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♪ドンナ・ドンナ(DONNA, DONNA)    1965.03
  現在は、ドナドナ(DONA, DONA)が一般的な題名です。
   原曲:Zeitlin-Secunda 作詞:安井かずみ 編曲:宮川泰
   演奏:レオン・サンフォニエット
   録音:1965.02.22 文京公会堂
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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私と家内とは学年で17年間の開きがあるので育った環境も随分と違うようであり、
意外なのは、学校の音楽授業で「ドナドナ」を歌ったというので、ええっと驚いた。

 ある晴れた昼さがり 市場へ 続く道
 荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく
 何も知らない子牛にさえ 売られてゆくのがわかるのだろうか
 ドナ ドナ ドナ ドナ 哀しみをたたえ
 ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命

 青い空 そよぐ風 明るくとびかう
 つばめよ それをみて おまえは何おもう
 もしもつばさが あったならば 楽しい牧場に帰れるものを
 ドナ ドナ ドナ ドナ 哀しみをたたえ
 ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命

これが安井かずみ作詞のザ・ピーナッツのバージョンである。
ザ・ピーナッツのバージョンというのは現時点から遡った言い方であり、当時では
これしか歌詞は存在しなかった。
この歌詞を家内に見せて、この歌だったのか、と確認すると、うん、そうかも……と
なにか煮え切らない。小学校なんかで歌ったら、もっと記憶に鮮明に残りそうなのに?
長年、疑問だったのだけど、やっと曖昧さが解消される時が来た。

 ある晴れた昼さがり 市場へ 続く道
 荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく
 かわいい子牛 売られて行くよ 悲しそうな瞳で見ているよ
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車がゆれる

 青い空 そよぐ風 明るくとびかう
 荷馬車が市場へ 子牛を乗せて行く
 もしもつばさが あったならば 楽しい牧場に帰れるものを
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車がゆれる

教科書に載ってたバージョンは、こちらの改訂版だったのだ。
小学生向きには、よりソフトな表現に変えたのだろう。
しかし、どうも教科書に載るきっかけは、ザ・ピーナッツが歌った一年後にNHKの
「みんなのうた」で岸洋子バージョンで歌われたのが一般的になった可能性がある。
ザ・ピーナッツの歌詞では、子牛が屠殺目的で市場に運ばれることが明確であるのに、
新しい歌詞では単に売られて行くだけなので、別れの辛さに留めているのだ。
三橋美智也の「達者でな」という歌でも、育てた馬と別れるにしても馬肉用じゃなく、
町のお人はよ、良い人だろが、と新しい飼い主に託す思いを歌っている。救いがある。

しかしながら、純粋に詩として見てみると、改訂版はちょっとお粗末な印象がある。
馬から落ちて落馬して、というような同じ内容を繰り返していて駄作になったと思う。
ザ・ピーナッツの歌もカバーバージョンであり、詩も意訳である。
本来のオリジナルにはユダヤ人虐殺の悲劇が歌われているという説もある。
子供向けに甘口にするのはやむを得ない面もあろうが大人になったらザ・ピーナッツ
の歌も聴いてほしいと私は思う。それが悲痛なものであっても。

先日、あるコンサートで「展覧会の絵」という楽曲を聴いた。
うんと若い時に、この曲のレコードを何の先入観もなしに聴いたことを覚えている。
この作品は組曲風になっていて、その4曲目は「ピドロ」という題が付いている。
この題の元になった絵画はもう見当たらないそうだが、ピドロとは牛車のことである。
牛車の隊列が近づいて来て、遠くへ去って行くという場面を描写していると言われる。
私は、これを初めて聴いた時に、あ、これは、ドンナ・ドンナの世界だと感じた。
作曲家は単に牛車の行進を描写したのではない。哀しみをたたえた音楽になっている。

