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♪テネシー・ワルツ    1963.06
 TENNESSEE WALZTZ
   原曲:Pee Wee King Redd Stewart 編曲:宮川泰
   演奏:レオン・サンフォニエット
   録音:1962.01.17 文京公会堂
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★ ★★★★

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テネシーワルツといえば私の生まれる前からあったような気がしていたのだけど、
そこまで古くはなくて生まれた頃に出来て、3歳の頃にバティ・ペイジがカバー
したものが世界的にヒットしたのだそうです。昭和25年ごろのお話。
EPITAPHさんがレコード随想の参考にと、沢山の洋楽CDを貸してくれまして、
このバティ・ペイジの録音も聴いてみました。
かなりな大編成のオケが抑制した伴奏を付けていて歌声も抑えた感じでしっとりと
歌っているイメージです。
ザ・ピーナッツのカバーもそういう面で派手な演出はなく違和感はないと感じます。
独特のイントロとエンディングを宮川さんが付加していますが、これも自然な流れ
を醸し出していて、珍奇なことを意図したものでもないと感じます。

綾戸智絵さんのカバーが最近では話題で大好評なのではありますが、これは達筆の
人が書く草書風に大きく崩してあるために、元々のメロディーをよく知ってないと
一体どうなっているのかわからないかも知れません。絵ならピカソ風かな?
それまでは、この曲は江利チエミさんの名刺代りのような定番曲だったと思います。
歌詞は英語と日本語のチャンポンで歌われていて、これが以後の定形になったという
言い伝えですが、真偽のほどは私にはわかりません。

ちなみに、私の幼児期は進駐軍基地が家の近所にもあったらしいのですが、私自身は
あまり記憶にはないものの、どうも日本に駐留していた米兵は相当多かったらしい。
米軍キャンプが各地にあり、駐留する軍人の数も多く、渡辺プロの発祥もそういった
人達へのジャズ演奏の供給というお仕事があったからだったとか。
そこへは人事異動で交代でアメリカ兵がやってくるわけですが、初めて日本に赴任
した人が、こういうカバー曲を聴いて「日本語は英語に似ているなあ」と思ったと
いう笑い話があったそうです。英語のつもりで歌っていたんだけどねえ。(笑)

今、昭和30年代がブームになっています。
本当にブームなのか、マスコミがそう宣伝しているだけか、わかりません。
「3丁目の夕日」という映画がヒットしたことは事実のようです。
この原作の漫画は同い歳の作家が描いているので感覚的にはまあまあ共感があります。
でも個人個人の昭和30年代の生活があったわけで全部が全部共通する思い出がある
というものでもないなと思います。皆が皆、同じ環境ではありませんからね。
子供の遊びでもそうで、自分はわりと屋内派とでもいうか引きこもり系でした。

江利チエミさんの印象というのは大歌手という感じではなかったようでした。
個人的には「木遣りくずし」という歌がダントツに好きでした。
この歌に近い印象を江利チエミさんにも持っていてコミカルな味がお好みでした。
テレビ番組の「サザエさん」の主演もそうだし、同名映画も観に行ったものです。
ファンという感じではありません。歌手というより楽しませてくれる人でした。
現在でいうと誰かな? と思っても思い当たりません。そういう人なのかも。

この「テネシー・ワルツ」も「ウスクダラ」もそうですが何時の間にか聴いていて、
江利チエミさんの歌で、こういう歌だと思っていたように思います。
インドのカレーが日本人によって日本風の別物の料理になったようなものでしょう。
綾戸智絵さんの歌唱が本場ものなのか知りませんが、江利さんの方が身近です。
淡々とした美しいメロディーが身上のように感じるからです。
ところが、原詩はかなり赤裸々で、嫉妬に狂っている嫌な思い出の歌のようです。
女友達に恋人を奪われたなんて、そういう思い出は口に出すものじゃない感じです。
それを思い出す曲だなんて、忌み嫌われる気がします。
江利チエミさんの日本語チャンポン歌詞では、そこを寸止めしています。
だから良いのじゃないかなと思います。それが日本人感覚だから。

ザ・ピーナッツのこのカバーは全部を英語で歌っています。これも正解でしょう。
あくまで個人的見解ですが、英語を良くわからない方がいいように思います。
ニュアンスが分かるとかえって気持悪くなりそうに思います。
バティ・ペイジの歌も極力淡々と歌い語っているようにも感じるのです。
綾戸智絵さんの歌は、くそっ、くそっ、呪い殺してやる、という強烈さがあります。
この激烈さが本当の想いかも知れませんが、これでは人間が嫌になってしまいます。

