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モスラの歌(サウンドトラック版)1961録音(1978.5発売)
   作詞:関沢新一・田中友幸・本多猪四郎 作・編曲:古関裕而
 
  

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★

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  金管と弦、木管、打楽器で表す、聴く者の感情を揺さぶらずにはおかない何とも
 土着的かつ情動的なメロディに乗り、小美人が不思議な言語による歌を四回にわた
 って歌っていく。要所を飾るピッコロの主張、歌の後半部分に添う耳に心地よい弦
 の調べが効果をあげる。ピアノと打楽器で作る律動主体で進行するが、旋律自体の
 力も存分に引き出してくる。
  小美人(=ザ・ピーナッツ)の美しい歌声とハーモニー。音楽の根源的エネルギー
 をストレートにほとばしらせるメロディと音色。幻想的な演出もあいまつて、観衆は
 まるで夢でも見ているようにひきつけられている。戦時歌謡やラジオドラマ主題歌な
 ど、数多くの国民歌謡で培ってきた古関歌謡の真髄があふれる。

  古関の歌謡曲作品の中でもきわめて異色の歌曲であり、日本映画で流れた劇中歌と
 いう意味ではもちろん、日本の歌謡曲史の面においても異彩を放ち続けるザ・ピーナ
 ッツの「モスラの歌」は、こういう状況でスクリーンから聞こえてきた。シンプルで
 ノスタルジツクな感覚を呼び覚ます独特なメロディと響き。意味不明ながらも妙に心
 に染み込んでくる歌詞。怪獣映画の中に人気歌手による歌謡映画の味わいが入り込み、
 融合・同居した。大仰にいえば、歴史的なひとときだった。

 いまだにいささかも輝きを失わない「モスラの歌」の生命力、その魅力の一つはメロ
 ディ、アレンジにある。一度聴いただけでも耳に焼きつく旋律と律動。アイヌのフォ
 ークロアのテクスチェアを採り入れた「熊祭り(イヨマンテ)の夜」、「黒百合の歌」
 と同系統に置いていい響きである。
  従来の日本歌曲の音符構造とは異なる、どちらかといえば北方民族系と感じられる
 (南海の孤島の民族音楽に聴かせるために南方系のアレンジがほどこされているが、
 南方の響きとはどうも断定しがたい)土着色を引き出す音符運動が、知らずのうちに
 西欧音楽に慣らされてきた日本人の奥底に眠るアジアの血を刺激してくる。
  理屈ではない、旋律の力そのものが聴く者に強く追ってくる。南方色が込められた
 律動を引き連れて響く、北方色をもかもし出す旋律。南北の土俗音楽文化を一曲内に
 採り込み、西欧音楽のフォームに真っ向からの反定立を提示する音楽構造で書かれて
 いるからこそ、ここまで感情を揺り動かされるのだろう。

  単純な歌だからこそ覚えやすい。わかりやすい音楽だからこそ耳にこびりつく。
  この歌は、小美人が檻に閉じ込められているシーン、幼虫モスラが東京をめざして
 南太平洋を進んでくるさなか、モスラを呼ぶ小美人のテレパシーを遮断しょうとネル
 ソンたちが彼女たちを閉じ込めている檻にテレパシー速断ケースをかぶせるくだり、
 この二つの場面でともに無伴奏のアカペラで歌われる。
  古関が1961年に書いた「モスラの歌」は、1990年代になってもモスラが登
 場する何本もの怪獣映画を介して新しい世代へと受け継がれている。21世紀になっ
 てもそれは変わらない。一映画の劇中歌、単なる流行歌に終わらなかった。歌という
 大衆文化の持続力・生命力に考えがおよぶ。
  怪獣映画に流れる歌だから、子供向けの荒唐無稽映画に使われる歌だから、などと
 いった無責任な態度はまったくみえず、作品の物語世界を常に重要視して音楽を書い
 てきた古関の作家性が伝わってくる。
  歌謡曲に精通し、歌とは何たるかを知り尽していた古関だからこういった生命力の
 ある歌が書けた、と結論づけずにはいられない。

