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知らなかった   1964.09
 NON SAPEVO
   作詞:B.Pallesi(訳)三田恭次 作曲:P.Calvi
   編曲:東海林修 演奏:レオン・サンフォニエット
   録音:1964.07.20 イイノホール

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★★ ★★★★

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この作品は、歌唱、アレンジ、演奏、録音と、どの面をとっても素晴らしい。
え、そんなの「知らなかった」では済まされないのです。
しかしながら、あまり一般的に知れ渡っていないと思うのは、ザ・ピーナッツの
レコードはそんなに売れなかったからだと私は思います。
うそだろ〜「ウナ・セラ・ディ東京」のB面なんだから、沢山売れたのでは?
そう思っている方は多いと思いますが、そうではないと推察しています。

そもそもザ・ピーナッツのレコードの実売数はどんなメディアにも発表されず、
これは業界七不思議のひとつじゃないか、と訝るのではありますが、実際にも
大した枚数は出ていないと思うのです。
このレコードが出た時点は、昭和39年9月ですから、デビューからもう5年余。
ピンク・レディーやWINKやキャンディーズなどの人気の軌跡を見て下さい。
爆発的人気というものは持続出来ずに賞味期限切れとなったり辞めたりしてます。
ザ・ピーナッツの人気もデビュー当時は大変に凄まじいものだったようですが、
この時点ではレコードが飛ぶように売れるということはなかったと思います。

自慢するつもりはありませんが、持続的にず〜っとレコードを買い求めた私は
ザ・ピーナッツ・ファンの鏡だと自負しています。
ザ・ピーナッツを陰で支えた一人であったと言っても過言ではない筈です。
「あなたの胸に」という曲がありますが、その歌詞の一部に....
♪激しく燃えて尽きる そんな愛とは違う(安井かずみ:作詞)
そうなんですよ。そんな一過性の惚れ込みじゃないのです。私は一生をかけます。
そうやって、一曲、一曲を愛おしむように聴き続けてこそわかる面もあるのです。

ザ・ピーナッツの声には良質なエコー・リバーブがかかっています。しかしこれは
下手な歌手の歌を上手く聴かせるなんていう次元の低いことを狙ったものではなく、
曲想にマッチさせた陰鬱な幻想味を醸し出すための工夫です。
霧の中に消えていくような哀しみの思いが音場の奥に漂うように霞んでいくのです。
この声音と同時に演奏にも深みがあります。この音響も広大で奥へ奥へ拡散します。
狭いスタジオでは録れない響きです。恐らくどこかのホールを借りたのでしょう。

アレンジはA面と同じで、東海林修先生です。
両面をご担当されたことで、シングル盤としての一体感があります。
リアルタイムでこのドーナッツ盤を買った人でないと分かりにくいのでしょうが、
一種異様な一枚であったのです。
華やかさがどこにも無い、とめどなく暗いシングル盤が出たのですから。
しかしながら、この両面の雰囲気の合成感はただ事ではない緻密さが感じられ、また
音楽としての品位の高さには耳が洗われるような感覚に襲われました。

所謂流行歌路線の盤ではないな、というのが直感的に感じられます。品が良いのです。
気品がある、ということ自体類い稀なことではないでしょうか。
しかし、品性の良さ、などというものは、その感覚自体を自分が持っていなかったり、
上辺だけの面白さしか理解出来ない人間には残念ながら感じ取れない事象と思います。
常に人間は進歩しなければなりません。感性は死ぬ迄磨き続けることを推奨します。
その方が人生が豊かになるからです。

A面B面ともに「つまらない」と感じる評価もあると私は思います。
東海林修先生の音楽は誤解を恐れずにいうと「音楽的知能指数の高い」面があります。
聴く人を選びます。おおまかにいって、20%くらいしか支持されないでしょう。
音楽がちゃんと聴ける人なんて、まあそんなものなのです。
大体がなんとなく表看板だけで、良いとか悪いとか、マスコミなんかに振り回されて
自分の感覚ではなく、他の大勢の評判と同じようになるように自分も思い込むのです。
多数決が民主主義ではなく、各自が自分の意志を持つことが民主主義なのですがね。

勿論、ザ・ピーナッツのメインのアレンジャーは宮川泰先生ですし、宮川アレンジも
私は大好きです。どっちが良いとか、そういう比較は聴き方として無意味です。
宮川先生のアレンジは直情的、感覚的です。
こんな風にかっこよくしたいんだという思いが手にとるように素人にもわかるのです。
とにかくホットです。静かな曲でもホットです。熱情が込められているのです。
だから行間を読むように感覚が出来栄え以上に私には伝わってきます。
漫画家にもなれるのではないか、と思えるほどに楽しく面白い音楽が聴けるのです。

対して東海林修先生の音楽は一見クールそのものです。
宮川アレンジは大体メロディーが楽器のバトンタッチなので口笛で吹く事が出来ます。
しかし、東海林修先生のそれは途中で音がつかめなくて止ってしまうことがあります。
これは例えばチャイコフスキーの有名なメロディー「白鳥の湖」とか「花のワルツ」
などを口笛でなぞっていくとぶつかる壁にも似ているのです。
つまり、途中でどれが主音なのか混乱してしまうのです。和声進行というやつです。
自分の音楽的素養なんてこんなものか、情けないな〜とは思うのですが、そういった
自覚と高みに対する敬意をもつことが大事だとは思います。
あなたも試しに「ウナ・セラ・ディ東京」の序奏部を口笛で吹いてみてごらんなさい、
最後で歌に入るための音へとちゃんと繋がったら大したものです。(笑)

