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♪関の五本松   1963.01
   島根県民謡
   編曲:宮川 泰 演奏:レオン・サンフォニエット
   録音:1962.11.09 厚生年金会館

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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これは民謡ですから歌詞を書いてしまってもかまわないでしょうね???

 ハアー 関の五本松 アドッコイショ
 一本切りゃ四本 あとは切られぬ夫婦松
 ショコホイ ショコホイのホイの松 ホイ

 ハアー 関はよいとこ アドッコイショ
 朝日をうけて 大山おろしがそよそよと
 ショコホイ ショコホイのホイの松 ホイ

 ハアー 一夜泊りが アドッコイショ
 つい二晩に 三保はよいとこいつまでも
 ショコホイ ショコホイのホイの松 ホイ

他にも歌詞は多種ありそうですが、一番の歌詞だけは不動で主役になっています。
この歌詞が「関の五本松」の歌の成立ちを表しているからだと思います。

手許の「大辞林」でも、
 島根県美保関(みほのせき)町の民謡で、花柳界の酒席の騒ぎ唄。
 香川県多度津町の溜池造りの地固め唄「りきや節」が伝えられたもの。
 漁師の目印であった五本松のうち一本が、通行のじゃまになるとして切られるのを
 惜しんで現在の歌詞が付けられたという。

というように説明があります。
更に、ネットで調べた情報で補足すると、

 今から百数十年前、領主松平侯が美保関から松江へ通ずる松江街道を通行の折りに、
この美保関で街道ぎわの五本の松のうちの一本に槍がつかえたところから、家来に命
じてまずその一本を伐らせてしまった。
 それまで美保港へ入ろうとする多くの船の目じるしであった松の一本を伐られて
しまったことは、当時の大事件となった。
 もうこれ以上刺客を送られて伐られてはたまらないと出雲神話などのロマンスに
絡ませて「あとは伐られぬ夫婦松」とうたいながら、松江城下をねりまわり、デモを
行った。民衆の声をきいて、領主はあとの四本を伐るのを中止したというのが伝説に
なっている。
→とのことです。信憑性は保証しません。
また、この民謡に謡われている「関の五本松」は、現在三代目が育っているそうです。

さて、このザ・ピーナッツのムード民謡というジャズっぽいアルバムにはお馴染みの
先駆者が居りまして、それは江利チエミさんであることは言うまでもありません。
あの素晴らしいアレンジとチエミ節の節回しは一世を風靡した感がありましたね。
キング・レコードの先輩に倣って、ザ・ピーナッツもチャレンジしたものと思います。
宮川先生もこういうのが大好きのようで、かなり懲りまくって楽しまれているようで、
もう、とっても楽しい出来栄えになっています。

ここに一々書き出すときりがないほど、沢山の民謡のレコーディングを行っていて、
私はこれもとっても好きなジャンルなんです。
ザ・ピーナッツ=日本民謡とはどうしてもイメージが結びつかないから主流の歌には
ならなくて仲間外れにされがちなんですが、いつも私が書いている琴なんですけれど、
ザ・ピーナッツはカバー歌手としての能力が凄いんです。だから、それは民謡にまで
適用されると私は思っています。このジャンルでさえ、ザ・ピーナッツ節が際立って
聴けると私は信じています。こんな面白いものは世の中にそうそうございません。

……なのに、この歌は一度もCDで発売されたことがない不運を背負っています。
いやはや、もったいない、とはこういう事象のことを指していうのではないかしら。
民謡のアレンジというのは奇想天外で、とにかく意表をついた面白いものでなければ
存在価値がありませんが、この編曲は大変なスグレモノ。宮川先生ならではの出来。
こういうのを聴いていますと、宮川サウンドを語ろうと思ったら、やはりピーナッツ
の歌を一通り全部聴いてみて、それから語って頂かないと、という重いが強くなる。
特にこの曲のようなアレンジがあることを知らないことは大変な聞き逃しになります。

ザ・ピーナッツは器用なのか不器用なのか、よくわからなくなってしまうのですが、
こうやって何でもザ・ピーナッツ風味にして歌ってしまうのはただごとじゃない。
これは江利チエミさんの跡継ぎが立派に果たせているなと感じる面もあるのですが、
さて、その後は誰が……というと、もう誰もいなくなってしまいましたね。
そもそも、このようなジャズ風、ラテン風に民謡を歌ってみせて、それが音楽として
見事な水準に達して、聞き応えがある、という世界自体が消滅してしまったようです。

(2006.10.22)