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♪タミー 1963.06
TAMMY
原曲:B.Livingston R.Evans 編曲:宮川泰
演奏:レオン・サンフォニエット
録音:1963.01.17 文京公会堂
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★★★ | ★★★★★ | ★★★★★ |
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1956年(昭和31年)の曲でJ・リビングストンとR・エバンズの作です。
歌はデビー・レイノルズが歌っています。
このスタンダード化した名曲ですが、ザ・ピーナッツ盤は規範的な感覚に終始し、
そんなことはおかしいということになるでしょうが、これが標準のような錯覚が
生じてしまう面があります。
というのは、デビー・レイノルズのオリジナルの歌が非常に凝っていて、草書風に
曲の味わいを濃く描いているのに対し、ザ・ピーナッツは三拍子のリズムを崩さず、
楷書風というか、教科書体のごとき正確さで歌っているのです。
これは宮川泰先生のセンスではないかと推察します。
この曲くらいの名旋律ともなると、何もしないで素直に歌い、演奏した方が良いと
思われたのではないでしょうか。
アレンジも自然で流麗です。たっぷりと弦楽器に歌わせ妙なアクセントも付けない。
欧米の歌い手は競争での生き残りが優先だから際立った個性が必要であろうけれど、
これが日本流というわけでもなかろうが、上手く聞こえるようにといった邪心さえ
ここには存在せず、これ以上の素直な歌い方はないだろうと思えるような作為皆無、
メロディーラインの忠実な僕となって実直に歌っているのです。
元来がジャズや欧米の音楽に無知な私だから、このストレートさは願ってもなくて、
例えば弘田三枝子などが歌うより、フィーリングが身近なのです。
この時代だったからこそのサウンドの豊かさが全体に感じられる。
それは歌も大編成の弦楽器群の演奏も同時録音であり、文京公会堂を借り切っての
ホールの響きを自然に付加したナチュラル・アコースティック・トーンが活かされ、
同時録音しか出来なかったハンディを逆にメリットとして素晴らしい効果を上げて、
人間の耳と感性に優しい音楽が奏でられているのだ。
宮川先生はライン入力が出来る電子楽器でさえマイクアレンジで拾う事がお好きで
あったくらいだから、兎に角、演奏の場で音楽を創り上げたかったものと思われる。
ザ・ピーナッツの後年のレコードはマルチ・トラック・レコーディングも登場して、
宮川アレンジではない曲も多くなり、明らかに同時録音ではない盤も作られた。
それはそれで悪くはなく明晰なサウンドであって、色んな楽器の音が明瞭に聴こえ、
その効果も絶大であり、そういう盤もあって良いとは思う。
しかしながら、音楽のジャンルにもよると思うが、この曲などは、マルチ録音など
すべきではなく、だから結果としても望みうる最良のコンディションといえるのだ。
ザ・ピーナッツとの録音はミュージシャンにとっても楽しみの一つであったろう。
彼等(彼女ら)はやっぱり営業以前に音楽が大好きな人種であろう。
仕事だからといって面白くない作業は良い出来とはならないのではなかろうか。
ザ・ピーナッツとの録音はアレンジも面白いことが要素の一つではあろうが何より
彼女たちのタイミングの良さが、仕事を楽しくさせていたのではないかと思われる。
タイミングというのは変な表現で、普通はリズム感という言い方になるのだろうが、
リズム感という言葉では全体の流れを言う感じがするので、あえて、タイミングと
言いたいのだ。
この曲のような、ゆったりした曲ではタイミングの発揮場所がどこにあるのか、と
いう感じではあるのだが、このようなスローなテンポの曲だからこそのテンポとか
フレーズの頭の部分がパッと決まると気持よく音楽が流れることになる。
メロディーを歌って牽引するのはザ・ピーナッツなのであるから、指揮に合わせて
演奏をしていても自然に良い音楽になっているかは演奏者は敏感に嗅ぎとるだろう。
同じ時間を拘束され、お金も同じだけ頂いたにしても、好きな道だけに素晴らしい
出来栄えになったり、楽しかったりすれば人間なので、好き嫌いは生じるだろう。
ザ・ピーナッツは演奏者も一緒にエンジョイ出来る歌い手であったろうと推察する。
(2007.4.13記)