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♪島原地方の子守唄 1970.07
(長崎県民謡)→(CDでは宮崎県と書いてありますが...)
作詞:宮崎耿平・妻城良夫 作曲:宮崎耿平 編曲:宮川 泰
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★ | ★★★★ | ★★★★ |
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この「島原地方の子守唄」が収録されている「お国自慢だ!ピーナッツ」のCDは
私は凄い名盤だと思うのです。次第にその認識が私の中で強まってきました。
オリジナルの音楽テープは存在すら知らなかったので、このCDで初めて耳にした
わけですから、私にとっては懐かしいものではなく、新鮮な録音だったのです。
最初は、なんだこれは? という妙な感覚もありましたが、今では愛聴盤となって
これは凄いんじゃないのかなあ〜とじわじわ感動している次第です。
ザ・ピーナッツは「島原地方の子守唄」というタイトルで歌っていますが、他には
「島原の子守唄」という題名でも歌われています。この歌の背景などを知りたいと
思う方は「島原の子守唄」としてネット検索すると色々なことがわかります。
子守唄といっても「シューベルトの子守唄」のように母が愛しい子供を寝かす時に
歌うような赤ちゃんの為に歌っているわけではなくて、この歌は子守をする子供の
思いを歌ったものなので、かなりニュアンスが異なります。
私の祖母はハツという名で長女でしたが、農村は何故か子沢山が多く、下の子供の
子守は勿論、学校など行かせてもらえず、畑仕事ばかりで、歳が来ると口減らしで
奉公に出されてしまったのだそうです。
このような明治生まれの農村の子供の悲惨さはNHKテレビドラマの「おしん」で
よく知れ渡っていることでもあります。実在のモデルがあってもフィクションでは
ありますが、あまりに世間にありふれたものなので、あの悲惨さはフィクションと
いうわけではありません。
子役の小林綾子ちゃんの出ている少女編36話は日本人だけでなく同じ思いをした
東南アジアの人々にも涙が止らないほどの感動を与えたが、頑張って成功しちゃう
ところからは興醒めという面もあるようです。立身出世のお話にするのじゃなくて
普通の女性としての晩年であった方がもっとよかったのにね。
(別に個人的に田中裕子さんが嫌いというわけじゃないのですが=本当かな:笑)
普通の母親になった祖母は計算は出来るのですが、読み書きが出来なくて、それが
残念で仕方がない様子でした。新聞を見ながら、これは何という字だ、とか、何が
書いてあるのか、とか、よく私に聞いていました。
この「島原地方の子守唄」には、そういうドロドロとした悲惨な子供達の気持ちが
歌い込まれているので、けっして爽やかな懐かしい郷愁がある歌ではありません。
(1)おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
鬼の池久助どんの 連れんこらるばい
鬼の池久助というのは人身売買のブローカーで女の子を買いに来る恐ろしい
存在なので、早く寝ないと連れて行かれるよと赤子を脅かしているのだが、
自分自身は何の色気もない娘だから、きっと大丈夫だと思い込みたいという
切実な思いも込められている。
(2)帰りにゃ寄っちょくれんか帰りにゃ寄っちょくれんか あばら家じゃけんど
唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 黄金飯ばよ しょうかいな
嫁御んべにな だがくれた つばつけたら あったかろ
芋と粟の飯だから、黄金色で綺麗だよとは言っているが、白いご飯が食べら
れないという貧しさを嘆いているのが前半。
後半は、お嫁さんの赤い口紅は誰がくれたのかしら? 唾をつけたら燃える
ようにきれいだろうに、と歌っている。そのお嫁さんは「からゆきさん」で
あって、華僑の富豪等に見初められて妾になった女性を羨望と蔑みの両面の
複雑な心境で歌っている。
(3)沖の不知火 沖の不知火 燃えては消える
バテレン祭りの バテレン祭りの 笛や太鼓も鳴りやんだ
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
(この3番は意訳不要でしょう)
実際には6番まで歌詞が存在し、全ての歌詞が歌われることによってその悲惨さが
浮き彫りになる面がありますが、辟易してしまいますので3番に留めたのでしょう。
東北地方の農村のそれは女衒によって都の郭などに売り飛ばされる場合が多いのに
対し、島原地方では、貿易が盛んなために、娘達は中国、東南アジア、アフリカ、
ロシア等に連れて行かれたという悲惨な歴史が歌い継がれたものなのです。
キリスト教徒弾圧の歴史の地でもあり、繰返す雲仙普賢岳噴火災害など、辛酸を嘗め
る思いばかりの、そんな島原地方の子守唄は、また情がこもっていると思うのです。
以下は私の想像ですが、作詞・作曲のお名前があるのは、この地方に歌い継がれて
いたこの曲を発掘されたのではないかと思います。
国威昂揚の時代には、こんな情けないみっともない歌を歌うことは禁じられていて、
太平洋戦争終戦後、暫く経ってから、自由な意識が本当に浸透してから、この歌も
歌ってよいという風潮になったのではないかと思うのです。
このような歌がCDに入って売っている、この事実が平和で自由な日本を象徴して
いるようにも感じます。誇りに思ってもいいかも知れません。
さて、ザ・ピーナッツの「島原地方の子守唄」であるが、アルバムのその他の曲が
原曲本来の持ち味とは異なった面白さを狙っているのに比べて、この歌に関しては
私は違和感を全く感じない。これは不思議な現象とも思われる。
その秘密はやはり島原地方にあるのかも知れない。
というのは外国船が昔から盛んに出入りした地域でもあり、カトリック布教も早く、
西洋的な音楽も根付いたかも知れず、チェンバロから始まる導入部などは奇抜でも
あるけれども妙にしっとりと旋律に馴染んでいて、尺八が入っても曲が仲立ちして
全てを一体化してしまう面があるので、異国籍風であっても、変ではないのです。
ハーモニーをあえて付けずに、淡々とザ・ピーナッツは歌っています。
そこには何の技巧も施されていません。上手い等と褒められようなんて意識皆無。
ここにセンスの良さが逆に光っていると私は感じます。
正直言って、最初に聴いた時は、何の魅力も感じませんでした。
しかし後で、ザ・ピーナッツも宮川先生も只者じゃないと思い知らされました。
なかなかに渋いところがある作品に仕上がっております。
(2005.6.19記)