■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

♪東京たそがれ    1963.11
 UNA SERA DI TOKIO
   作詞:岩谷時子 作・編曲:宮川泰
   演奏:レオン・サフォニエット
   録音:1963.09.25 文京公会堂
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★* ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

この「東京たそがれ」の随想は「ウナ・セラ・ディ東京」の稿で一度書いたのですが、
気が変わって、別稿として書き加えることにしました。
やっぱり、扱いを一括りには出来ないようなところがあるように感じるからです。
「ウナ・セラ・ディ東京」についても、後日、改めて書き直そうと思っています。

「東京たそがれ」は、ある企画の下でしか収載されす、一般にはヒットアルバム的な
CDには入っておりません。入る場合は「東京たそがれ」として独立しております。
これは何と21世紀に入ってから知ったことでしたが、一旦発売した後にタイトルを
「ウナ・セラ・ディ東京」と変えたレコードが出ていたようです。
ようです、じゃなくて現物をアンカーさんが持っておられます。びっくりしました。

NHK−BSで放送された「夢伝説/ザ・ピーナッツの世界」をご覧になった方は、
この曲の誕生時のエピソードをご存知だと思いますが、宮川先生の著書から、ここの
部分を引用させて頂きます。

 この曲は先に曲ができて、あとから岩谷時子さんに詞を付けてもらいました。岩谷
さんとは本当に長いお付き合いですよ。僕がこうして作曲の仕事で生きてこられたの
は彼女のおかげです。とにかく何があっても驚かないし、大きな声も出さなければ、
慌てる素振りさえみせないで、いつも穏やかに微笑んでるのね。作詞家としては日本
一の才能を持っているのに、そうしたことをまったく見せない上品な人ですよ。
 最初にこの曲を作り始めた時は、とにかく暗いメロディでしょ? 作っていてどん
どん悲しくなっていくのね。だから最初は自分ではあんまり好きじやなかったんです。
 ところが岩谷さんに詞をお願いしたら、これがじつに雰囲気のいい曲になって帰っ
てきたんですよ。岩谷さんってね、先にできたメロディに詞を付けることにかけては
名人なの。本当にピタッと、無理なく、キレイに詞を付けてくる。しかもその詞が文
学的でじつに美しいのね。

 街はいつでも うしろ姿の 幸せばかり……

 こんな素敵なフレーズが思い浮かぶだけでもすごいのに、僕のメロディにバッチリ
合うように付けてくれるんだから、本当にすごい人ですよ。
 じつはこのフレーズには、ちょっとした物語があるんです。レコーディング当日に
なって出来あがった僕のアレンジが、どうしても6小節だけメロディーが余っちゃう
んで、吹き込む直前になって岩谷さんに泣きついて、その場で無理やりひねり出して
もらったのがこの歌詞なんです。しかも結局は、このフレーズがこの曲の一番の聴か
せどころになったんだから、世の中というのはわからないものですね。
 僕は曲を作るときに、自分なりに歌詞をイメージしてメロディを作ることがあるん
です。ところが、そのメロディがひとたび作詞家の手にかかると、僕の貧困なイメー
ジでは及びも付かない歌詞が付いてくるんです。
 たとえば僕が「あなたが好きなの別れたくない〜」なんて歌詞を想定して作った部
分のメロディに、「緑の大地をそよ風が吹く〜」みたいに、まるで違った歌詞が付い
てきたりして。しかも僕のイメージなんかよりもそっちのほうがはるかに曲に合って
いるんですょ。餅屋は餅屋といいますが、いやホント、作詞家の人ってすごいと感心
しちゃいますよ。特に“あとづけ”で岩谷さんが付けてくれる歌詞は天下一品。この
『ウナ・セラ・ディ東京』はそんな曲の代表的なものといえるでしょう。

NHKの番組でも岩谷時子さんが演奏家の人達を客席に降ろして待っていて頂いてた
とおっしゃってましたが、とにかく急遽、歌詞が足りないなんて困惑したでしょうね。
「宇宙戦艦ヤマト」の項では逆に(というか普通は)作詞が先だったしメロディーが
歌詞の長さに合わないからといって、「ちょっとここのフレーズ書き直して欲しい」
なんてことを阿久悠さんは絶対に許してくれない、なんてことも書かれています。
(ということは融通してくれるお友達感覚の作詞家がいらっしゃるということかな)
実際、恋のバカンスなど、ジャケットの歌詞より実際に歌われている歌詞は短いし。
これなどはメロディーの繰り返し部分を金管楽器主体の間奏でやってるからだね。

何時も書くことですが、歌も演奏も同時録音だったから、こうなって困ったわけです。
アレンジが出来ているわけですから、パート譜も配ってるわけです。マルチトラック
録音なら演奏だけ録音して楽団のメンバーは帰って頂ければ良いのですからね。
ザ・ピーナッツもバンドの皆さんも歌詞が完成するのを待っている……そんな状況で
切羽詰まって良くあの詩を生んだもの。やはり天賦の才能というものなのでしょう。
ザ・ピーナッツの手元にも歌詞の抜けたボーカルパート譜が届いていたのでしょうね。
そこだけ、ルルル……とかハミングで練習してたのでしょうか?

