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♪しあわせの誓い 1970.03
HAPPY'S COMING
作詞:山上路夫 作曲:沢田研二 編曲:クニ・河内
演奏:オールスターズ・レオン
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★ | ★★★ | ★★★ | ★★★ |
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この歌は正直に申し上げますと、あまり好きではありません。
どこかでこのカップリング曲「男と女の世界/しあわせの誓い」はクラブ風の今様な
感覚があって素晴らしいという評価を見たのですが、そういうものかなあと不思議な
感覚を持ちました。そもそもクラブというのが不勉強で良くわかりません。
うんと昔「少年クラブ」なんて雑誌がありましたが、関係なさそうだし。
座るだけで何万円とか取られた高級ナイト・クラブも、関係なさそうだし。
どうもネットで調べると、クラブというのは、小さな音楽鑑賞場所のような感じだと
思うのだけど、こういう定義で良いのかしら???
ということはあまりメジャーにはならなくてもそこの聴衆に支持される音楽があって、
そこにもちゃんとした価値が在るという、判る人が判ればいいという面もある独特の
世界のようなイメージですから、そういう意味では感覚的にこの曲がクラブ風という
カテゴリーに入りそうなのは納得出来そうです。
つまりは新感覚なのです。ところが35年経った今でも新感覚なんです。
だからこれは「新しい」のではなくて「妙な」音楽だったのではないでしょうか。
どうもこの2曲とも詩と曲とアレンジがバラバラという感じがしてならない。
この曲であれば最近の若い人が好むような散文的な前後に脈路のないような歌詞を
付ければ面白いと思う。詩が当たり前過ぎているのに曲が跳んでしまっているんだ。
だから隙間風が吹き抜けるような白けた感じがフト漂ってしまうのだと思う。
それでも何とか歌になっているのはザ・ピーナッツが歌っているからでしかない。
サウンドはもう現在の録音とも遜色ないが、それだけに魅力もない。明晰なだけだ。
もっとガツンガツンという実在感のある低音楽器が伴わないとバランスが悪い。
たたみこむような音をもっと並べて欲しい。オシャレな感じはあるのだけど、それを
生かし切っていないし、やっていることが中途半端だ。
声のエコー処理も土管の中で響くような感じでは興醒めでしかない。
メカニックな線を狙ったのかも知れないけど、汚い響きがあまり気持よくないし、
宇宙的な異次元感覚の表現であればプロなんだからもっともっと他にやり方はある筈。
編曲はまだしも、作曲は宮川先生とすぎやま先生を軸にするのがピーナッツの基本。
その理念を喪失していた悪夢の時代の産物なので、私は褒める気にはなれない。
ローマの雨/銀色の道
東京ブルーレイン(鈴木淳)/しあわせの花を摘もう
恋のフーガ/離れないで(筒美京平)
恋のオフェリア/愛のフィナーレ
恋のロンド/愛への祈り
ガラスの城(鈴木邦彦)/たった一度の夢
悲しきタンゴ/愛しい人にさよならを
哀愁のヴァレンティーノ/夕陽に消えた恋
ここまでが、宮川&すぎやまを中心とした路線であって、誠に素晴らしい楽曲が
煌めく星座のように並んでおり、順風満帆であって、何も不足がない。完璧である。
異色の作家だけをカッコでくくれた程度で、その異色が良く活かされてもいる。
ところが.....以後は異色ばかりで、ダッチロール状態に陥っている。
野いちご摘んで/ついて行きたい
男と女の世界/しあわせの誓い
東京の人/愛が終わったとき
大阪の女/青白いバラ
なんの気なしに/北国の恋
サンフランシスコの女/ロンリー香港(宮川泰)
リオの女/恋のカーニバル
さよならは突然に/夜行列車
指輪のあとに/最終便
情熱の砂漠/あの時もし
気になる噂/ひとり暮し
愛のゆくえ/さよならは微笑んで
以後はB面の1曲だけ宮川先生だが、これがむしろ例外的であって、私が望む基本の
路線からはずっと逸脱したままであった。もう引退を決めた後であろうが、本来の
あるべき姿に戻ったのである。それは最後の2枚のシングルであった。
お別れですあなた(すぎやまこういち)/季節めぐり(すぎやまこういち)
浮気なあいつ(宮川泰)/よこがお(すぎやまこういち)
もちろん、私が迷走していると悪く表現した時代でも良い歌は生まれてはいるのだが、
どうにも歩留まりが悪過ぎる。あまりレコードに針を落としたいという気になれない。
だから、この時代のレコードは今でも新品同様でパチパチノイズが殆どない。(笑)
ジャケットだけが素敵になった変な時代だった。(ピーナッツ盤に限らないが)
歌手生活10周年を過ぎたので、作家の一新をして、新しいザ・ピーナッツの世界を
構築してみたいという意気込みだったのかも知れないが、結果的に人気を得たのは
従来の路線上にあった曲調のものではなかったか?
35年前のことを今更、もし...というのは変な話だと承知で書きますが、もしも、
宮川〜すぎやまコンビでの作品をこの5年余り継続していたら、とんでもないほどの
素晴らしい名曲が生まれた可能性だってあったと思うのです。例えそうではなくても、
「野いちご摘んで」〜「さよならは微笑んで」の24曲よりは、確実にレベルの高い
楽曲を我々はピーナッツの歌で聴く事が出来たと思うので、これが残念です。
それ以前のスタイルだって、けっして同じようなことばかりやっていたわけではなく、
プロ中のプロの宮川〜すぎやまコンビでも非常に多彩な作品が生まれていたのです。
マンネリなどという表現はこのお二人には当てはまらないと信じています。
これはザ・ピーナッツに限ったことではないのですが、路線変更のような新基軸を
目差すというのが流行歌手にはいつもつきまとうようです。
これは私にはナンセンスのように思えてなりません。
ザ・ピーナッツの歌の世界の基調は「夢とロマン」だと思うのです。
ロマンチックな夢をリズムにのせて運んで来る歌手なのです。
そこには年齢なんて関係ないのです。もう三十路に入るから大人の歌をというのは
貧弱な発想で、大人の歌は他の方に任せておけば良かったのです。
生活感の無いこともザ・ピーナッツの大切な要素でした、私生活歌謡を歌うのも他の
人がいくらでも居ました。あくまでファンタジー路線で貫いて欲しかった。
そういう路線での第一人者が宮川&すぎやまなんですから、外さないで欲しかった。
この時代は歌謡界は大変な盛り上がりがあって新しい路線も次々に参入しての盛況で
さすがのピーナッツの存在も霞みがち、そういう焦りもあったのでしょうね。
ネガティブなことばかり書きましたが、歴史は変えられませんし、良い意味でも別の
味わいがあることは事実でしょう。
私が好きじゃなくても作品の価値が低いということではありません。
この時代のピーナッツの歌の世界が好きという方が居られることも事実です。
実際、この録音はかなり意欲的に手間と費用もかかっている労作だとは感じます。
2005.3.13記