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シャボン玉ホリデーのテーマ   1961年
   作詞:前田武彦 作曲:宮川 泰

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★* モノ

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シャボン玉ホリデー。
なんてノスタルジックで甘酸っぱい思いがこみ上げてくるフレーズなんでしょう。
な〜んにも無かった私の青春時代の唯一光り輝いていた時間だったと思います。
たかがテレビ番組にそんなに思い入れをするなんて如何につまらない生き方をして
いたんだと思われるでしょうが、ほんとにそう。
他には殆ど血が騒ぐようなことはなかった。
無為な一週間のうち、シャボン玉とヒットパレードの一時間だけがスポットライトを
浴びるように光り輝いて、その30分はかけがえのない30分だった。

中学二年の夏休みにそれは起きた。(正確には、7月30日)
最初は自分に何が起きているのかわからなかった。
それまでも見ていたこれらの番組に出ているザ・ピーナッツが「大怪獣モスラ」の
映画を見てから普通の意識で見れなくなってしまったのだ。
早い話が、ザ・ピーナッツ演じる小美人に恋心を抱いてしまったわけです。
それが、そうなんだと自己分析が出来ないので、何か妙な心情になっている自分を
どうすることも出来ず。モスラ映画の場面の絵ばかり描いてました。
絵を描いていると髪飾りの花はどんなだったんだろうとか細かいところが気になり、
また映画を見直しに行ったりして、6回も繰り返し観てしまいました。

夜空に浮かぶ月や歌詞にもある真昼の月の姿が意味あるものに感じられるようになり、
星空を眺めても庭の草木を眺めても、じわっと感傷的になって涙が滲んでくるのです。
もう何を見ても何をしてても、それを小美人と関連付けてしまうし、東京タワーなど
その最たるもので、もろにイメージはあの映画とリンクしていて今でもトラウマ状態。
ザ・ピーナッツが小美人役をしたのは分り切っているのに、小美人がザ・ピーナッツ
を演じているようにも錯覚する異様な感覚もありました。
もちろん、中2ですから、あれはあくまで虚構の世界であって、お伽話なのであって、
それに心を動かされるのは馬鹿げているのは重々承知だったのですが、理屈じゃない
別次元での真実がそこにあるような、あって欲しいような、あの思い...その感慨は
今でもその時の自分の精神状態が異常ではなく、あれでよかったんだと肯定出来るし、
それが自分の持ち味だと思うし、その時期の自分も愛おしい。

イメージとして妖精化しているザ・ピーナッツが出るシャボン玉ホリデーは、さらに
幻想度を一層強固なものにすることはあっても、夢が萎んでしまったり幻滅したりと
いう面は皆無で、ザ・ピーナッツとの短い逢瀬を過ごすことの出来る貴重な時間で、
その30分間は感覚的には大きな時空を超えた永遠の喜びでもありまた一瞬の煌めき
のような、すぐに終わってしまう、なんとも切ない余韻を残すのでありました。
特別にザ・ピーナッツ・ファンではなくても充分に楽しめるバラエティ番組でしたが
私には最上のファンタジックな夢の時間であって、客観的にどうのこうの評論出来る
資格などない熱中人種だったので、なにがどう良かったなどというレベルじゃなくて
こんな番組は(私の余生に於いては)絶対にもう登場しないと確信しています。

普通の人はいい加減に飽きたかも知れないオープニングのピーナッツの口パクの歌も
私には、ああ、また逢えた、これからもずっとこうして逢えればいいな、と思うし、
お決まりのコントもマンネリだと言う人も居たようだが、例えば孤島一コマ漫画等の
固定制約下だからこその発想の多彩さのような面白味が判らない気の毒な人達だとも
思え、とにかく、同じことを繰り返す、それが多ければ多いほど価値が見出せたし、
寅さん映画にも感じられるホッとする暖かみをも感じられた面もありました。

毎週毎週、よくあれだけの歌の素材を見つけて来て、その日のテーマに沿ってみたり、
とにかく番組の先頭の見せ場はザ・ピーナッツの新しい振付けでの歌とダンスでした。
ザ・ピーナッツはあれだけテレビに出ていたのにヒット曲が少ない、と評されますが、
ザ・ピーナッツの新曲を売り込むためだけの番組ではないのがシャボン玉ホリデー。
もしそれだったら592回も放送が続くわけがありません。
また、クレージーで人気を保っていた、という見方をされる場合もあるでしょうが、
必ずしもそうではない。クレージー単独では、やはりこれだけの長期の番組は不可能。
これは組合せの妙なのです。いっしょにやったからこそ最高の出来となったのです。