故本田美奈子さんと岩谷時子さんの絆を描いたドキュメンタリー「本田美奈子:最期
のボイスレター」〜歌がつないだ“いのち”の対話〜というNHK番組も見ましたが、
長大なミュージカルの歌詞を日本語で表現することの大変さもそうだが、舞台稽古に
立ち会って、いや、連れ添うようにして、歌いやすいように歌詞も自在に変更させて
あげる思いやりと同時に臨機応変さが凄いなと思った。芸術家気取りの硬直さがない。
「周囲が幸せになれるよう、頑張ることが私達の宿命」このお言葉も素敵だった。
「ザ・ピーナッツさんは私の恩人」と作詞家として成功するきっかけになったラジオ
番組での毎月の新曲提供も私達という表現にあるように、支え合ってお互いの才能を
開花させた、そのお互いが恩人と感じる素晴らしい関係だったのだろうと思います。
そういう意味で、まだ試行錯誤時期の作詞が聴けるニッポン放送だよ、ピーナッツの
CD発売はまたとない嬉しい私達へのプレゼントでしょう。

私は正直にいって「東京たそがれ」がヒットするようには思えなかった。
なんか暗〜い、地味な歌なので、まさか後年、NHK紅白で3回も歌うほどの代表曲
となるなんて、全く想像もしなかった。
そもそも私にはヒットするしないの予感なんてものは皆無である。
不特定多数が何を支持するか否かなんてことには、そもそも興味が無い。
流行ったからといって価値が高いなんてことは自分の評価には殆ど影響しない。
「二人の高原」とか「あれは十五の夏祭り」「山小屋の太郎さん」「舞妓はん音頭」
こういう歌の方が今だって私にとっては「ウナ・セラ・ディ東京」以上の歌だ。

たしかに上記の曲に比べて、「東京たそがれ」は歌詞が「詩」になってるし、曲の
流れがシンプルなのに極めて自然で、自然というより天然とでも表現するべきかも
知れないほどに天啓に満ちている。神が宮川さんに舞い降りたという感覚である。
したがって私には神憑かり的な名曲だとしか思えない。
繰り返すが、一番名曲だから、一番大好きというのとはわけがちがう。
愛好する曲が別に名曲でなくたっていいじゃないか。聴くのは自分なのだから。

当時、シャボン玉ホリデーでもこの歌は歌われたが、どういうわけか、レコードを
そのまま流してアテレコで歌っていた。
「こっちを向いて」も「二人だけの夜」もそうだった。
まだ私は高校生の時代だが、これらの歌は、これはレコードだと直ぐにわかった。
何故かというと簡単だ。弦楽器が入っているからなのである。
シャボン玉ホリデーは他の歌だって録音を先にするから全部口パクではあるんだが、
レギュラーの宮間利之とニューハード・オーケストラはビッグバンドなんである。
弦楽器を入れる場合は、わざわざ弦楽器奏者の団体から派遣して頂くことになる。
クレモナ・ストリングスとか新室内楽協会とか色々ありますよね。そういうのです。
だからね、さよならコンサートなんか、お金もかかっていたんですよ。(笑)

そういうわけで「東京たそがれ」も「こっちを向いて」も「二人だけの夜」も後で
レコードが発売されるということが予知出来たんです。サウンドが違うものね。
レコーディングでもなきゃ弦楽器は入りません。ナベプロに弦楽器楽団はないし。
家族にそういうことを話したりしたことがあったけど、何を言ってるのか言いたい
のか理解してもらえなかった。またレコード買う小遣いを出すのか、程度だろう。
どうも、こういった感覚は皆さん疎いようで、ザ・ピーナッツ後援会員同士でさえ
話が噛み合いませんでした。ザ・ピーナッツの歌声しか聴かないようです。

レコードをそのまま流す場合は、フルバンド構成では味のある伴奏が出来ないから
という場合が多かったと思います。「東京たそがれ」なんかは典型的でした。
同じ事が、タイガース、ブルー・コメッツ、ヴィレッジ・シンガースなどのGSの
レコードにも言えます。レコードの録音は弦楽器が使われた気品の良さがあります。
一方、ステージの演奏はそうはいきません。エレキバンドのサウンドなんですから。
現代ではシンセサイザーが格段に進化していますのでストリングス風の響きも出せ、
レコード録音に近いアレンジでも再現出来ますが、当時のキーボード程度では電気
オルガンみたいな薄っぺらな野暮ったい音しか出ませんので拍子抜けしちゃいます。
でも、ファンはそんなこと気にはしてない様子で、あれでいいのかなと思いました。
「東京たそがれ」のアレンジは君子日々豹変す、みたいにコロコロ変わりましたね。
紅白3回とも全然違うじゃないですか。メロディーがシンプルなだけに難しいかも。
まあ、これも進化・発展といえるのかも知れません。

