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♪砂山 1971.02
作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 編曲:一の瀬義孝
演奏:オールスターズ・レオン
録音:1970.11.18 キングレコード音羽スタジオ
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★★ | ★★★★★ | ★★★★★ |
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海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
あまりにも有名な北原白秋の詩には二人の作曲家が曲をつけました。
中山晋平さんは童謡または民謡調の親しみやすい曲調で作りましたので一般には
こちらがより愛好されていると思います。これは大正11年の作品です。
もうお一方は山田耕筰さんで後発となりますが、昭和元年(大正15年)作曲で
歌曲のような趣があります。ここでザ・ピーナッツが歌っているのは後者です。
この歌は、浜辺の歌〜浜千鳥〜砂山という流れでメドレーで歌われております。
LPアルバムのB面側に位置しており、A面が若干子供らしい視点からの歌で、
B面は大人の目から見た情景という感覚なので、中山晋平さんの曲調ではなく
山田耕筰さんの方が相応しいというイメージが感じ取れます。
編曲もA面が若松正司さん、B面を一の瀬義孝さん、と雰囲気を変えています。
通常の感覚では、ザ・ピーナッツ=宮川泰アレンジという固定観念がある筈で、
実際にも、このラインが最も多作であり、ザ・ピーナッツの特性を熟知した宮川
先生の編曲は楽しく面白いことに定評があると思います。
この唱歌アルバムの企画がもっと早い時期であれば当然、宮川先生で決まりで、
他のアレンジャーの起用はなかったものと思われます。
しかしながら、ここでの若松正司と一の瀬義孝の登板は大成功と私は感じます。
楽しさ面白さ愉快さよりも、このアルバムではもっとしっとりとした郷愁感を
漂わせ、喩えとして民放じゃなくNHKという味を醸し出しています。
この二人のアレンジャーは大正時代から昭和初期という時代背景も感じさせる
古風なサウンドイメージを作り出していて、宮川先生は近代の音楽感覚で古典に
彩りをそえる作風ですが、この二人の場合は写実派とも思える律儀な感覚です。
その中でも若松正司さんはよりオーソドックスですが、一の瀬義孝さんは多少
ご自分の主張を強く出している気がします。
どんなアレンジであれ、あまり貧乏臭い楽器編成では興醒めですが、過剰品質
とも思えるほどの大編成弦楽器群により奏でられる響きは時に重厚にまた情感
たっぷりに鳴り響き、このオーケストラの量感を耳にしただけでも半端でない
キング・レコードのザ・ピーナッツ楽曲にかける良心的姿勢がわかります。
これで営業的採算が成立するものなのだろうか、と余計な心配も起こります。
他のページでも書いていますが、「ザ・ピーナッツ・ノスタルジック・ムード」
の曲目を再紹介しておきます。
SIDE 1
1. 赤とんぼ〜あの町この町〜叱られて
2. 村祭
3. 夏は来ぬ
4. 里の秋
5. 花かげ
6. 中国地方の子守唄
SIDE 2
1. ふるさと(ナレーション)
2. この道
3. 夏の想い出
4. 浜辺の歌〜浜千鳥〜砂山
5. 宵待草
6. さくら貝の歌
このアルバムではキング・レコードのサウンド・エフェクトの録音担当が取材した
各種の自然環境音が効果的に使われています。
この「砂山」は、次の「宵待草」とは趣が異なっているために、ここで気分転換を
意図したように、波が浜辺に打ち寄せる音と霧笛がボ〜〜っと鳴ります。
音だけなのですが、ちょっと薄暗く淋しい日本海の情景という印象を抱かせます。
このようにアルバム全体でのトータルな演出がありますので少なくともLP片面は
通しで聞きたいものだと思います。
このアルバムを聞くと、ザ・ピーナッツはどういう歌手を目差したのだろうという
根本を考える気になります。そのくらいザ・ピーナッツに唱歌類は似合うのです。
ニッポン放送の朝7時から放送していた「ザ・ピーナッツ」というラジオ番組では
かなりの頻度でこのような歌が使われていました。
早朝の番組だったからフィットする面もあるのですが、実に爽やかなのです。
結局、ポップス類やスタンダード、歌謡曲やCMソング、モスラの歌に至るまで、
ザ・ピーナッツは難しそうには絶対に歌わないで、全て唱歌のようにわかりやすく
浄化してしまう特異な才能があったのではないだろうか。
厚かましさ、脂っこさ、色っぽさ、ねっちこさ、ドロ臭さなどが感じられないので
強烈な個性やアクの強さがなく芸能界に君臨するという図太さがないため流行歌手
としては一人では存在し得なかったろうと思われる。
そもそも声音自体が余りに優しく素直で耳障りが良すぎる。耳障りになるくらいの
存在感がないのだ。そういう面が逆に得難い個性であるのかも知れない。
その特色が一番発揮されるのが、このアルバムなのではという気がします。
現在では安田姉妹がこの路線のエキスパート的な存在なのだが、あの透明感でさえ、
透明であることを強調しすぎる意識が強い自己顕示のように感じられて色がついて
感じられる。ザ・ピーナッツの歌声には上手くとか奇麗にという意識すらないのだ。
ザ・ピーナッツは19歳のときに「別れのワルツ(螢の光)」を歌っているのだが、
そのレコードを聴くと、ああ、もうこれ以上上手くなってはいけないかも、などと
ついつい思ってしまった。そのくらい素晴らしい。
上手く歌いゼニを稼ぐのは他の歌手に任せておけばいい、ザ・ピーナッツの真髄は
そんなところにはない。ヒット曲など何も要らない。そんな感じすらするのだった。
しかし、そんな心配は無用だった。それがザ・ピーナッツのアイデンテイであって、
それは引退するまで微動もぶれなかったのであった。
この歌、このアルバムには、ザ・ピーナッツの本質が存在すると私は確信している。
(記:2006年9月5日)