないのに、1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)
が、これも極端にレコーディングがされていません。
これを考えてみたい、というのが、今回のテーマです。
まず、1969年(昭和44年)の谷間のような落ち込みから考察してみましょう。
この年のレコーディングは下記の8曲だけでした。
悲しきタンゴ
愛しい人にさよならを
哀愁のヴァレンティーノ
夕陽に消えた恋
野いちご摘んで
ついて行きたい
ポルケ(録音だけで発売は見送られた)
哀しき小鳥のワルツ(録音だけで発売は見送られた)
前年が歌手活動10周年で、この年は従来の路線からの脱皮を検討されていたのでは
ないでしょうか。
すなわち、宮川泰、すぎやまこういちという馴染みの作曲家の歌を歌うのではなくて、
新しい路線をやってみようとされたので足踏み状態となった。などと考えてみました。
私、個人としては従来路線で大いに結構。素晴らしい曲ばかりだと思っていますが、
レコードの売れ行きなどの商売としては行き詰まりが見えたのかも知れません。
「野いちご摘んで」以後が結果的には新しい作家路線となったのは事実です。
作詞陣;山上路夫、橋本 淳、安井かずみ、荒木とよひさ、千家和也
作曲陣:沢田研二、クニ・河内、中村泰士、鈴木邦彦 、加瀬邦彦
このような新陣容が主体となって、以後、引退までヒット曲作りを目指したようです。
そして、1970年(昭和45年)以降は宮川先生はアレンジ一本に絞っています。
LPでも企画モノを次々にリリースし、幅広い選曲で世界中の名曲をピーナッツに
歌わせるぞ、とばかり、次々に録音をしています。
更に、アポロン音楽工業がカーステレオ用の8トラックカートリッジテープ商品を
発売すると、このソース作りにもザ・ピーナッツのアレンジを多数残されたのです。
脱線しましたが、要は、「カム・トゥゲザー」は、この時期の録音なのです。
この時期にはキング・レコードでのLPでも素晴らしい仕事をしています。
恋するメキシカン/夢のカリフォルニア/さよならキューバ
マンチェスターとリバプール/ノールウェーの森
オー・シャンゼリーゼ/アリベデルチ・ローマ
これらの録音は、もうザ・ピーナッツの至芸といってもいいくらいの出来栄えです。
いったいどこまで上手くなるのか天井が見えないというほどに感動しました。
このようなリリースが今後も続くならば、シャボン玉ホリデーが終わってしまった
その空虚感にも耐えられるという印象を強く抱きました。
これが言いたかったのです。
ところが、1973年(昭和48年)になると、この宮川先生の編曲シリーズも
パッタリ終わってしまうのです。
上記のヒット作を期待出来る作家による流行(候補)歌だけになってしまいます。
その路線も、1974年(昭和49年)には、たった5曲しか作られなくなり、
レギュラー番組はない。単発での出演も少ない。東京・神奈川での公演もない。
いくら待ってもLPアルバムも出る気配はない、の、ないない尽しとなりました。
どうなっているのか、この飢餓感というのは大変なもので、こんな調子ではもう
紅白歌合戦でのザ・ピーナッツは見れないかも知れないとも思いました。
この「カム・トゥゲザー」でも聴かれるような歌唱を何故もっと録音して、それを
リリースしてくれないのか。まだまだ世の中にはザ・ピーナッツに歌ってほしい
そういういい歌は無尽蔵にある筈だし、それがどうしても人気面、話題性の面で
商品としては売れず、今後は良いと判っていても慈善事業ではない厳しい競争の
レコード業界では、そんなコスト割れの録音は出来ないという面が出てきたのかも
知れません。実際、私が凄いLPだと感じた多くの盤がマスコミなどでは何にも
反応はなくて、ほんの一部のピーナッツ・ファン、音楽ファンだけが購入している
のが実体じゃないかなと思いました。残念ですが、実際もそうだったのでしょう。
この一年間で、私は、ザ・ピーナッツは引退した方がいいな、と考えました。
今迄にリリースした曲だけで我慢してください、というのでは活動を続けている
意義がありません。
まさか、人気歌手が雲霞のごとく登場しているそのなかで彼等と同じような流行歌で
対抗しようなんてことを考えていたわけではないと思うのです。
ポップスやスタンダードのピーナッツ流&宮川風カバーの楽しさが私には大きな
魅力であったので、それらを放棄せざるをえないならば、もう存在の意味がない。
そんな風に思っていたら、年末の紅白では「ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ」を
歌ってくれたので、あ、わかってるんだ。そういうのが聴きたいんだ、と狂喜して
これからもやってくれるのかな、と期待したら....引退されました。(泣)
そうです。この「カム・トゥゲザー」も含め、この年のレコーディングは実質的に
花火大会の最後を飾るナイアガラ仕掛け花火と三尺玉打ち上げみたいな録音です。
徹底的に味わい尽そうと思います。
(2004.6.14記)