上記のテキストは私の作文ではありません。
日本映画音楽の巨星たち(1)/小林淳著からの抜き書きです。
原文は400行を優に超える「モスラ」音楽の大研究論文であり、その氷山の一角を
抽出しただけです。
このような著作の引用は好ましいことではありませんが、権威の全く無い私の寝言を
書くだけでは「モスラの歌」の凄さを訴えても客観性がなかろうと思った次第です。
高価な本ですが、特撮映画ファンでザ・ピーナッツ・ファンであればお薦めします。
と、同時に、↓↓↓このCDも草の根を分けても探してお買い求めください。

ステレオ録音での「モスラの歌」をどうぞ、このCDで味わってみてほしいのです。
「モスラの歌」だけではありません。映画で使われた主要な音楽は全てステレオで
収録されています。極上の映画音楽全曲収録を聴けるのです。
その他のCDで聴かれるモノラル録音にも、エネルギーを凝縮したような充実した
響きがあるため、両方を聴いてほしいようにも思います。
これほどの素晴らしい音楽の世界をハイライト版で聴いてしまうのは勿体ないです。
音楽を聴くのに「お買得」なんて概念は無意味です。
お金を遣いたくなければ中途半端でなく、一切CDなんか買うべきじゃないんです。
ただし、あの世にお金は持って逝けませんがね。

あまり他のメディアでも出て来ない説だとは思うのだけれど、特撮映画の音楽評価
というものは、まだ歴史が浅いのではないかと私は思うのです。
その理由は、概ね1940年以前、つまり戦前や戦中に生まれた世代には、音楽が
世間一般には浸透していなかったため、ゴジラやモスラが封切られた時代にはその
音楽を評価出来る大人たちが極めて少なかったのではないかと考えるのです。
トップに掲げた研究論文を書かれた小林淳氏も昭和33年生まれでありますので、
当時、実際に映画館でモスラを見た事があったわけではないと思われます。
もちろん音楽関係者には良さが認識出来ていたかも知れないが営業を担当する人や
お客さんレベルのお金を出せる層である大人たちには、子供騙しの怪獣映画であり、
その音楽がどうだろうが全く関心がなかったと断定して良いと思うのです。
つまり、音楽として評価され、聴かれるには私達以降の世代が大人になるのを待つ
熟成の時間が必要だったわけであり、アナログレコードの時代ではなくCD時代に
なるまで全曲のサウンドトラック盤なども出なかったと推定します。

戦後は音楽教育の成果というよりも音楽の自由化が図らずも起きてしまったのだし、
なんといっても渡辺プロダクションの存在が大きく、ポップスを中心とした音楽の
新しい世界を日本に浸透させた功績が大きい。
もっと限定すれば「モスラ」上映時点で未成年であった層以降の人達が中心になり
特撮映画の音楽面の評価を確立させたといえると思う。
歌っているザ・ピーナッツでさえ20歳になったばかりであったし、爆発的な流行と
なった現象も、私達が子供だったことで自然発生的に生まれたのだ。
創った古関裕而さんは大人であったが、アンパンマン作者のやなせたかし氏も大人。
やなせたかしさんは、なんで受けたのかわからないと言っているが、古関裕而さん
も同じように驚いているかもしれない。そういうものなのだろう。