すなわち、東海林修先生のアレンジは知的なのだと思います。
流行歌にそんなものは邪魔だと思う方は、命には別状はないので勝手に嫌っていれば
いいでしょう。でも、そこで止っているのは他の世界へのジャンプも止ります。
ご存知のようにザ・ピーナッツはユニゾンが世界で一番素晴らしいグループなんです。
しかしながら、東海林修先生の意識はあくまで本格的なデュオとしての魅力を活かす
ことを優先します。出来るだけハーモニーを付ける譜面を作ります。
それはザ・ピーナッツといえども音楽家としての役割を尊重したのでしょう。
その結果は見事に結実していると私は感じます。じっくり聴いてみて下さい。

東海林修先生がザ・ピーナッツのアレンジを担当されたのは昭和39〜40年だけで、
以後は再び宮川アレンジがメインとなりますが、基本的に宮川先生のアレンジ感覚が
ザ・ピーナッツには最もフィットしているのだろうと私は思います。
その基盤は結局、日本人的であるという部分に集約出来るのではないでしょうか?
例えば「祇園小唄」や「舞妓はん音頭」等で聴かれるアレンジは本当に素晴らしくて
惚れ惚れしてしまうのです。これは宮川アレンジの真骨頂だと思うのです。
こういうのには東海林先生は興味も湧かないと思うのですが宮川先生は夢中になって
取り組んでいる様子がありありと浮かびます。

日本人でなければ、その感覚が理解出来ないというアレンジが宮川サウンドでしょう。
グローバル的にはあるいは陳腐なところがあるのかもしれません。
その点、東海林サウンドは国際的にも通用する本格的な音楽性が備わっているように
私は感じます。常に貪欲に吸収し、勉強して幅広い素養を更に高度に磨きあげていく、
そのような進歩する姿勢が真摯に感じとれます。
宮川サウンドも進歩はするのです。例えば、このシングルの直後に出た「マイ・ラブ」
では、恐らく東海林アレンジを目の当たりに聴いたせいで渾身の編曲を心掛けたのか、
実に味わい深いスリリングな展開が聴け、全レコードを通じても屈指の出来栄えだと
感じるのですが、全然流行るような気配もなかったのが皮肉です。(名曲ですが!)

つまり、この日本人御用達の味わいがザ・ピーナッツと合致すると私は感じます。
何を隠そうザ・ピーナッツは余りバタ臭い歌手ではないのです。
日本調を歌ったら、こまどり姉妹より断然上手なんです。それがわからないとすれば
よほど耳の悪い人だと思います。恰好や体裁に誤魔化されてはいけませんよ。
さて、学校でも音楽鑑賞の時間に「越後獅子」などのレコードを聞かされたことと
思いますが、確かに歌の部分は斉唱でユニゾンで歌われます。
しかし、三味線はそうとばかりは限りません。
私の持っているレコードでは、山田抄太郎と杵屋五三助が弾いていますが、上下に
音を分けて弾くところがかっこよくて好きです。もしかすると伝統的な弾き方では
ないのかもしれませんが、こうでなくては外国人が感心するようにはなりません。
これと同じことを東海林先生はザ・ピーナッツに要求していると思われます。
そうしないと二人で歌う意味がなく、グローバルには通用しないと考えたのでしょう。

この曲のレコーディングとは前後して、ザ・ピーナッツはドイツでレコーディングを
しています。このドイツで発売した歌は演奏と歌を別々に収録したマルチ・トラック
録音が採用されていました。

恐らく日本ではこの方法はまだまだ一般的ではなく、この「知らなかった」の録音も
同時録音であったと思います、というより同時録音に決まっています。
このレコードを聴けばA面の「ウナ・セラ・ディ東京」もそうなのですが、歌だけを
後で入れるような一定のリズムではなく、人間の息遣いのようなテンポの振幅があり、
これは演奏と歌を東海林先生の指揮のもとで息を合わせなければ成り立たない構成で
あることは一聴瞭然。それだからこそのこの録音の良さが生まれているのです。

録音技術として未成熟の時代だったから、というマイナス要素ではなくこれはむしろ
最高の環境だったからこそ、これが出来たと私は思うのです。
一緒にやらない演奏なんて、それこそ妥協の産物ではないだろうか!。
マルチ・トラックだから音が良いということは全くないのだし、演奏者と歌手などの
時間的調整やコストの削減など、便利にはなっただろうし、歌や演奏のトラブル等を
後で部分修正出来ることなど本来の音楽性追求ではない別の利点が多いために次第に
アフター・レコーディングが当たり前になっては行ったものの、本来はこの録音の
ようにあるべきだし、演奏者もザ・ピーナッツも、同時本番であることに耐えられる
技量を備えているのだから、一緒にやならきゃ意味が無いし、東海林先生の棒の下で
合奏するから血の通った音楽になったと思うのです。

これも皆さんの耳と心で感じとってほしいのですが、近頃の音楽には聴かれない程の
音楽の起伏やうねりがライブ風の緊張感で引き締まった音楽を聴く事が出来るのです。
数少ないマイクと単純な2トラックの澄んだ響きも聞き所です。
マスター・テープの放磁によるハイ落ちも感じられず、長い保存年月に耐えた舶来の
テープ素材の優秀さが証明される面もあります。
CDはザ・ピーナッツ・メモリーズBOXのマスタリングが最高だと思います。
このCDマスター作成には録音時と同じかもしれないアンペックス製が使われています。

(2005.9.24記)