■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
♪田原坂 1970.09
(熊本県民謡) 編曲:宮川 泰
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★★ |
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
この歌の発祥は諸説あるようですが確定的な証拠がなく、熊本県の民謡ということで
納まっているようです。
明治時代に起きた西南戦争(西南の役)田原(たばる)坂の戦いで散った武士たちを
歌ったものであろうと思いますが、3万6千人もの兵が何のために戦ったのか調べて
みても意義らしいことは見出せず、戦いの虚しさという感じだけが残ります。
戦うからにはお互いに大義名分というものがあるのでしょうが、生命を捧げるほどの
大切な事態なのか甚だ疑問です。
過去、現在、未来にわたって戦争ほど愚かな行為はないのではないでしょうか。
はっきり言って死んだ人は皆、犬死だと思う。気の毒なことだと思う。
♪雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂
田原想えば 照る日も曇る 今宵忍ぶは恋じゃない
春は桜よ 秋ならもみじ 夢も田原の草枕
ザ・ピーナッツのCDの歌詞は上記のようになっていますが今ひとつ状況そのものが
わかりません。歌詞には、どこまでが元歌なのかわからないものの、続きがあります。
右手に血刀 左手に手づな 馬上ゆたかな美少年
山にしかばね 川に血ながる 肥薩の天地 秋さびし
田原坂なら 昔が恋し 男同志の夢の跡
阿蘇の御神火 心に抱いて 九州男児の血は熱い
退くに退かれぬ 田原の嶮は 男涙の小夜しぐれ
こちらの歌詞には「美少年」なんて言葉も出て来ます。
将来ある若者の死を悼む面と同時に、無理に戦いを美化しているようにも感じます。
九州男児の男意気というか死に様を歌っているのでしょうが、意地を張っただけの
無意味な戦をしたのではなかったか。戦というものは殆ど無意味なものなのかも?
曲調が勇ましいものではないのが救いというイメージを抱きます。
さて、
ザ・ピーナッツのこの録音は上記のような悲惨で厳めしい世界を表現してはいません。
あくまで素材として民謡を調理してみたという程度の軽さがあります。
アルバムでは「佐渡おけさ」「伊那節」に続けて収録されておりますが、この位置に
収められている理由があると思います。
すなわち、フル・バンド伴奏による三部作という意味が込められていると感じます。
フル・バンド演奏というのはレコーディングの伴奏としては異質なものと思います。
ステージでの効果は抜群ですが、歌の伴奏として扱うと録音では音圧のエネルギーが
強過ぎて下手をすると歌と演奏が殺し合いということになりかねません。
アレンジャーとミキサーの腕の見せ所でもありますが上手くやれば厚みのある音響が
ゴージャスな醍醐味を聴き手に与えてくれます。
この録音では弱音部でもそういうエネルギーが背後に感じられてわくわくします。
盛大に鳴る部分では一気にパワーが開放される凄まじさが聴きとれて、贅沢な趣向が
全開となってダイナミックで聴き応えがあります。
まあ、それでも曲が曲だけに、トータルのイメージは地味です。
ということで聴き処はサウンドなのでありますが、あくまで私個人の感覚なのですが、
アポロン音源のソースには、キングレコード録音の「妖精」が住んでいないのです。
決して悪い録音というわけじゃなくて、根拠は何も無いのではありますが、私の耳に
最高の感触を伝える何かの要素が足りないように感じられるのです。
何が違うのでしょうか。理由は色々想像しているのですが、妄想に過ぎない可能性が
あるので、ここには書きません。あまりにもデタラメなことを書くのはマズイものね。
(2007.9.1記)