進化といえば、よく宮川さんをザ・ピーナッツ育ての親という言い方をされます。
間違いじゃないが、別の視点を忘れているようにも思うのです。
それは、ザ・ピーナッツが宮川泰、岩谷時子を育てたという一面なのであります。
ザ・ピーナッツは既存の有名作曲家、著名作詞家、老練な編曲家と組んだわけでは
ないのです。現在から過去を俯瞰するから凄いスタッフだったと思えるだけです。
本当に海のものとも山のものともわからない無名の方々と共に進化したのですよ。
お互いが恩人の関係にある。
渡辺プロダクションがザ・ピーナッツを育成し、ピーナッツが会社を発展させた。
ここにも、そういう構図が成り立ちますし、ザ・ピーナッツのマネージャー経験が
後々まで活きたというお話も聞かれます。

ザ・ピーナッツはスタッフによって作り上げられた作品でした。と、ご本人もが
言っていますが、それは謙遜なのであって、鵜呑みにしちゃいけません。
ザ・ピーナッツ・プロジェクトの一員は(二員かな)他ならぬザ・ピーナッツです。
ご本人も企画に参画し、方針、方策、アイディアを出されたのだと思います。
セルフ・プロデュースを表面化させないでいて、しっかり作品を練り上げたのです。
表面に出てしまうこともありますね。それは、ファッション・センスなんかです。
見えちゃうんだから、これは隠しようがない。だから氷山の一角なんでしょうよ。

「東京たそがれ」も彼女達は、これは基本的に素晴らしい作品だと気付いたのかも。
だから、テレビでステージで映えるようなアレンジに変えたらどうかと思ったかも。
かも、かも、ばかりですが、この、かも、は割りと当っていると思いますよ。
しかし、しかしですね、家でステレオで聴いている限りにおいては、このオリジナル
のアレンジ、歌唱、なかなか素晴らしいのです。
録音も何度も繰り返した曲ですが、「東京たそがれ」でなければという味わい別格。
録音そのものの音質も、シングルの「ウナ・セラ・ディ東京」よりも私は好きです。
「ウナ・セラ・ディ東京」の録音は技術者にどこか迷いがある気がします。
クラシカルなアレンジなので、重厚にしたい、抑制した響きにしたいといった思惑が
録音に使った大ホールの間接音を取り込み過ぎて雰囲気が出過ぎた感じです。

それと「東京たそがれ」は、進化前で、歌声がユニゾンなのも聴きどころなんです。
コーラスなんだからユニゾンじゃ勿体ないじゃないか、というのは世間一般的通説。
ザ・ピーナッツの場合は違うんです、ユニゾンが比類なく美しい。世界一です。
ザ・ピーナッツは一卵生双生児です。DNA判定では同一人物として認識されます。
しかし、指紋・声紋・網膜虹彩に関しては似通っていたとしても同じではない筈です。
ユミさんの声は細めで高音域が澄んで伸びていますし、エミさんは太めで低い音が
豊かに膨らみます。しかし、素材は全く同じ性質を持っているのです。

オーディオのスピーカーで例えるとスタガー・ドライブというスタイルのようなもの。
同じ素性のユニットを使いながら周波数の受持ち帯域を役割分担させている。
なんで、こんな異分野の例を持って来たかというと、ザ・ピーナッツがユニゾンで
歌っても声の響き方の違いで、倍音成分のような部分で自然音のハーモニーもどきの
効果が生まれてくるということを説明したかったのです。
同じ声の質、スピーカーで言えば、素材や構造が同じ、でありながらも、役割が違う。
その絶妙な違いがユニークな美音となる。これがピーナッツのユニゾンの魅力。
もちろん、ハーモニーを付けて歌っても離れ離れに響かない一体感が生まれます。
喩えが悪くて、なお、わけがわからん。まあ、そうおっしゃらずに……。(笑)

長々と述べましたが、大ヒットとなった「ウナ・セラ・ディ東京」の陰で、何となく
窮屈な位置付けになってしまいベスト盤などに収録されなくなった「東京たそがれ」。
しかし、それは園まりの「逢いたくて逢いたくて」の原曲である「手編の靴下」の
位置付けと同じで、リメイク版が大衆の評判になったという現象とは別の次元で音楽の
根幹的部分で、こちらでなくてはならない、そういう価値が絶対に存在します。
ヨーロッパ的に洗練され高尚な雰囲気となった後年のリアレンジとは異なった、土着的
で垢抜けないが妙に親近感のある宮川オリジナル編曲の妙味がここにあります。
したがって独立した作品という位置付けを採りたい思惑で、この稿を書いた次第です。
(2008.10.14記)