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♪天使のためいき 1966.05
NOUS NE SOMMES PAS DES ANGES
作詞:安井かずみ 作曲:S.Gainsbourg 編曲:宮川泰
演奏:レオン・サンフォニエット
録音:1966.02.18 キングレコード音羽スタジオ
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★★ |
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この歌はフランス・ギャルというフランスの女性歌手で66年に中ヒットしました。
フランス・ギャルなんて、まあ、出来過ぎのお名前だったなあと今更に思います。
このような可憐なお嬢さん歌手というのは日本とフランス以外当らないのでは?
可愛い、ということを大切にする少女趣味文化はその他の国には見当たらないし、
日本とフランスの奇妙な感覚なのかも知れません。歌、下手じゃないんだけどね。
現代は便利な世の中になっていて、フランス・ギャルのレコード持っていなくても
動画閲覧サイトでフルコーラスを聞く事が出来ます。
フランス語の甘ったるい語感とフランス・ギャルの声音が見事にマッチしてまして、
彼女向けに作られたという印象がバッチリです。プロデュースが上手ですね。
大ヒットした「夢みるシャンソン人形」の路線をがっちり踏襲して堅実なヒット作。
ザ・ピーナッツのカバーはややお姉さん感覚で可愛らしさは控えめです。
ザ・ピーナッツのこの歌は、AROUND THE EUROPE/THE HIT PARADE Vol.6という
LPアルバムに収録されています。シングル盤は出ておりません。
オリジナルのアレンジは常識的という感じで手堅いけど新鮮味がないようなのですが
宮川さんの編曲は基本路線に沿ってはいても更にショーアップさせたようで弦楽器の
上昇下降パッセージが印象的。すっかりザ・ピーナッツ風味を確立したかのようです。
しかし、この手慣れた感じが、なんとなく当り前になっているマンネリ感もあって、
上手けりゃ上手いなりに危なげなさを感じてしまって物足りなさも漂います。
これは、このLP全体からも感じることで、粒揃いのヨーロッパヒットソング集には
なっているものの、なんか大向こうを唸らせるインパクトがない。
この年には、エド・サリバン・ショー(米国最高の人気テレビ・ショー番組)出演と
ダニー・ケイ・ショー出演(全米NBC系、3回出演)が重なって、もう大変な時期。
さささっと流して一丁上がり、という現状維持の中庸アルバムのように感じられます。
一言で言うと、イージー・リスニング的に聴いた方が良いのかなと思います。
イージー・リスニング的という表現では安っぽさをイメージしてしまうと思いますが
気楽に聴けるという意味での表現です。
イージーだからと言っても聴き手がイージーな気分で聴けるのであって演奏者が楽に
演奏しているわけじゃないけど、技が熟達しているので苦心が表出していないのです。
継続は力なりと言いますが、カバーポップスの草分けであり、かつ最後迄ポップスの
カバーを投げ出さなかったピーナッツには余人を持って代え難い円熟の極みがある。
まさにカバーポップスの第一人者であって、2位がいないくらい抜きん出ている。
このLPアルバムのタイトルは、ザ・ヒット・パレード第6集となっているのだが、
実際には周知のように、第4集と第6集がダブりであるので実質第8集に相当する。
このようなミスが起きること自体にマンネリ化したアルバム作りの姿勢を感じる。
他で書いたかも知れないが、ザ・ピーナッツ以外の歌手はホームラン狙いで勝負する。
つまり当ったらレコード会社の社員のボーナス支給額が大きく増える楽しみがある。
そこへ行くとザ・ピーナッツのレコード発売では堅実なヒットを常に期待している。
これはボーナス資源ではなく、月給ベースの生活基本給のようなものなのだろう。
