■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
♪チャオ 1963.03
CIAO
作詞:あらかはひろし 作曲:G.Ferrio Castaldo.Jurgens
編曲:宮川泰 演奏:レオン・サンフォニエット
録音:1963.01.31 文京公会堂
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★★ | ★★★★★ | ★★★★ | ★★★★★ |
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「チャオ」というのはイタリア語で親しげな挨拶で使われる言葉ということですから、
改まった言い方ではないので、友人とか恋人とかの間で交わされるのでしょう。
日本でも一時は「チャオ」なんて洒落っぽく言ってた人もいました。
語感からもそういう軽い響きがあるようです。お茶目な言い方なのでしょう。
とにかく、人間関係では挨拶が基本。(動物でもそうなのかもしれないけど)
朝、起きたら、明るく、おはよう、というのが大切だ。
意外にこんな単純なことが出来ていない場合があるものなのだ。
職場でもそうだ。おはようございます、から仕事が始まる。
帰る時も、失礼します、とか、お疲れさま、とか、声をかけあうのが大事なのだ。
私の元の勤め先の工場は誰が躾けたというわけじゃないのだろうが挨拶がよかった。
他所から出張してきた人は一様に仰天する。新しく入った業者も驚いてしまう。
逆にこっちが他所に出張すると、私が挨拶するとビックリされてしまうのだ。
挨拶がちゃんと出来る職場は全てが良い。これだけは絶対に間違いない事実だろう。
どんなに時代が変わろうと、これは不変のことだ。確信する。
さて、この「チャオ」の元歌は、カテリーナ・バレンテさんが歌っている。
ヨーロッパでヒットしたのかは不明だけど、恐らく大ヒット曲ではないであろうし、
カテリーナさんの持ち歌の中でも、さしたる重要な楽曲ではないのではなかろうか。
ザ・ピーナッツさんとそのスタッフは外国でのヒット曲をそのままカバーして歌うと
いうわけじゃなく、個性とその楽曲がマッチしているかを最優先した筈である。
これはどの歌手でも当てはまることであって、ザ・ピーナッツだけではない。
日本でしか流行らなかったポピュラー曲というものはけっこう多いらしいのだ。
日本人に好まれる旋律だったとかいう分析があるが私はそうじゃなくて日本の歌手が
どうカバーして歌ったか、という要因の方が強いと思う。
「恋の片道切符」などは、平尾昌晃さんなどが歌ったからジャズ喫茶やお茶の間での
流行に結びついたに違いない。そういう下地がなければニール・セダカの歌唱だけで
あんなに日本人にだけ好まれるという現象は起こらないだろう。
そういう意味で、この「チャオ」は、まあザ・ピーナッツの歌として認識しておいて
差し障りがないようなものだと思う。
カテリーナ・バレンテさんもザ・ピーナッツの支援と共存することを考えたのだろう。
当時はこのレコードは持っていなかったが、EPITAPHさんが貸してくれたので、
改めて聴いてみました。改めて、というのはラジオなどでは聴いたことがあったから。
これを聴くと、ザ・ピーナッツのものは、これをお手本にしていることは歴然です。
ただ、宮川さんが耳で聴き取ったものを再構築したのであって、オリジナルの楽譜を
そのままパクったというわけではなさそうだ。
この曲に限らず、アレンジャーの腕として、そのまんまコピーすることだって可能で、
少し前のカラオケの打込みのコンポーザー(でいいのかな?)は新曲を簡単な楽譜と
耳で聴いた演奏で再現させていました。それなりの素養があれば出来るということか。
ザ・ピーナッツに限ったことではないが、どうもオリジナル偏重主義で色んな歌手の
ベスト・アルバムが構成され勝ちだと感じるが、例えば弘田三枝子さんなどカバーの
曲でこそ、その魅力が思う存分に発揮されているようにも感じるし、ザ・ピーナッツ
でも私はカバー・ポップスのジャンルが大好きだ。
だってクラシック音楽なんて、言ってみれば、どの演奏家もカバーじゃないか。
おまけに演奏家独自のアレンジなんかよほど特殊な意図がなければ行われないのだし、
カバー演奏芸術なんである。なぜポップスの世界だけオリジナルに固執するのだろう。
なので、この「チャオ」は堂々とザ・ピーナッツの代表的な歌だと言い切ってしまう。
親しくさせて頂いている薮似(やぶに)さん主宰のサイト「クレージー・ビート」の
テレビ番組紹介コーナーには、植木等ショーの放送履歴が載っております。
http://crazy.yabunirami.org/
1968年9月26日放送の「ザ・ピーナッツと共に」では、この「チャオ」が登場。
植木さんは「ぎゃお」なんて言って笑わせてくれますが、この歌を歌うのは5年ぶり
のことなのであって、ザ・ピーナッツの持ち歌では既にエバーグリーン化した証拠。
お馴染みの曲であるという面が前提でなければパロディにもならないのですからね。
このレコード(CD)の演奏の素晴らしさには本当に圧倒される。本当に上手い。
このようなテキストで表現するにはデータ的な裏づけがあった方が説得力があるとは
思えるものの、演奏者のデータがあるわけではない。
レオン・サンフォニエットというのはレコーディングのための仮の名称であるので、
レオン・ポップスという楽団名が実体はNHK交響楽団のメンバーであったりする。
それと同じであって、相当に腕達者なメンバーによって構成されていると思われる。
それが歌と演奏の同時録音なのでスリリングで息のあった躍動的な合奏となっている。
これからは、録音形態からも、まず聴くことが出来ないであろう名演でもある。
それにまあ、音がいい。
欧米の演奏家のブラス楽器などは、もっとパワフルで力感もあって凄みがあるのだが、
この録音は、そういう迫力よりも、音の美しさがあって、とても良い。
歌と楽器の距離感も素敵で、その立体的な音の構図や配置が魅力的である。
弦楽器も管楽器もややオフ(遠い)気味であるが、間接音とのエコー感も醸し出され、
実に音色的な魅力に溢れている。弦楽器と金管楽器はパワーが違うので、クラシック
では人数の差で補うが、ここでは録音テクニックでバランスをとっている。
このような現場一発録音は、今の技術者では不可能らしい。後でスタジオで調整する。
それは、そういう修養を積む場面がないからだといわれている。
はっきり言って、この録音は、7割方演奏に傾聴するものであろう。
演奏陣もこれは張り切らざるを得ない。こんな機会は流行歌ではめったにないことだ。
♪チャオ、と、ザ・ピーナッツが歌い出す前に、もう魅力が提示されてしまっている。
このイントロだけでもう気分最高。すでに、やったね、という感じである。
ザ・ピーナッツはもうチャーミングに歌うことに撤していればよく、リズムに乗って
グルーブ感を醸し出せれば満点なのだ。歌に集中して聴く類いの曲ではないのだ。
ザ・ピーナッツのレコードを聴く楽しみの典型がここにある。最高なんである。
矛盾するが、その最高が他にもいっぱいあるからザ・ピーナッツは最高なんである。
(2007.10.06記)
(EPITAPHさんに聴かせて頂いたバレンテさんのシングル盤2種 解説も参考になります)