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♪たった一度の夢 1968.10
作詞:岩谷時子 作・編曲:宮川泰
演奏:オールスターズ・レオン
録音:1968.08.30 文京公会堂
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★★* | ★★★★★ | ★★★★★ | ★★★★★ |
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遂にこの曲を語る時が来たという思いで感慨無量の面があります。
一般には余り知られているとは言い難いのではありますが、大変な名曲です。
歌詞も曲も素晴らしいけど、この編曲たるや神技といえると思います。
凄い閃きが感じられ、宮川先生にきっとなにかが降りて来たのだと思うのです。
歌唱も鬼気迫るような神秘ななにかがあります。この世のものじゃないような。
総合芸術とでもいうのか、まさに最高峰を極めていると私は信じます。
管弦楽の荘厳なイントロダクションに続いて、ハープシコードの通奏低音が始まり、
その上にザ・ピーナッツの歌声が流れます。非常に格調高い響きです。
ハープシコード(Harpsichord)は英語読みで、既に「恋のオフェリア」でも大活躍。
チェンバロ(伊・独:Cembalo)とも呼ばれフランス語ではクラヴサン(Clavecin)で
みんな同じ楽器のことです。
この楽器が使われるだけで、典雅で品位の高さが楽曲に生じるように感じます。
ザ・ピーナッツのこの時期の音楽には、すぎやまこういち作・編曲の「愛への祈り」
でもクラシック風の格調の高い素敵なムードを味わうことが出来ましたが、それを
凌駕するかのようなスケールも感じ取れます。
意味深な歌詞なのですが、岩谷時子さんが書き、ザ・ピーナッツが歌うと生臭さが
浄化され、天上の愛を歌い上げているような清潔感さえ漂います。
アレンジもポップスでもなく歌謡曲でもなく、典雅で上品な気品を醸し出す独特の
音楽ジャンルのような趣があり、俗っぽくない上質さを持った音楽となっています。
美しく儚い響きとザ・ピーナッツの天使のような美声が噛み合って神秘的でもあり、
肉体を伴わない純愛のような透明感を感じさせるのです。
この楽曲で効果的に使われているのはホルン風の金管楽器です。
ホルン風と書いたのはホルンでないかもしれないからです。トロンボーンも奏法で
同じような効果を出すことも出来るから、そういう吹き方をしたのかも知れません。
金管楽器には、トランペット、コルネット、フルーゲルホーン、トロンボーン各種、
ホルン各種、ユーフォニウム、チューバ、ワーグナーチューバ、バリトン、スーザ
フォンなど色々あり、音程の変化方法もスライド、バルブ、ピストンなどで管長を
変える手段が組合わさっているのですが、構造的にはただの金属管に過ぎません。
したがって、全てが親戚の音色なので、聞き分けるのは難しいのです。
さて、ここから脱線しますが、私にとっての「たった一度の夢」を書き残します。
既知のことと思いますが、私はザ・ピーナッツ後援会に入会しておりました。
気違いともいえるほどの熱狂的ファンでしたし、ステージも数多く見聞きしました。
しかし、後年言われるような「おっかけ」のような真似はしませんでした。
でも、たった一度だけ、舞台裏の楽屋に面会でお邪魔したことがありました。
その思い出を書きたいと思います。
その場所は、横浜市西区紅葉ヶ丘に今でも現存する神奈川県立音楽堂でした。
http://www.kanagawa-ongakudo.com/
脳裡に刻み込まれるような強烈な出来事なのに年月日を忘れましたが、昭和38年で
あろうと思います。学生服を着て行ったので春だったのでしょう。
ザ・ピーナッツのショーはどこかの企業のお得意さま御招待のイベントだった筈です。
そういう企画が渡辺プロダクションには多かったようで民間の興行師のような連中が
牛耳る歌謡ショーのようなものではありませんでした。