アンパンマンを出したついでに脱線してしまおう。
この主題歌である「アンパンマン・マーチ」が私は大好きなのだ。
作曲はあの三木たかしさん。歌っているのはドリーミングというデュオグループ。
何の因果か(笑)こちらも双子歌手。国立音楽大学声楽科卒業という変わり種。
子供の合唱をバックに歌われるこの曲を聴くと、私は感涙しちゃうのです。
別にこのCDが欲しくて買ったのではなく、ザ・ピーナッツのテレビ主題歌を聴く
ことが目的で、他のCDでは聴けないバージョンだったから買ったのです。
脱線ついでに書きますと、同じ盤面に入っている「ゲバゲバ90分のテーマ」だが、
このオリジナル録音の演奏が素晴らしいなあと感心してしまう。
その後のあちこちでのご自身やご子息の演奏や録音が全て、この域に達していない。
最初っから何でこんな名演奏が出来てしまったのかと呆れてしまいます。

お手本があっても、お手本以上には出来ないことがある。
それは「モスラの歌」でも言えることで、以後のどんなバージョンもオリジナルを
超えることは出来ていないし、まあ、永遠に無理だなと思う。

実際に古関裕而さんから直伝とも言うべき歌唱指導を受けたのはザ・ピーナッツ
だけなのであり、あの熱唱スタイルと、あの情熱的なアレンジだからこそ妙味が
あるのであって、他のグループや新たなアレンジでは魅力が薄まってしまうのだ。
この歌の生命力はメロディーだけにあるのではないのだ。

「モスラの歌」には歌詞がある。歌詞自体は裏設定なので余り意味を追い求めても
しょうがない面もあるが、参考までに紹介しておきたい。

この歌詞のおおよその原案は、脚本の関沢新一、制作の田中友幸、監督の本多猪
四郎の三人で作られたという。これは、もう一つの裏設定であるモスラの碑文と
同様のことを書いているので両方の設定を同時に行ったのであろう。
その原案歌詞自体は残されていない。
この原案を当時、インドネシアから東京大学に留学してた学生にインドネシアの
地方語に翻訳してもらったのが上の資料である。この時代に日本に留学するのは
大変なことなのであって、かなりの上流階級、知識階級に属する優秀な学生さん
であったのだろう。日本語部分はその対訳である。(原案ではない)

この原詞の最初の部分を使い、更に歌いやすくするためにカタカナ表記したのが
最終決定稿なので、インドネシアの人が聴いても発音の面や地方語の古語なので
ほとんど意味が判らないかも知れない。
もちろん、インファント島の言語は、言語学者の中条博士でも詳しくは判らない
ほどなのであり、インドネシア語とは異なるのだから、これでいいのだ。
それでも「どうも、島を荒らさないでほしい、と訴えているようだ」と解釈まで
しちゃうのだから驚異的な学者ではある。(笑)
中条博士は4年前に作られた最新のモスラ映画にも同名で再出演されていました。

中条博士役の小泉博さんはザ・ピーナッツさんとモスラ全作品で共演されましたが、
お二人と撮影所で逢ったことがないというのが面白いです。
ザ・ピーナッツは特撮チームとの撮影だったわけで、それでいて本編側の本多監督の
指導を受けるという極めて異例な出演者でもあったわけですね。
あとで合成してるのですが、会話のセリフの間など上手く編集して作られています。

「モスラの歌」は「モスラ対ゴジラ」でも歌われますが、こちらはアカペラだけです。
実に三年ぶりに「モスラの歌」を歌うわけで、その間テレビでも歌っていませんから、
古い録音(レコードは当時存在しない)でも聞かせてもらって練習したのでしょうか、
音楽担当は伊福部昭さんに変っていたので「モスラの歌」の歌唱再指導はなかったの
ではないかとも思われ、ハーモニーなどは二人で思い出したのでしょうか。
それでも、ちゃんとオリジナルと同じ事が出来ているのは偉いなあと私は思います。
三作目の「地球最大の決戦」では「モスラの歌」は歌われませんでしたが、これには
私は不満を感じました。伊福部昭音楽であっても、これは必須ではなかったか、と。