昨日、勤め先からの帰宅時に夕立ちがあって、大嫌いな雷もゴロゴロ鳴ってるので、
横浜ジョイナスのCDショップで長唄のCDを(笑)2枚買い、更に書店で本を物色。
すると目次に「ザ・ピーナッツ」の単語が見つかった。(こういうのには目敏い)
その本のタイトルは「こんな音楽があったんだ!(目からウロコのCDガイド)」。
7月22日の初版なので、細部のネタばらしをするわけにはいかないのですが....
手っ取り早く言えば、私の「レコード随想」で延々と述べている内容が単刀直入に
極めて短文で表現されているようなもの、というのが、ヒントです。

「日本人の才能(グローバルな才能の持ち主たち)」という章の中で2ページに渡り、
「音楽を楽しむ」とは何かという視点で、ザ・ピーナッツを紹介しています。
何でも彼女達風の流行歌にしちゃう....元の歌のルーツなど問題にしないことの凄み。
今の時代に大きく欠落しているものがあるとすれば、それは「音楽を楽しむ」という
大きな視野なのかも知れない。
ひたすら狭いジャンルやら行動に没頭してのハッピーさで満足してしまっていては、
日本のポップスの中でも最もイケてたアーティストの一人、ザ・ピーナッツのやって
いた音楽の素晴らしさなんかとうていわからないだろうし、その背後にいた本当の
プロたちの仕事も評価することも出来ないだろう....といった調子なのです。

この時代の音楽は、すべてプロのスタッフが用意してくれていた。だからこそ、私た
ちはそれを充分に楽しむことが出来た。今は違う。全ての音楽がオタク化している。
本物の音楽をさりげなく聴かせてくれるプロの味が、ザ・ピーナッツなのです。
この「さりげなく」の典型が、シャボン玉ホリデーで歌った色々な曲だったのです。
ラジオ体操のようにいつも同じステップを繰り返すことを覚えて見せたのではなく、
毎週毎週違うコンセプトでの歌と踊りに挑んだのです。
もちろん、ヒット曲にも歌の振りというのはありましたが、それがメインではなく、
ここが最重要なところで、その後に登場した踊れる歌手というのは自分のヒット曲の
振付けしか踊らないので「ザ・ピーナッツ」もそういう歌手だったのだろうという
とんでもない錯覚をしている人が大多数なのですが、これは大変な勘違いです。

具体的な名前を出した方がわかりやすいので使いますが、例えばピンク・レディや
キャンディーズ、WINKなども踊りますが、あの踊りだけでは、592回という
番組放送にはとても耐えられないであろうことは明らかでしょう。飽きるよね。
実に楽しそうに楽々と踊っていて、何の気なしに見ていたであろう茶の間の人達にも
大袈裟ではないけれど磨かれたショーの楽しさを品良く伝播していたと思うのです。
シャボン玉ホリデーの人気の秘密は何々であった、と単純化する記述を見ると私は
「それは違うな」と感じてなりません。あの番組は多くの才能が奇跡的に結集した
「夢番組」だったのです。ザ・ピーナッツには求心力という底力があったのです。

他のところに私が「ザ・ピーナッツを知らない日本人はいなかった」と書きましたが、
この本の著者は、みんなが知っていた「ザ・ピーナッツ」というコラム・タイトルを
使っています。そして言わんとするところのベクトルは同じ方向を指しているのです。
ザ・ピーナッツのことをそんなに書いている位なら、他の歌手のこともあるのかな、
と思われて買われると、ちょっと拍子抜けするかも知れませんから、ご注意下さい。
ポップスや歌謡曲だけに絞っていないCD100撰ですから日本人歌手自体稀です。
それだけに普遍性のある視点で書かれているので説得力があり、我が意を得たり、と
いう感を強く抱くことが出来ました。

さて、このシャボン玉ホリデーのテーマの録音ですが、レア・コレクションのように
歌から始まる収録とは別に番組の流れに沿ったファンファーレから始まる収録をした
CDもあります。(日本テレビのCDなど)
録音のバージョンも違うようです。それは最後のドラミングが違う事で判別出来ます。
ピーナッツの歌は瓜二つのように変動ありません。なんでだろ?
ファンファーレから始まる方が雰囲気があって、私は好きです。

最後のスター・ダストは番組の音源とは関係なく吹き込んだ録音のCDがありますが、
演奏はとてもゴージャスで歌もいっそう濃厚で悪くはないのですが、シャボン玉での
あのバージョンのムードとは違っていますので、違和感はあります。
これはザ・ピーナッツも進化しているし、ちゃんと歌ったスター・ダストも残したい
という意図だと思うので、とても良いものだと思いますが、テレビ用のオリジナルの
録音も(短いのだから)レア・コレクション向きだと思うのですが、どうなんだろう?