したがって、入場券は非売品でしょうから、後援会支部の会長さんが何らかのつてで
入手したのか、お願いして入場させてもらったのではないかと思います。
どうすればザ・ピーナッツさんの楽屋などを訪問出来るのかという手段などは私には
わからなかったのですが、付け人の井本さんに相談してOKを頂いたようでした。
約束した時刻のかなり前に楽屋の入口あたりに5人くらいで集りました。
すると、井本さんが、
「ねえ、あなたたちはピーナッツさんのファンなんでしょう」
と、当たり前のことを言うので、えっ、という反応を私らが揃って示すと、
「ならば、何故、ステージを観てあげないの? 歌を聴いてあげないの?」
と詰問するんです。どうしていいのか、反応に戸惑っていると、
「ちゃんと呼びに行ってあげるから客席で観ていなさい」
「はい」ってなもんで、揃って客席に走って戻った。
民謡とか「山寺の和尚さん」を和服でピーナッツさんが歌っていた。そういう歌の
コーナーなのだ。演奏はブルーソックス・オーケストラ(フル・バンド)。
このショーはザ・ピーナッツ・ファンのために行っているものではないのであるが、
客席はみんながピーナッツの歌に陶酔していたし、大人も子供も、男性でも女性でも
年齢を問わず楽しめる普遍的な歌声だと感じた。
こういう歌手というのは現在ではほとんど見当たらないのではなかろうか。
そのコーナーが終わって、抽選会なんかをやっているとちゃんと井本さんが私達を
見つけて迎えに来てくれた。随分と親切にしてくれるものだなあと驚いた。
やがて、ザ・ピーナッツ様という表示がしてある楽屋からご本人達が出て来た。
会館の裏手に位置する楽屋あたりなので窓はあっても多少は薄暗い周囲のはずなのに、
ザ・ピーナッツさんたちが登場しただけでパッと明るくなったような気がした。
後光が射しているというとオーバーだが、なにか輪郭が輝いているような錯覚がした。
井本さんが気遣いをしてくれて、なにかお話でも……という風に舵取りをするのだが、
全くだらしのない我々5人はひたすら沈黙して固唾を飲んでぼーっとしているだけ。
こっちは高校生の集団だし、そもそもザ・ピーナッツのファンたる人種は大人しいと
いうのか、引っ込み思案というのか、男らしくない。愚図の見本みたいなものなのだ。
これじゃしょうがないと踏んだ井本さんは、写真でも撮ろうねということになった。
一組目はどういう配置で撮ったのか、頭真っ白で覚えていないが、二人と二人だった。
その後、私を含めて3人とピーナッツが被写体となるわけだ。
私は左端におずおずと立っていた。なかなか近寄る勇気も出ない。
気後れしちゃって、まるで、三歩下がって師の影を踏まず、といった状態。
するとユミさん(月子さん)が手を延ばして逃げ腰の私を引っ張りこんでくれたのだ。
しょうがない子だね、という感じで微笑んで、私の腰回りの周辺に腕を廻してくれて
写真を撮る態勢を作って頂いたのだった。やれやれ、といったところだったろう。
とにかく若い女性の傍に寄るなんて経験もないものだからユミさんと接している側の
感覚というのは異様に研ぎすまされていたように思う。
なんというのか、やわらかい感触がして、ビビッと仰天したのだった。
女の人って、こんなにふわふわしているものなのか、もう今だったら血圧が上がって
あの世へ行ったことは確実で、もちろん、衣装越しであり学生服を通しての感覚では
あるのに、あの柔らかい弾力というのは、今でも思い出せるような体験となった。
写真自体はカメラの持主が露出設定を誤ったまま井本さんに渡したために露出不足で
全然写っていないということが後日わかったのだが、彼を責める気にはならない。
もうそれどころではなかったということは容易に想像出来る。
ザ・ピーナッツさん達は最後のステージ用の衣装を着ていて、淡いブルー系統だった
ように思うのだが、イブニング・ドレス風だったので胸元とか背などの素肌が見えて、
それがお化粧とかしていたらどこかで肌の色合いとか違って見えそうに思うのだが、