「モスラの歌」には面白いリミックス盤が存在します。

それは、このCDに収められた「モスラ・メタル」という作品です。
「奇跡の詩」という部分を補充して、尾藤イサオがザ・ピーナッツと共演します。
私はリミックスものは全面否定という人間ですが、これはとても面白いのです。
メタル・ロックとでもいうのでしょうか、凄まじく過激な前奏から始まるので、
これは何だと驚愕しますが、その演奏に乗ってなんと「モスラの歌」が歌われる。
これは奇跡といってもオーバーじゃないと感じました。背筋がぞっとしました。

このザ・ピーナッツの「モスラの歌」は檻の中でアカペラで歌われたバージョン
が使われています(……とはどこにも書いていないが、私にはわかります)。
アカペラでありながら、正確なリズムに基づいて歌われたから、使えるのですよ。
凄いことじゃないのか、と、私は(素人だから)思うのです。
こんなこと誰にでも出来るわけない。正確なリズム感だったからこそ活きたのです。
リズム感、音程ともにしっかりしていなかったら、こんな復活はありえません。

「釣りはフナに始まってフナに終わる」とか申しますが、趣味というものの核心で
あり、私の場合は「ピーナッツの愛好はモスラの歌に始まってモスラの歌に終わる」
という面があり、たったひとつの「モスラの歌」であっても多くの示唆を含んでて
興味は尽きないというところです。
映画「モスラ」は壮大なモスラ讃歌であるエンディング曲で締めくくられます。
私の拙い表現よりも、CDの解説も書いている小林淳氏の名文を引用しましょう。

  モスラに乗って南海の彼方にある故郷、インファント島に帰還する小美人。島の遠
 景の上空に羽ばたき翔んでいくモスラが映る。弦の先導に導かれて豊満な男女混声ヴ
 ーカリーズが流れてくる。場面が換わる。祭壇の前の広場で島民たちが祈りを捧げて
 いる。バックコーラスに合わせてメロディツクな歓喜の歌をヴオカリーズで口ずさみ
 ながら、小美人が神殿に登場する。島民の喜びの舞いとともに、♪モスラーア モス
 ラーア、とモスラ賛歌を情感たっぷりに歌っていく。歌がクライマックスを迎える箇
 所で南方色を強調する律動を刻んでいた打楽器は隠れ、オーケストラの総奏と男女混
 声合唱が一体となった、まさに大団円というにふさわしい音楽を築いてコーダに至る。

  おそらく、『モスラ』を完結させるのにこれ以上のラスト・シークエンス、音楽演
 出は考えられない。わかりやすく、情動を揺さぶる音楽。原色を配したインファント
 島の神殿。その下方で踊る大勢の島民。まるでカーテンコールのように正面から画面
 に登場し、鑑賞者に向かって歌と踊りを披露する小美人。埋もれていた碑文の下部の
 土が崩れ、現れてくる最後の一文。「平和こそは 永遠につづく 繁栄の道である」。
 画はインファント島の外観に移り、音楽が(終)を盛り上げる。島全体で歓喜の歌を
 発するかのような締めくくりとなつている。『ベン・ハー』(59/監督ウィリアム・
 ワイラー)や『クレオパトラ』(63/監督ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)などの
 ハリウッド・スペクタクル史劇映画を連想させるパノラマ風の美術セットがかもし出
 す雰囲気も効果をあげている。
  『モスラ』は無国籍風でエキゾティシズムを漂わせてくる音楽でその物語を開き、
 甘美に満ちた響きで結末を迎える。開巻から終幕まで、純音楽分野もフィールドに含
 んだ古関の音楽特性に覆われた映画だった。

以下、余談になるが、私は30代の初めにインドネシアのバリ島に旅行しました。
インファント島みたいな雰囲気があるような気がしたからであります。(笑)

旅費は18万円で当時としては大金であったし、日本人旅行客は一緒に行った4人
以外には全く逢わなかった。日本語がなんとか通じるのはガイドの人だけである。
このガイドさんは日本には行ったことがないという。
「モスラ」という映画を知らないか聞いたが、全然わからないと言っていた。
これでは「モスラの歌」の意味がわかるわけがないが、いちおう歌って聞かせた。
それはインドネシア語ではないと言っていた。もうよせよ、と同行者に止められた。