そのスターダストが♪..リフレイン..となるところでザ・ピーナッツがカメラの方に
歩いて来て画面から消え去るというのが毎度のパターンでした。
ああ、もう終わってしまった。という空虚な感傷に胸が痛む瞬間です。
この、さよなら、を12年間もリフレインしていたのだから、慣れてもいいのですが、
毎度毎度そこでもの悲しくなってしまうのです。これは完全に「恋」なのですね。
やはり、ザ・ピーナッツ=シャボン玉ホリデーなのであって、そこで一番活きていた。
諸行無常ですから終わってしまったのは残念でしたが、きっとこれで、ピーナッツも
引退されるのだろうと思い込んでいました。絶対にそうするだろうと信じてました。
それからも数年はまだ第一線で歌手を続けていましたが、事実上あそこでお終いです。

私はこの番組はただの一回も欠かさずに全て見ました。
こんなの自慢でも誇りでもありません。観ずにいられる筈がないじゃないですか。
見る為には万難を排除しました。色んなエピソードがありました。(笑)
どんな用事があろうとも、自分にとって何が最優先か、皆んな決めている筈です。
私にとって、それはシャボン玉であって、ザ・ピーナッツだったのです。
再放送は無いという時代でしたし、家庭用のビデオなんて、ずっと後年の事です。
一期一会ということです。見れなかったら、その回は一生見れないのですよ。
カラーでは3回しか見てません。綺麗だった。もっと見たかったなあ。
(2004.7.17.記)

「シャボン玉」という言葉でイメージされるのは、野口雨情作詞、中山晋平作曲の
童謡であることは、広い世代にわたって共通のものじゃないかと思います。
この歌はそのまんま子供の視点、気持をつかんで表していて、プロの先生というのは
物凄い感性を持っていらっしゃったんだな〜と感心します。
シャボンという言葉が生き残った一つにはこの歌がかなり貢献してると思います。
このシャボン玉遊びは貧富の差なく、どこの家の子供でも平等に遊べたようだったし、
かえって私の家より貧しい友達の方が、なかなか消えないシャボン液のコツがあって
工夫してたような記憶もありますが、今ではストローなんかわけなく手に入りますが
昔はこれがネックで、遊びに使えない面があったようにも思います。

「屋根まで飛んだ」というのが、たまらなくいいですね。
「風、風吹くな」というのも、子供の気持そのまま。よくこういう詩がかけるなあ。
2番になると、センチメンタルな歌詞に急変します。
「飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた」子供には悔しい状態ですよね。
なんで、この歌詞があるのだろうと不思議に思ってました。
ネットで調べたら雨情さんの最初のお子さんは女の子で生まれてわずか7日目に亡く
なられたそうです。そういう背景もあったのでしょうが、この影の部分が明るい歌を
コントラスト的に際立たせているという面もあるのかも知れません。
私も最初の子が流産でしたから悲しみのかけらくらいは共感出来ますが、その気持を
ストレートな表現ではない言葉で昇華出来るのは素晴らしいし、亡くなった長女には
なによりも素敵で愛らしい鎮魂歌となったことでしょう。

さて、このシャボン玉は大正時代の歌です。そして昭和のシャボン玉としての後継を
担ったといっても過言ではないと思うのが、シャボン玉ホリデーのテーマでしょう。
作品としての価値はテレビ番組の主題歌ということから、やや軽視され勝ちですが、
昭和という時代のメディアなのであって、発表された場を論じるのはナンセンス。
いいものは、いいんです。
「ロマンテックな夢ね 丸い素敵な夢ね リズムに乗せて運んでくるのね」
簡潔ですが、こんなに楽しさを活き活きと表現するのは並み大抵の才能じゃないです。
だらだらと沢山の言葉を書き列ねるよりも、行間にまで明るさが滲み出てくるようで、
繰り返し聴いても、やっぱり素敵な歌詞だと思います。

この歌には2番も歌詞もあります。
「ダークブルーの空に 光るあの星いくつ 今宵は君と楽しく過ごそう」
ここへくると、ちょっぴり大人っぽくなって、恋、という感情も歌われています。
この2番まで歌うとどこか切なく甘酸っぱい予感がしてくるのです。
この歌詞にはこのメロディーしかないでしょうという作曲をしているのが宮川先生。
よく音楽が先に出来て、というケースもあるらしいのですが、この歌は絶対に歌詞が
先であって、また、あっという間に出来てしまったような曲のような気もします。
あれこれとこねくりまわしたような曲じゃありません。自然発生的で宇宙真理的。
意外かもしれませんが、宮川先生の初めてのオリジナル作品かも知れませんね。

これも異論はあるかも知れませんが、ザ・ピーナッツの代表曲であると思ってます。
「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東京」「恋のフーガ」などよりも大ヒットした
名曲だと言っても間違いじゃないと思うし「モスラの歌」だって爆発的大ヒット曲。
そういう視点から眺めると、今回発売された「レア・コレクション」は、珍しいと
いう表現は似つかわしくなくて、むしろ、超メジャー級のザ・ピーナッツのヒットが
収録されている「代表的作品群のCD」ではないかという見方も出来ると思います。
(2004.7.18追記)