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さくら貝の歌  1971.02
   作詞:土屋花情 作曲:八洲秀章 編曲:一の瀬義孝
   演奏:オールスターズ・レオン
   録音:1970.11.18 キングレコード音羽スタジオ
  

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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この歌が作られたのは、昭和14年(1939)秋のこと。
胸を病んで亡くなった十八歳の女性は青年八州秀章(本名鈴木義光)の初恋の女性。
作曲家を志し北海道から上京する直前の出来事だった。八州秀章は北海道の開拓者の
次男。ゲーテやバイロン、ハイネ、土井晩翠の詩に感銘をうけ読んでいた子供時代。
鎌倉・由比ヶ浜の近く住んでいたので、さくら貝に亡くなった恋人へを偲んで、
「わが恋のごとく悲しやさくら貝 片ひらのみのさみしくありて」という短歌を
作った。この短歌をモチーフにして、彼の友人・土屋花情(当時逗子町役場職員)が
作ったのが今、歌われている歌詞である。鈴木が作詞を頼んだのだという。

ペンネーム八州秀章にした理由は、恋偲び亡くなった女性の名前「八重子」の八、
法名「誓願院釈秀満大九、姉」の秀をもらった。
 作曲家を目指していた鈴木がこれにメロディーをつけ、名曲『さくら貝の歌』が
できあがったのだが、この歌は、その後ほとんど知られることはなかった。
だが、
山田耕筰が気に入り、昭和24年にNHK「ラジオ歌謡」として放送したところ、
一躍多くの人たちに親しまれるようになった。
弟子を持たないといわれたていた作曲家山田耕作であったが、八州秀章の温かい人柄
と清い精神を気に入り、八州秀章は山田耕作の師事を得た。
「ラジオ歌謡」で流れた「さくら貝の歌」は山田耕作が編曲してあげたという話しだ。

まだ商売の道具と化していなかった時代の昭和三十四年第一回レコード大賞の童謡賞
を受賞。八州秀章は昭和六十年十二月七十歳他界した。
逗子市浪子不動の近くの公園に「さくら貝の歌」の歌碑が平成三年に建てられた。
八州秀章は他に「あざみの歌」「チャペルの鐘」「マリモの歌」の作曲がある。
(以上、童謡新聞 「心の故郷」他より、抜粋)

これ程純粋に愛されて、またこの世を去ってからも、彼女への思いを讀んだこの歌が
皆の心の琴線を振わせるという永遠の愛があるのなら彼女の魂も安らかだろうと思う。
こんなに清らかな歌はそうそうあるものではありません。まさに名曲です。
これだけの歌ともなると歌い手を選ぶと私は感じます。
クラシック系の発声で歌うのは清浄な精神が表現されますが、愛と暖かみに乏しい。
ザ・ピーナッツの歌声はベスト・マッチだと私は思う。

偶然、アンカーさんから頂いたLPに倍賞千恵子さんの歌が入っておりました。
http://homepage.mac.com/infant/omotya/female.html
この中の「さくら貝のうた」絶品です。倍賞さんにお似合いだと思います。
私、倍賞さんの声にも惹かれます。清々しくて優しくて、いいなあ。
なんたって「さくらさん」だからね。(笑)
寅さんの演技も素晴らしいですね。(あの映画は出演者みんな良いけども)
演技じゃなくて、ああいう優しい人だと本気で思ってしまいますよね。

さて、ピーナッツの「さくら貝の歌」なのですが、宮川先生の編曲じゃありません。
わざわざ書くことはないけれど、殆ど宮川さんのアレンジが多いので、逆にそこが
特徴になると思うのです。この歌は宮川先生では明るさが出て来たのかもしれない。
あまり楽しく明るいのは似合わない歌だと思います。
まあ、それだけに年中繰り替えし聴いて楽しむという歌でもないように思いますが、
左側に展開する弦楽器の調べが哀切でたまりません。いいアレンジですね。
最後の浜辺に打ち寄せる波のSEの入れかたも適切です。

私の大好きなレコードですが、CD化されたのはまだ一回だけです。
もしザ・ピーナッツ・ドリーム・ボックスが入手出来るならお求めになった方が
いいと思います。お金は天下の回りものですが、この録音がこれからも発売される
保証はないのですから。損はないと思います。(損得の問題じゃないけど)
(2004.10.9.記)