運転手とガイドさん、一日借りきりで2000円だけという物価・人件費の安さ。
友人と分割だから、1000円でブラブラ出来るのだが、すぐに飽きた。
観光地らしき場所が全然ないのだ。それがいいところでもあるのだろう。
夕方になるとイベントがあり、ケチャというアカペラの不思議なコーラスだとか、
ガムラン音楽に乗せた民族舞踊を見聞きした。
実になんとも不思議な体験のような感じで、とにかく出演者のボリュームだけでも
圧倒されてしまう。現代ではテレビなどで盛んに紹介されるし、CDもあるので、
予備知識も十分に持てるだろうが、当時の私としては全くの初物なのであった。

これはモスラの音楽とはまるで無縁の世界だし、こんな音楽は聞いたことがない。
何か神様に近づくための音楽という感じがする。
西洋音楽も同じような目的があるのだろうがアプローチがまるで違うのだ。
それに信心深さも大変なものらしく、ガイドに行ってはいけない地域とかないのか
尋ねたが、どこに出掛けても大丈夫だと言われた。犯罪というのはないのだそうだ。
そのくせ、デンパサール空港ではマシンガンを抱えた兵隊みたいのが沢山いたので
さては政変か? どうなることかと思った。機関銃は近くで見たくない代物だ。
いきなり別室へ連れて行かれたので、殺されるかと思ったらコレラの注射だった。

市中では洋服を着ている人々が殆どなのだが、ちょっと外れると胸を隠している
女性なんか居ない。隠す方がおかしいという気にもなってしまうほど自然なのだ。
ザ・ピーナッツの衣装は隠し過ぎと思う。まあ、日本だから、しょうがないけど。
浜辺に居たら、ボートから少年が乗らないかと誘って来た。
他の島からやってきて観光客を乗せるのだそうだ。日本円にして50円だという。
美しく透明な海底を見るとウニがうじゃうじゃ居る。
200円奮発したら、潜ってそれを次々に捕ってくれる。やたらに旨かった。
本人はまったく食べない。どうも悪魔のようなものだと思っているみたいだ。

実家に居たころ、毎日、家のあちこちに朝御飯直前にお供えをするのが私の役で
あったが、なんて面倒なことをいつまでやるのだろうと思っていた。
だけど、バリの人達のやっていることは半端じゃない。家の周りに神様が点在して
いるという感覚は我が家と一緒の概念だが、供えるものが凝りに凝っている。
小さな花環のようなものを毎日こしらえているのだ。大変なんだろうと思うのだが
それを面倒だなどと思う邪念がないのだろう。世界一幸せな人達だなと感じた。
羽田とデンパサールを結ぶ直行便はセンパティ航空の週二便しかない時代だったが
お店などでシンガポールから来たのだろうと言われて、直行で来たと言ったのだが
意味はそうじゃなくて私を日本人だと思っていないようであった。
ジャパン? オー、ジャパン。てなもんで、日本人は珍しいようだった。

モスラの神殿にあるようなお土産を買ってきたのだが、どういうわけか、羽田での
税関通過に手間取ってしまい、私の荷物は二人がかりで徹底的に調べられた。
大人数のツアー客ではなかったからかも知れないが煙草までバラバラにしちゃって
すみません、の一言もない。よほど怪しい素性に見られたのかと思うと悔しい気分。
買ってきたものは家族には不評。薄気味悪いし、暗がりでは見たくないとか。
それでも小美人が乗るような銀細工の馬車が私のお気に入りだったし、やや好評。
30過ぎてお土産をプレゼントする彼女も居ないのは淋しい限りではあったが……。
インファント島もどきに行って来たという自己満足の思い出だけは残ったのだった。

(2007.07.14.記)