そういうグラデーションの境目もわからず、きめ細かな肌でなんて綺麗なんだ、とか、
いったい何を観察していたのかわけがわからなかった。
後年のザ・ピーナッツはスリムでスマートな印象が強いのだが当時はぽっちゃりした
感じがあって、本当に若々しいピチピチしたお嬢さんというイメージだったのだ。
その印象というのは、私のサイトのトップページのお写真とぴったり同じものであり、
全体像はNHK紅白での「恋のバカンス」を歌うピーナッツさんとダブるのである。
だから、この時期のお二人の姿態が私のザ・ピーナッツ原風景であり不変なのです。
ほんとに可愛い。まさに可愛い盛りという感じ。
ちょっぴりふっくらしていないと私的にはザ・ピーナッツらしくないのであります。
とにかく正面からお顔をまともに見れず、なのに、見たい見たいという気持ばかりは
溢れるばかりなので、視線が合わないように……という感じで、お口許なんかばかり
眺めてしまったり、なんて唇とか素敵なんだろう、なんて、どうにも変なとこばかり
結果的に魅入ってしまったのでありました。
あわてて俯き加減に視線をずらすと、私は身長172センチあるわけなので、そこに
小鳩のようなその胸元に視線が行ってしまいます。
よくザ・ピーナッツは色気がない、などと世間では言いますが、思春期の私の眼には
これはとんでもない爆弾のような代物で、高校生殺しといってもよいくらいな情景。
いやらしい気持を抱くとかいう次元の問題じゃなくて、ああ、女神様っていうような
たまらない愛しさと女性美の極みで眼が潰れ、脳が焦げるほどの感動が迸ったのです。
マドンナに初めて遭遇した場面のフーテンの寅さんのごとく私達は硬直しちゃってて、
それでも20歳のサークルの代表は二言三言はお話していたのかも知れないけれども
私は脳味噌がフリーズしちゃってるし、金縛り状態のままでした。
それでもピーナッツさん達お二人の優しさのようなものは凄く伝わってくるのでした。
終始、にこやかでなんとなく微笑を浮かべて、慈悲深いような眼差しをされてました。
色紙にサインを頂いてましたが、レコード盤を持ってくれば良かったとか後知恵では
色々と反省したものの、その時はひたすら夢中だったのです。
結局、後にも先にもザ・ピーナッツさんへの接近遭遇というのはこれっきりでした。
これ以降も、面会をしたければ機会はある筈なんです。でも、そうしなかった。
その理由はいくつかありました。
ひとつは、こういうことは大変にザ・ピーナッツさんにも井本さんにも迷惑をかける
ということです。
この日は、一緒に行った友人が数えていたのだけど、24曲も歌っているのでした。
ピーナッツさんは当然、その歌詞も歌もハーモニーも振付けも間違いなく舞台の上で
表現しなければならないわけで、緊張感もあると思うし、色々な二人だけでの相談も
あるのではないかと思うのです。その張りつめた時間にお邪魔するなんて愚の骨頂。
そういう態度はこれっぽっちも示されなかったのですが、営業妨害のようなもんです。
私達は逢えば嬉しいのだけど、お二人には何も得るものがない、無駄なご対面です。
ファンだからといって、こういうのは贔屓の引き倒しというもの。
井本さんが先程言ったように、何でここに居るの。客席で応援するのがファンでしょ。
という言葉が頭の中に渦巻いて……そうだよな。ステージを堪能することに撤して、
レコードを全部買い集めて聴くということがファンとしてあるべき姿ではないか。
それが一番大切なことであり、人間としての伊藤日出代さん、月子さんへ接近遭遇を
したいと思う気持は邪念というものだと、はっきり思い知りました。
もう一つの理由は、自分自身が破滅してしまうという恐怖があったのです。
生半可なファンではありません。とにかく一年中頭の中はザ・ピーナッツで埋まって
しまっていて、勉学などは全く手につかない状態でした。
高校でも異常事態を察知して、専任の先生のカウンセリングを受けるという状況。
親を呼出すということをしないのは偉い先生だったと今頃思うのだけど、ある科目の
