■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
♪ついて行きたい 1969.09
作詞:山口あかり 作曲:田辺信一 編曲:小谷 充
演奏:オールスターズ・レオン
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★ | ★★★ | ★★★★ |
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「その時、歴史が動いた」というNHKの番組があるが、このシングル盤を買った時、
「その時、歴史が止った」と感じた。( ̄□ ̄;)フリーズしたよ。
よく両A面というが、これは両B面としか言い様がない。なんなのだこれは!
流行歌というものは、どんなものが受けるか予測が難しいものなのだろう。
また、どんな曲でも繰り返し聞かせれば、結構ないい歌と思わせる面もあろう。
校歌とか社歌なんて大した曲ではなくても当事者にとっては名曲に感じられることも
あるだろう。
実際、神奈川県民歌、小学校校歌、中学校校歌なんか今すぐにでも歌えるのである。
(高校のは校歌がなかったから無理だ。そもそも音楽の授業がなかったんだからね)
元の勤め先の社歌も歌えるし、組合関係の古い「同盟のうた」なんか前奏・間奏さえ
ばっちり覚えている。人間の習性なんてそんなものだ。刷込み効果が大きいのだ。
そういう意味では、このシングル盤のどちらかの曲がヒットする確率がゼロだと断定
することは出来ないのだが、このどちらもが新境地開拓という趣があるのが疑問だ。
実験的試行は、とりあえずB面曲だけでやるべきではなかったのではないか?
両面とも同じような趣向であり、ザ・ピーナッツは今後、このスタイルで行きますよ
という宣言をしているようなイメージを私は持った。
これは、方針の何かが違う。何か凄い勘違いをしているんじゃないのかと感じた。
「恋のフーガ/離れないで」のシングル盤が久々にヒットした。三塁打級の当りだ。
以後、
「恋のオフェリア/愛のフィナーレ」
「恋のロンド/愛への祈り」
「ガラスの城/たった一度の夢」
「悲しきタンゴ/愛しい人にさよならを」
「哀愁のヴァレンティーノ/夕陽に消えた恋」
と素晴らしい佳曲が連続してリリースされていた。順風満帆よ〜そろ〜だった。
そこに、この、「野いちご摘んで/ついて行きたい」が出たのである。
まさに「機長、なにをするんですか!」という逆噴射〜失速〜墜落という事態だ。
新しい音楽スタッフの採用も良いことではあろう。
「ガラスの城」では、作曲に鈴木邦彦さんを初めて起用していた。
しかしBSの「歌伝説/ザ・ピーナッツの世界」でご本人が語っておられたように、
あくまでザ・ピーナッツのアイデンティを崩さないという前提で、また宮川さんの
音楽スタイルに付かず離れずという線を狙ったということなのである。
また、編曲には、これも初めて森岡賢一郎さんが参加した。
当時流行のブラスロック風のアレンジを付加した見事な出来となった。職人芸だ!
そこへ急に、田辺信一というヒット実績がない作曲家に両面を任せた企画となった。
この流れは一体なんなのであろう。
渡邊晋社長は全ての楽曲について自分のゴーサインがなければレコードにはしない
という方だったと色々な書籍に書かれていたが、この企画を何故通したのだろう。
この年にはNHK紅白歌合戦に所属タレントを10組も出場させるという大勢力の
プロダクションに成長していて、これから売り出す新人も多くて、多忙の極みでは
あったかもしれないが、「この世界、面白いことを先にやった方が勝ち」といった
精神がここに至って感じられなくなってしまっている。この曲、面白いだろうか?
また、この直後に沢田研二作曲というシリーズが始まるのであるが、これもなあ。
宮川泰、すぎやまこういち、鈴木邦彦というメンバーをみても全部専門家であった。
ザ・ピーナッツの世界は飛び抜けて優秀な専門家スタッフによって構築されてきた。
如何に沢田に才能が見い出されたとしても、レベル的に段違いではなかろうか?
シングル盤というものは勝負する曲でなくてはならない歌手生命を左右するものだ。
このような実験はまずLPアルバムでやってみて、好評ならシングルにすればいい。
ザ・ピーナッツの作曲家としての役割から遠ざけられた宮川先生は才能が枯渇した
ということではなかったと私は思う。どういう理由なのか見当もつかない。
あの大傑作「宇宙戦艦ヤマト」は、この5年後に作曲されているのだからね。
ザ・ピーナッツのイメージ・チェンジを試みたのかも知れない。10年目だしね。
だけど今更、人気を盛り返そうとしても意味がないと思いましたね。
話題性ということからも変わったことをしてみても若いアイドルに集中する熱気の
ようなものは得られるわけがないのです。
この前、夫婦の賞味期限なんてのをテレビでやってましたが、4年なんだそうです。
その程度しかアツアツの恋人状態は保てないということでしょう。
アイドルの仮想恋人としての賞味期限もほぼ同じじゃないでしょうか?
だから余程の名曲じゃないとアイドル状態でない歌手のレコードは売れっこない。
そういう意味でもデビュー9年目での「恋のフーガ」のヒットは凄いこと。
なかにし礼、すぎやまこういち、宮川泰の超豪華スタッフだから出来たのでしょう。
このハイレベルから、わざわざ下げてしまうなんて狂気の沙汰です。
作詞も魂胆の底が見えるようで好きではない。小谷充さんの編曲はかなり秀逸かも。
ザ・ピーナッツは歌唱表現を一生懸命に工夫していて努力のあとが聴けます。
しかし、この素材では誰が歌ってもヒットしたとは思えないなあ。
「悠々自適」という言葉があります。
「悠々自適だね」なんて言われるとイヤミを言われたように感じて腹が立った。
だけど、自分が言葉の意味を間違えていたようです。
「お金がいっぱいあって、すきなことやってて、いい身分だね」という意味だろう
なんてイメージを持ってました。でも本質的にニュアンスが違うのですね。
「世間のことに煩わされず、自分の思いのままに暮らすこと」こういう意味なんだ。
大事なポイントは、世間のことに煩わされず、ということだったわけで、それなら
まあ当たっているから、これからは素直に、はい、のんびりやってますと答えよう。
何故、悠々自適なんて言葉を持ち出したかといいますと、この時点でピーナッツは、
悠々自適に、持ち味に似合った曲を出していれば良かったと思うからです。
国民への認知度は既に抜群だったはずですし、海外での活躍も少しは知られていた。
だから、落ち着いて、あまり世俗的な脱皮なんかする必要がなかったと思います。
シングル盤より、LPアルバムで真価を発揮するようなのも面白かったのでは?
まあ、それは傍目八目的な結果論でもあり、無責任な陪観者だから言えることで、
やはり大衆にどのように受け入れられるかが主体にならざるをえなかったのでしょう。
道楽や慈善事業でやってたわけじゃなかったのだから、仕方ないということかな。
総括すると、個人的には「ついて行きたい」けど「ついて行けない」感じです。
えっ、お前の随想記の方が独断的で「ついて行けない」。はい、ごもっともです。
(2007.10.16記)