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さよならキューバ  1972.04
 CUANDO SALI DE CUBA
  あらかはひろし訳詩 原曲:L.Aguile 
  編曲:宮川 泰 演奏:宮川泰とルーパス・グランドオーケストラ
  録音:1972.01.10 キングレコード音羽スタジオ

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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実質的には企画アルバムとしては最後になった「世界の女たち」に収録されたポップス
名曲のカバーです。
現役時代の最後の新作もののLPは「情熱の砂漠〜ジャスト・ナウ・ザ・ピーナッツ」
がありますし、その前には「ザ・ピーナッツ・オン・ステージ」も出ているのですが、
前者は本来シングル盤で出したいオリジナル曲をまとめたような感じでありますし、
後者はライブ盤(昔風にいうと実況録音盤)なので、意欲作としては「世界の女たち」
が最後と言っていいんじゃないかと思います。

A面は「女(ひと)シリーズ」プラスワンという流行歌オリジナルでB面がポップス
カバー曲集となっていますが、聞き物は当然B面と言ってもいいでしょう。
コーラスグループとしてのザ・ピーナッツの最高の技術がここでは聴かれます。
もう、この域に達することの出来るデュオはザ・ピーナッツ以外考えられませんね。
上手とかのレベルじゃなくて神業です。マルチトラック録音が常識になってますから
ザ・ピーナッツが時折4人に変化して異次元の音響と天国的な心地よさが聴けます。

この「さよならキューバ」というのは普遍的・恒久的な名曲なのですが、最近はこの
曲が流されるような場面に遭遇することはなくなりました。
懐メロポップス番組でも全く歌われることはないようで、そんなものかなと不思議。
この歌唱はあのドイツベア・ファミリーのCD「SOUVENIRS AUS TOKIO」にも入って
いますので、選曲したあちらの人が聴いても、これは良い録音だと感じたのでしょう。
実際、とても大らかで気持の良い歌であって、上手さや巧みさを感じさせるのでなく、
音楽の楽しさがフワフワと弾むような気分の昂揚さだけが滲み出る名演です。

「SOUVENIRS AUS TOKIO」にも入ってと書きましたが、この曲をお聞きになる場合は
このCDではなく「音楽市場シリーズ 世界の女たち/ザ・ピーナッツ」のCD側を
強く薦めます。アルバムでの曲の流れという面も当然あるのですが、それよりも
音質が極端に違いますので、キング純正版を聴いて頂くのが一番です。
マスターが違うわけないのですが、「SOUVENIRS AUS TOKIO」は音を明らかに加工し、
コントラストを強めています。エッジが立って鮮烈な響きですが、こういう音色は
CDラジカセのような安直な装置でメリハリの利いた音を得るメリットしかないので
ちゃんとしたステレオ装置で聴く場合は疲れてしまいます。

「音楽市場シリーズ」のCDはアナログのLPの音質がそうだったように滑らかな
音質でありながらも倍音成分までしっかりと捉えており、ザ・ピーナッツの歌声は
柔らかく暖かくて金属質には響きませんが、金管楽器やシンバルは金物の音がして、
実に自然で名録音だと感じます。
こういう繊細な音の違いを出せるのは、キングの技術陣がドイツベア・ファミリーを
凌駕しているからに違いなく、大ざっぱに全体をがっちり表現する指向との違いが
あるのは国民性かも知れません。舶来品もたいしたことないですねえ。
ドイツの人はもっと耳がいいのかと思いましたが? そういえばドイツ製の機器と
いうものは我が家には音がバカでかいヒゲ剃りしかありませんでした。

このLPが出た年にはシャボン玉ホリデーも終わってしまって、こういうカバー曲を
ピーナッツがテレビで歌う機会が皆無となってしまいました。
単発で歌謡番組やドリフターズのバラエティには出てはいましたが、そういう場では
普通の歌手と同じようにオリジナルを一曲だけ歌ってお終いなのですから、それでは
ザ・ピーナッツが番組に出る意義というものが感じられず、終わったな、という印象
を持ったものでした。その後も紅白にはまだまだ出られたのですが、ピーナッツの
第一線での活躍はもう無かったといっても過言ではないでしょう。

まだまだ渡辺プロは強大な影響力があった時代でしたので、シャボン玉ホリデーが
終わったのは仕方がないにしても、落着いた感じの音楽番組を午後10時過ぎにでも
製作してザ・ピーナッツのレギュラー番組は絶対に存続させるべきだったと思います。
アイドル的な要素の面では既に無理な年齢ではありましたが、純然たるコーラスの
実力面だけでも立派に通用する歌手であり、ポピュラー音楽はその時代時代に尽きる
ことなく続いているので、良い歌はいくらでもテレビで紹介し続けられたはずです。
一週間に一度であればご結婚されてもなんとか出来るようにも思いましたし、ママに
なったピーナッツの子守唄なんてのも聴いてみたいものでした。

この曲を聴いていると、こんなにポップス・カバーを楽しく親近感を持って聴ける
歌手というのはザ・ピーナッツが一番じゃなかろうかという気がします。
人気競争という不毛の戦いからは脱落ではなく脱皮していたと感じるのですから
ザ・ピーナッツがもう充分やったから辞めたいと言い出すような隙間風の吹く仕事
ではない一生取り組めるようなミュージックフェアのようなレギュラーが持てたら
音楽界もちょっとはましな情勢になっていたかも知れませんね。

当時、こんな素晴らしいレコードが出ていたのに、私の年代の連中ときたらセンスが
なくて殆ど買った人なんか居なかったと思います。
今頃、あの頃の歌は良かったなんて言うのは、おかしいのです。
当時だって目先の変った歌手にみんなが飛びついていたのが実情で、大衆というのは
自分のしっかりした価値観がなくて、フォークだのニューミュージックだのの言葉に
操られていただけです。レーベルが新しいだけで中身は同じなのにね。

ポップスカバーが懐かしいから聴いているのではなくて、素性がどんな曲であっても
いい音楽だから、今でも聴いているのです。
古い音楽、新しい音楽なんてものはない。いいものとつまらないものだけの違いが
あるだけで、この一連の曲の流れは超一流の素晴らしい音楽だと思います。
そして、それが難解でもなく、素直にわかりやすく耳に響く、これがいいですねえ。
(2005.1.9記)