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上海帰りのリル  1969年(昭和44年)
   作詞:東条寿三郎 作曲:渡久地政信 編曲:宮川 泰
   演奏:アポロン・グランド・ポップス・オーケストラ

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★ ★★★★

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この歌くらい古いものになると殆ど幼年期の記憶しかないのに、それでも歌詞など
ちゃんと覚えているというのは、昔は頻繁にヒット曲が出ないから、いつまでも
ラジオなどで繰返し流れていたのではないかと思う。
曲の紹介など不可能な世代なので「流行歌(はやりうた)百年」の解説を引用します。

 1951(昭和26)年、津村謙が歌って大ヒットし、その声を「ビロードの声」
 と評されるほどのブームとなった。作曲の渡久地政信はこの曲で歌手から作曲家
 に転じて成功を収めた。云わずとしれた戦前、ディック・ミネが歌った「上海リ
 ル」のアンサー・ソングで、オリジナルはハリウッド・ミュージカル『フット・
 ライト・パレード』(33年)のナンバー。昭和27年には新東宝で同名映画が
 作られている。宮川泰編曲によるザ・ピーナッツ版はタンゴ調。

「云わずとしれた....」と書いてありますが、まだ生まれていないので、調べなけ
れば何のことやらさっぱりわかりません。ネットで検索してみました。
 
 上海リルという名前は、室戸台風があった昭和9年に公開されたワーナー映画『フ
 ットライト・パレード』の主題歌『上海リル』から採られたようです。
 『上海リル』はW・ワーレン作曲・服部龍太郎訳詞で、昭和9年に歌川幸子、10
 年にディック・ミネが歌いました。
 日本の敗戦とともに、大陸や南方各地に散っていた多数の日本人たちが引き揚げて
 きました。その混乱のなかで、さまざまな生き別れや死に別れがありました。
 「上海帰りのリル」は、そんな社会情勢を背景として作られたものです。
 歌詞にある四馬路は上海にあった歓楽街。「四馬路」とは四頭だての馬車が通れる
 ほどの広い通りの繁華街という意味。

ちなみに「ハマのキャバレーに居た」の「ハマ」は横浜のことです。これ位はわかる。
しかし、ハマとヨコハマは違うような気もする。
ブルー・ライト・ヨコハマでの横浜と当時では全く状況が違うし、ブルー・ライトの
時代と今のミナト・未来・21でも景色からして違う。それだけ時代が変遷している。
当時のハマは私の生まれ育った頃なのだろう。荒廃していた風景を想定するべきだ。
神奈川区亀住町で生まれた私の最初の写真は傍にあった進駐軍の兵隊さんが撮った。
鉄条網越しに撮られた亡き祖母に抱かれている写真のバックは凄まじい破壊のあとを
物語る様相で、よくここから日本は復興したものだと思わざるをえない。
現代での戦争で痛めつけられた難民とも似てはいるが、そういう写真と異なっている
のは祖母の視線である。うつろではなく強い意志が感じられる。ここが違うんだな。

宮川泰編曲となれば、さぞかし面白いアレンジかなと予感するが、ここではそういう
趣向は全く無い。しいて挙げれば右チャンネルの木琴くらいじゃないかと思う。
オリジナルのレコードやCDは持っていないが、前奏や間奏など元のアレンジのまま
それを含めての「上海帰りのリル」としているのはアルバムの主旨からすれば当然で
「祇園小唄」のように他のLP録音からの転用ではないから、筋が通っている。
タンゴ調にしているのではあるが、この曲の旋律から思い浮かぶのはタンゴであろう。
面白いことを狙ったのではなく、タンゴのリズムを基調にすることがこの曲の場合は
最も相応しいのではないだろうか。オリジナルと異なったとしても奇異なことでなく
むしろ一層オリジナルの持つ良さを引き出していると考えた方が適切と思える。

ザ・ピーナッツの歌も、大真面目、生真面目、糞真面目(汚い表現だなあ)。
とにかく不器用に一生懸命歌っている。小味を利かすとかいう賢さが感じられない。
なんでこんなにも熱唱するの? それほどの敬意を抱く歌なのかしら?
こういう歌を聴くと本当に裏表のない実直なお人柄なんだろうなと感じてしまいます。
だから好きなんだ。それが感じられるかどうかは人各々だとは思うけど。

そもそも音楽は詰まるところ「音」だと思うのです。
よく、オーディオの機械に血道を上げて、音楽を聴かずに音ばかりを聴いている、と
オーディオ好きを揶揄する人がいますが、その人は、おそらく音を真剣に聴いたこと
がないんでしょう。音に真剣に聴き入り、音の美を感じとる能力は、音楽の鑑賞にお
いては物凄く大切なことです。音楽は音で成り立つ芸術ですから、その素材の音に無
関心でいて、果たして音楽を鑑賞出来るのか。それは色に無関心な絵画鑑賞と同じで
しょう。むしろ、音と音楽を切り離して論じることのほうが危険です。
(ここは私の文ではなく、とある雑誌での記事を引用しています)

素晴らしい奏者の弾く楽器の音色はたった一音で、奏者がわかるともいいます。
テクニックなどより、音そのものが違うというのです。
私には、ザ・ピーナッツの声そのものが、素晴らしい音色に聞こえるのです。
その声紋自体が素晴らしい芸術品です。音の触感が秀でているのです。
そして、どんな歌を歌ってもそこに気品が感じられるのです。
これは、持って生まれたものなのでしょう。

出来れば、レコードを聴く実用品。CDを聴く電気製品というレベルから超越して、
磨き上げた音が聴けるオーディオ機器で聴かれることをお薦めしたいと思います。
ザ・ピーナッツの録音などに、そんな高尚な趣味性があるのかい、という人もいるの
でしょうが、それはただ単に、そういう装置で聴いたことがない無知な決めつけです。
どんな映像などよりも、より明晰にザ・ピーナッツが日々新たな感動で聴けるのです。
この魔力のような世界に是非お誘いしたいと思います。

ちょっと脱線しましたが、私にとってこの歌は21世紀のザ・ピーナッツの新盤です。
まさか四半世紀以上も経って、未知の録音が聴けるなんて思いもしませんでした。
この15年くらいで随分と色々な歌が発掘されて、本当に過去の歌手なのだろうかと
信じられないほどの沢山のCDが出てきます。
これからもまだまだお楽しみがあるかも知れませんね。
(2005.09.13記)