先生がカウンセラーに声をかけたらしく、個人的な面談をやりました。
まあ、ザ・ピーナッツが大好きなのは別に悪いことじゃないからファンを止めなさい
なんてことは言わないけど、君は今は学生なんで修行中の身なんだよ。好きなことは
社会人になってからだって出来るけど、勉強は今だけしか出来ないのだということを
考えよう。と、説得されました。いやはやもう、その通りなんです。
このままじゃ、食べていく手段さえ失ってしまう。そういう危機感がありました。
実際にザ・ピーナッツさんを間近で見るということは麻薬中毒のようなものであると
感じましたから、このまま、こんなことをしていたら廃人になってしまいそうです。
代表が井本さんから頼まれたようなのですが、楽屋口からザ・ピーナッツさん達が
退出するときに群集が接近しないようにブロックする役目を公演後にやりました。
私達は学生服だったので学生アルバイト風に見えたかも知れませんが、やっぱり、
幾人かの人が裏口の方に群がっていて、それなりに人間柵の役に立ったのでした。
乗用車はザ・ピーナッツ専用のピンク色のプリンス・グロリア・デラックスでした。
車中には当時としては珍しい携帯テレビが2台後部座席に向いて据え付けられてて、
そのアンテナが「V」の字を横にしたように車の左右から角のように生えていて、
なんとまあ、珍奇なというかファンタジックな様相の車でした。
運転手の横に井本さん、後部にザ・ピーナッツ。マネージャーという役目の人には
全然逢うことがなかったのです。なんで来ないのか、私には不思議でした。
そんなに大勢ではないのですが、人が集って来た中、ピーナッツさんを乗せた車は
出発し、見えなくなりました。恐らく後のスケジュールが東京の方であるのでしょう。
私は帰宅するため後援会の友達と一緒に桜木町駅まで歩き、その途中で、「あのさあ、
こういうの俺やめようと思うんだ」と言ったら、「僕もやめようと思ったんだ」と
彼も同じような感覚を持っていたようだ。その後、彼は後援会も退会したのだった。
「ピーナッツ・ホリディ」などの公演を数多く見た日劇はもうなくなってしまったが、
この思い出の県立音楽堂は今も昔のままの姿で生き残っている。
一時、この地域の再開発計画があり、このホールも解体されるということになった。
しかし、非常に歴史も長く、内装が総べて木製であり、細長く急勾配の客席といった
構造の特色から、日本有数の「音の良いホール」という評判がある稀な設備でもあり、
響きの良さというものはなかなか設計がそのまま結果とはならない面もあって文化的
な保存意義から永年保存されることになった。
電気的な音響設備が最新で優れているというわけではないために自然な響きを愛する
クラシック関係のアコースティック音楽専用ホールという使われ方が主であるのだが、
これからもこのままで、ということは個人的にもとても嬉しい。
ずっと後年に人に誘われて、ここで高橋真梨子さんのコンサートを聴いたことがある。
高橋真梨子さんはザ・ピーナッツが大好きなんだそうで、これも因縁なのかな?
県立音楽堂は横浜駅と桜木町駅の間に有り、周辺には色々な観光の名所があるために
音楽堂自体は紅葉坂を上がった所にひっそりと存在している感もある。
http://www.three-f.co.jp/yokohama/sakuragi/momiji.html
紅葉坂と言ってもそんなに紅葉が綺麗に見えるとは私は思えない。むしろ銀杏の葉の
模様に石材を組み合わせて滑り止めにしているから、そう呼ぶのかなと思っている。
ここからブラブラと散歩すれば「シャボン玉ホリデー」の「コーラス万歳ピーナッツ」
をアーカイブスで見ることが出来る放送ライブラリー(放送番組センター)も近い。
たった一度の夢だったけど、どこかしら甘酸っぱい記憶として私の心に残っている。
余談だけど、ちょうどこの頃に現在の家内がこの世に誕生していたことになる。
20年後、家内と初めて肩寄せて歩いていた時もやっぱり柔らかい感じだったなあ。
そう考えるとなかなかこの世は面白いものだ。
(2007.01.17記)