米国テネシー州ではこれを州歌としているというので趣味が悪いなと思いましたが、
いくつかの州歌の一つだとネットに書いてあったので、ちょっぴり納得しました。
それというのも自分が大人になって歌詞の意味を知って驚いた曲だったからです。
ザ・ピーナッツのこのLPアルバムを何度も聴いていたのに、そういったイメージが
浮かばなかったというのも迂闊な話ではありますが、故郷の景色に思い出がいっぱい
浮かんできて郷愁が高まっているという歌唱に聞こえていたのでした。
間違いだったかも知れないが、それはそれでいいようにも思います。
歌詞の意味がわからなくても名曲はその価値を減じないという面があると思います。
「モスラの歌」だって、意味がわからなくても、いい歌だと思いますからね。

さて、脱線話はそのくらいにして、レコード(CD)について触れたいと思います。
この歌の伴奏は、レオン・サンフォニエットという表記がされています。
ついでに、このLPでの演奏陣を俯瞰しますと、
 シックス・ジョーズ    1曲
 オールスターズ・レオン  2曲
 レオン・サンフォニエット 9曲
と、このようになっていますが、この実体って、どうなっているのでしょう。

実際に聴いてみると、弦楽器を含む大編成で録音されているのは、4曲であります。
どうも、この4曲は同じ日に録音されたのではないかと私は思っています。
これらの曲と、このテネシー・ワルツでは、まるで編成が異なります。
ところが、同じように、レオン・サンフォニエットということになっています。
どうも演奏団体の表記はあてにならないし、実体はない、と考えるべきでしょうね。
いや、そうじゃなく、そういう楽団があるんだと信じることを妨げはしません。

この曲での演奏は、宮川泰アンサンブルというか、宮川泰お好み世帯バンドという
感じが強いと思います。アルバム表記では、編曲・指揮/宮川泰となってはいますが、
この曲では指揮というようなものじゃなく、一緒に阿吽の呼吸で演っているようです。
何を担当しているかというとアコーディオンだと思います。
何も根拠はありません。私の脳内でそう決めているだけです。思想・信念の自由です。
だから、あくまで正しいのは、楽団名=レオン・サンフォニエットでいいのですよ。

この「テネシーワルツ」は、最新の「ザ・ピーナッツ sings Arranger 宮川泰」の
CDに入っており、ドイツで発売されたCDにも入っておりました。
そんなに代表的な曲でありアレンジなのかと不思議に思いますが、出来栄えじゃなく、
曲そのものの一般的知名度からのものじゃなかろうかと私は感じます。
もっと他に同じアルバムからピックアップされるべき候補があるように感じます。
その結果からか、LP収録楽曲のCD化では珍しく、3種類のCDが聴けます。

この3種類で、音色がかなり異なるのが興味深いところです。
もちろん、いや、そんなことはない、全部同じだ、と感じる人のご意見も尊重します。
同じ録音から作っているのだから、同じ印象でも構わないに決まっています。
ウイスキーは銘柄が違ってもウイスキーだから同じだ、という意見もごもっともです。
だけど、私は趣味の世界に生きています。違いにもこだわりたい。それだけです。

音量が最も大きいのは、ドイツ盤のSouvenirs aus Tokio収載のバージョン。
大きいというのは平均音量レベルが高くリミッターやコンプレッサー処理がきついと
いうことで、メリハリが効いていてパンチがあり、ミニコンポ向けです。
世界的大流行のポップス系の音作りで、昔のドーナッツ盤のような店頭効果狙いです。
CD本来の持つダイナミック・レンジはまったく活かされないスタイルです。
携帯プレーヤーやカーコンポでの音楽鑑賞にはうってつけと思われます。

スタンダードだよ、ピーナッツのCDに収録されたバージョンは最もオーソドックス。
ごく自然にアナログマスターをそのままCD化したように思われます。
必要以上の音量やメリハリはないけど、安心して聴けるCDだと思います。
従来のアナログレコード盤と同様のバランスで聴けるので大型装置にも向いた音色。
現代の他の音源と比べるとコンパクトな装置では物足りない感じもするでしょう。

最新の「……Arranger 宮川泰」盤は、そこのところの兼ね合いが非常に巧みです。
音色も温かく、適度なコンプレッサー加工も行われているようなのですが上手なので
嫌味にならず、聴きやすいし聞き応えもあるという見事なバランスに仕上がっている。
ここ数年、CDの音質改善が目覚ましいらしいのである。
そんなことはテレビや新聞、週刊誌などには登場いたしません。
そういうメディアしか見ない人には、そういう事象は起きていないことになります。
また、商品にその旨が謳われていないと、これも起きていないと認識されるようです。
つまり、活字になっていないことは事実ではない、と思い込んでいる人も居るのです。
命令文書記録が存在しないから、沖縄の集団自決強要や従軍慰安婦の事件はこの世に
存在しないのだと言い張るのと同じです。

自分の目、耳、頭はどうしたのでしょう。
自分の感覚が信じられなければ、何を拠り所にして生きているのでしょう。
近年、改めてリリースされるCDは、絶対に「買い」だと確信します。
声のニュアンスが演奏の雰囲気との兼ね合いでとても素晴らしいと感じます。
是非、新盤で、その愉悦感に浸ってみてください。
(2008.04.26記)