■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

小樽のひとよ  1969年(昭和44年)
   作詞:池田充男 作曲:鶴岡雅義 原編曲:鶴岡雅義
   コーラス:フォー・メイツ 編曲:森岡賢一郎
   演奏:アポロン・グランド・ポップス・オーケストラ

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★ ★★★★

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

この歌は演歌系などあまり得意にしていない私なのですが元々大好きな歌でした。
石原裕次郎さんの「二人の世界」と同様に、鶴岡雅義さんのレキント・ギターの
旋律がとても素敵で、そこが気に入っていたのだと思います。
このレキント・ギターというものが私は欲しくて楽器屋に行ったのですが一般的な
楽器ではないので目の玉が飛び出すほどのお値段でとても買える代物ではなくて、
ウクレレ代用で真似事をして遊んでいました。

レキントとは、スペイン語でrequinto「5度高い」という意味だそうです。
通常のギターより5度高く調弦されたこのギターは、普通のものより小振りです。
メキシコのトリオ・ロス・パンチョスのレコードでも花形楽器で登場していますが、
彼等が用いて世界に広まったそうですから当り前なのかもしれません。
さて「小樽のひとよ」では、イントロのメロディーもお馴染みですが、装飾的演奏の
部分がこれまた凄く良くて、このギターの伴奏込みという前提で大変な名曲だなあと
私は勝手に思い込んでいます。

ザ・ピーナッツの歌は、この名曲の良いところのエッセンスを少しも壊していないし、
ザ・ピーナッツが歌うとこうなるよというような付加価値を与えているわけでもない。
「何も足さない、何も引かない」という良さがあります。
それじゃ存在価値はないじゃないか、ということになりそうですが、そうじゃない。
何処が良いかというと、ストレートな透明感が感じられるところなんです。
この曲の楽曲としての真価を100%発揮していると感じられるのです。
なんていい歌なんだろう、と今更ながら気付かせてくれる、そんな歌手はそうざらに
居るものじゃないと思います。ザ・ピーナッツはむしろここでは消えているんです。

アレンジャーのお名前が記載されておりませんが、これは恐らく森岡賢一郎さんでは
ないかと思います。
オリジナルの編曲の味を全く崩さないように気配りされています。普通なら何らかの
細工をしたいところだと思うのですが、余計なことはなにもしてはいません。
恐らく弦楽器のハーモニー成分など細かいところでは隠し味の度合等を変化させたり、
もっと良くしてやろうという工夫はあると思いますが、編曲というお仕事の印象では
これも「何も足さない、何も引かない」姿勢でありますが、何も仕事をしていないと
いうわけではないのだと思うのです。やっていることが素人にはわからないだけです。

バック・コーラスはフォー・メイツでザ・ピーナッツのバックでは定番化しています。
いわば黒子的な存在ではありますが、そのクオリティは非常に高度だと思います。
いつもそう感じてはいるのですが、この曲ではいっそうその感が強いです。
彼等なしでは、このジーンとくる良さが醸し出されることはなかったでしょう。絶賛。
ソロ演奏者も楽団名も記載されてはいませんが、ナベプロ御用達のミュージシャンで
構成されているのに間違いありません。聴けば聴くほど、これも高度な出来です。

☆ピーナッツ・ホリデー☆のアンカーさんから掲示板にご投稿頂いた資料を見ますと
これは昭和44年発売の8トラック・テープが元の音源のようです。
http://peanuts-holiday.m78.com/Kayo100nen01.jpg
http://peanuts-holiday.m78.com/Kayo100nen02.jpg
このアポロンの「歌謡百年大全集」のために、この録音をしたのだろうと確信します。
恐らく「上海帰りのリル」と「上を向いて歩こう」も同様なのでしょう。

「上を向いて歩こう」については過去の随想がここにあります。
http://homepage.mac.com/infant/home/075.html
>時代背景も違うのでしょうが、ピーナッツの歌は無為無策とも感じられるように
>ただただ普通に当たり前にオリジナルに沿って歌っています。
このようにここに書いていますが、この印象が「小樽のひとよ」でも当てはまります。
ザ・ピーナッツの歌も編曲もひたすらこの曲に敬意を表し、曲に奉仕しているのです。
これは「歌謡百年大全集」の意図を十分に理解しているからに違いありません。
それでもザ・ピーナッツという歌手の良さを聴き取ることが出来るのです。
これは素晴らしいことではないでしょうか。
(2005.8.20記)