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♪冷たい舗道 1968.12
作詞:橋本 淳 作・編曲:筒美京平
演奏:オールスターズ・レオン
録音:1968.08.30 文京公会堂
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★★★ |
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今回の随想を書くにあたって、誤解のないように、「随想」について補足します。
「随想」とは辞書では概ね下記のようなテキストのことを言います。
<折にふれて思うこと。また、それらを書きまとめた文章。>
まあ、お気楽な読物、という概念で私は書いておりますし、それを随想と表しても
意味不整合なことはなかろうと思います。
一方で、「評論」という言葉があります。
評論とは=物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。また、その文章。
このような高度な論文は私のような素人に書ける筈もないので、これではありません。
しかしながら、このように誤解を与える表現がなかったか、というと、ありましたね。
ヘッダー部分の表記が「ザ・ピーナッツ・レコード・レビュー」となっておりました。
「レビュー」という言葉は、会社でも良く使われるので、「紹介」程度の意味かな、
と思っておりましたが、どうも違うようなのです。
レビュー=批評記事。文芸・芸能などに関する評論。論評。また、評論雑誌。
へえ〜そうなんだ。これは評論家にしか出来ない重大なものではないですか、ヤバい。
そうすると、レビューじゃなくて、「エッセイ」が正しいように思いました。
これも辞書でみますと、
1 自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。
2 特定の主題について述べる試論。小論文。論説。
これですね。これ、これ。……というわけで、
ヘッダーを本日から、「ザ・ピーナッツ・レコード・エッセイ」に訂正します。
ところで、本質的な問題?として、素人がレコード(CD)の感想を述べることに、
どんな意義があるのだろうか、という基本的な価値や真理面のことに探求してみます。
手元に、レコード芸術(音楽の友社刊)の2月号があります。
今月の特集は「読者が選んだ2007年ベスト・ディスク」でありました。
そこには単なる投票結果だけではなくて、読者のコメントが沢山載っているのです。
また、このような特集ではなくても連載で毎月、読者が選ぶマイ・ベスト・ディスク
というコーナー頁も存在します。
こんな企画や連載コーナーなどは素人の物好きが書いているために雑誌としての推薦
ではなくて、あくまで読者が選んだということが着眼点だと思うのです。
このコーナーは結構個人的に好きです。本当に妥当なのかは問題に致しません。
素人だと、こう感じるのか、自分もそうかも知れないなあ、で、いいんです。
どこかで書いたかも知れませんが、新日本フィルの演奏会の帰りに、オーケストラの
メンバーと同じ電車になり、ボックス席に一緒に座ったことがありました。
楽団員だということはわかっていたので、恐る恐る声をかけてみたら、演奏の感想を
尋ねられました。
実際に多くの演奏会を聞いてきたわけではないのでという前提で色々と話をしました。
シューベルトの未完成交響曲の最初の部分はレコードでは何時の間にか始まってると
いった感じで、ピアニッシモなので音や旋律が良く聴こえない。
でも、実演では、そこが、とても、しっかり聞こえるので曲全体として辻褄が合った
感じがするし、小さな音で弾くチェロが素敵だった。とか、
新世界交響曲では、第三楽章のトライアングルが凄く効果的でレコードでも鳴っては
いても、あの効果は出てこない、とか、
クラリネットの音があの楽器から? と思えぬほど、太くまろやかで、大きな虹の
輪のように音が拡がって、こっちに、はいどうぞ、って鳴っているような、なんて
感想を言っていたら、おい○○さん、聞いた? って後ろの座席の人に声をかけた。
はい、はい、聞こえておりましたよ。いやあ、うれしい感想だね。自分は、いつも
そんな風な音を出したいって願っているんだ。なんて言って握手してくれました。
その後、ステレオの話になって今度はチェロを弾いている人がドアの横に座ってて
この人もタンノイ党って紹介してくれました。
お金がないので、一番小さいやつ、というので、お給料はいっぱい頂いているのでは
と聞いたら、安いし、何百万円もの楽器に消えてしまうらしい。
グリーン料金を節約して、普通車に乗って、そのお金でワンカップ大関を飲んでいる。
演奏の後は気が張っているので、精神面で、この一杯が必要なんだとか。
そんなこんなで30分あまり、川崎に着くまでお話していましたが、後日、テレビの
オーケストラがやって来た、という番組で、クラリネットという楽器の紹介の場面で、
山本直純さんとスピーチしていたのが、あの後ろの座席から身を乗り出して握手を
してくれた方じゃないですか。わお、首席奏者だったのね。と感激でした。
そういうわけで、ど初心者の若者(当時25歳だったかな)の感想だって耳を傾けて
聞いてくれるんです。音楽は聞く人が居て成り立つのです。
私が金管楽器はここが大変そう、とか。色々勝手に想像して書きますが、実際には
それは的外れなのかも知れない。その楽器にとっては容易いのかも知れません。
野球で言えば、凄いファインプレイだと思って感動しても、ただ守備位置が悪くて
結果的にやっと捕ったのであって、ファインプレイじゃないとプロの目は鋭い。
だけど、こっちはプロじゃないので、よく捕ったなあ、と単純に凄い凄いとはしゃぐ。
でも、それで、いいじゃないですか、楽しむために生きているんだから。
なが〜い前置きになりましたが、当るも随想、当らぬも随想。真剣に読まないでね。
さあ、「冷たい鋪道」なんですが、最近書いたばかりの筒美京平さんの作曲と編曲。
ザ・ピーナッツの音楽としてはレアケースになりますが、そのそも、この曲が入った
LPは、ディスク・リサイタルという副題が付いておりまして、歌手活動10周年の
記念アルバムなのです。
LPはそもそも企画ものが多く、いつもディスク・リサイタルと言う事も出来ますが、
この盤では、上記の御祝儀ものなので、普段は起用されない珍しい作詞家、作曲家が
多数登場して、彩りを競ったというわけなのです。
私はこの曲はフルコースの食事に例えるとメインの肉料理の前のお魚の料理のような
感じで、この曲だけじゃ満足出来ない、というか、つなぎみたいな感じがします。
アルバムの中の一つのポジションを任されているようであり、単独でこれだけ聴くと
物足りない感じがします。2分間程度という短いことも要因でしょう。
それと、センスが良過ぎ、粋にやり過ぎ、という面もあろうかと思う。高尚なんです。
見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ、粋な姐ちゃん立ちションベン。
音楽的素養の希薄な私にゃ、ちと荷が重すぎる。もっとくだけておくんなまし。です。
けだるくてお洒落というとイパネマの娘、とか、ワンノート・サンバみたいな雰囲気。
この辺りの線が狙い目なのかも知れません。
楽器を無闇やたらと投入しないで、バックコーラスを活かしたり、ザ・ピーナッツを
二重化して、4声に使うなど、試みは積極果敢、ユニークなサウンドに仕上がってる。
このアルバムの中に居てこそ活きてくる。そんな曲のように感じました。
録音も秀逸ですが、最初がピアノだけの繊細さがありますので、テープヒス雑音が
割りとはっきり聞こえてしまいます。
アナログ録音をCD化すると、LPでは余程いい装置で聴かなければわからなかった
ノイズや編集点がCDでは聞こえてしまい。80年代にはそういう音のクレームが
レコード会社に多く寄せられたそうです。だからCDに断わり書きがあるんですね。
私はこの程度ならノイズとも思わない。アナログテープ録音なら仕方ないレベルです。
(2008.01.27記)