派手じゃないけどレコード会社の経営基盤をしっかり支える歌手なんである。
地道な売り上げだからこそ、タイトルくらい、ちゃんとカウントしてなきゃダメだ。
ザ・ヒット・パレードというカバーポップス主体のLPを第8集まで出していること。
これだけでも他の追従を許さない。瞬間風速的にはポップス人気歌手も多かったが、
いずれも短命で終っていて、今ではCDでポピュラーソングの変遷を辿れる歌手は
ザ・ピーナッツに尽きると言ってよいと思う。
来年(2009年)はザ・ピーナッツのデビュー50周年に当り、これらアルバムを含め
全タイトルのLPを紙ジャケでCD復刻されるとの嬉しいニュースも報じられた。
こういうところに書いていいものかわからないが、これはアンカーさんの功績大です。
アンカーさんの粘り強さ、諦めないチャレンジというか執念・情熱が凄いと思います。
その程度の漠然とした形容しか出来ませんが、それは皆さんもわかっているのでは。
不思議なのは、ザ・ピーナッツのCD発売が絶え間ないという、この事象です。
いくらアンカーさんが頑張っても、それで実現出来ているというものではない筈です。
やはり売れる、売れている、という実績に支えられているのだろうと思います。
本来ならば過去の歌手であり、次第に忘れ去られて尻つぼみに収束してしまうものだ
と思うし、既に半世紀も経っている音楽に何の魅力があるというのでしょうか。
もう買うべき人は買ってしまっているのだろうなと思うので新規リリースそのものが
何故可能なんだろうか、と、そこが不思議でならない。
全LPの発掘CD化という事象は一種のブーム的熱狂下でのみ行われると思っていた。
そういう熱っぽさという雰囲気がザ・ピーナッツには起きないであろうと推察してた。
現役時代は、いつでも何気なく見聞きしていたザ・ピーナッツだったからだ。
ザ・ピーナッツは茶の間のテレビの常設付属品のようなものであって空気のごとくに
あって当り前の存在だった。存在することの有り難みがないようであった。
上手ではあっても歌唱が図抜けて凄いという評価は何故か不思議に与えられなかった。
だからこそ、このLPの収録曲が再び入手しやすくなることが奇跡のようなものだ。
リマスタリングされての登場となるわけだが、じゃあ過去のCDはつまらない音質で
あったのかというと、それは違うぞ、と言いたい。
既発売のCDは、1996年だから、12年前になるのだが、この頃のマスタリング
は素直で何も妙なことはしていないという感じがする。
こういう収録の場合は、CDプレーヤーを主とした再生環境の優秀さが発揮される。
ところが世紀末ころからなのだろうか「シングルス」時代の収録は加工が際立って、
平均音圧を2〜3デシベルほど上昇させているように感じる。
単純に言うと「音がデカイ」、「細かい音も鮮明に」という感覚に変わっていた。
ところがボーカル領域が若干ゆがんで不自然にビンビンと耳障りに聴こえてきた。
コンプレッサーとリミッターをデジタル処理で利かせているのだろう。流行なのだ。
音が大きいと良い音に聞こえるというのは素人を騙すための初歩的テクニックである。
音質面では退行的な処理であり、極めて小規模の再生装置でしか改善効果はない。
あ〜あ、これからのCDはこういう音色ばかりになってしまうのかと嘆いた。
ところが、最近のは、このような処理を極めて上手に出来るようになったようである。
極めてアナログチックでいて、小さな音まで克明に奏でている。
なかなか優秀なマスタリング・ノウハウを獲得しているように感じる。
接続コードでも音質は変わるので、なにをどう変えたのか、まったく見当がつかない。
だから、現存CDとこれから出る新CDの音質の差が興味津々であります。
バランスの違いが大きいので、旧盤が無意味には絶対にならない。
オーディオとは不思議なもので、複数の選択肢がある方が面白く楽しいものなのです。
絶対に、旧盤は旧盤なりの良さが生き残ると確信しています。
宣伝するわけじゃないけど、既に持っているアルバムと同じであっても買い直しをし、
是非、両方ともお楽しみ頂きたいと思います。
(2008.9.26記)