このコンサートでは、ここのチューバのソロの最高音の部分で、ミスではないけれど
不安定な音が鳴ってしまった。かなり困難な箇所なのかも知れない。
ラベルという人がオーケストレーションを行った楽曲なのであるが、ラベルで有名な
「ボレロ」という曲ではトロンボーンのソロがあり、演奏が大変なのだそうだ。
NHKのアーカイブスには世界最高のオーケストラであるベルリンフィルハーモニー
の来日公演(ヘルベルト・カラヤン指揮)の映像が残っているがトロンボーンソロが
滅茶苦茶になってしまっている。最高峰の名手でも失敗しちゃうという例だ。
このような演奏上の鬼門ともいえる箇所をどうして編曲の魔術師と称されるラベルが
書いたのだろう。それは鳴る音を聴けばわかる。
「ピドロ」では重々しい悲痛な響きが奏でられる。他の楽器では醸し出せないのだ。
だからこそ演奏が大変であってもここはチューバに頑張ってもらうしかないのだ。

ムソルグスキーはただ単に牛車の行進の絵を描写したのではないことは明らかだが、
圧政下での音楽活動なので、それ以上の自己解説は行っていない。
しかし、民衆の声なき声を代弁しているという社会派音楽であると推察出来る。
ドンナ・ドンナも単に子牛が売られて行く哀しみを歌っているのではないのだろう。
子牛に喩えられているのは社会的弱者である民衆達と考えても良いでしょう。
「かえしておくれいますぐに」とカップリングされたのは偶然ではないと思われます。
子供の命も子牛の命もかけがえのないもの。命の大切さが、この盤のテーマでしょう。

先日から、特定の飲食店チェーンのユッケという料理で食中毒致死事件が話題です。
私は恥ずかしながらユッケという料理があることも知りませんでした。
焼肉店というところ自体、片手で数えられる程度しか入ったことがありません。
牛肉そのものが私らの世代では贅沢品なので、今でもすき焼きなんかはわくわくする。
そもそも肉を生で食べたことがあったろうかと思いめぐらすと、そうだ。ありました。
かなり以前ですが、居酒屋みたいな店で、友人が馬肉の刺身を食べていて、そんなの
旨いのか、と言ったら、一口食べさせられました。(笑)
別にこんなのを食べなくても他に旨い物があるのに、と思いました。

所謂食通というかグルメ族とは正反対の人間なので子供が好きなカレーライスなどの
極めて一般的な食物しか食べたいと思いません。コロッケとかが好きです。
世の中の珍味とかいう代物や、そもそも生食というものに抵抗を感じてしまいます。
お酒を呑まないせいか、突き出しとかの得体の知れないものも食べる気がしません。
ましてや生肉なんて人間が口にするべきものじゃないとか感じてしまいます。
幼稚園に入るくらいの時、娘が魚の切り身を、かわいそうだと言って嫌がってました。
アジなどの丸ごと焼いたのは大好きなんで、あきらかに論理的にはおかしいのですが、
切り身というのは死体を切り刻んだ代物と考えると残酷なものなのかも知れません。

ここで大事なのは理屈じゃなくて、かわいそう、という感覚だと思います。
私達はそういう、かわいそうな生き物の犠牲で生きている。それを意識すべきです。
子牛のステーキは柔らかくて旨いかもしれないけど、牛の子供を食べるわけなのです。
ユッケを食べて死ぬと大事件ですが、ユッケになった牛の死を考える人はいません。
ドンナ・ドンナは万物には命があり、平等に尊いものだと気づかせる意図があります。

宮川泰さんのお仕事は膨大なものであって、作曲活動よりも編曲の数は数え切れない。
したがって、ドンナ・ドンナのアレンジが話題になることはなかったと思います。
しかしながら、このアレンジは私は特筆ものと感じられます。
オリジナルからは想像も出来ない斬新で素晴らしいリメイクが行われております。
ひょっとすると東洋的な感覚なのかもしれません。
降下するストリングスのパッセージや和音で構成される弦の持続音が背景に流れます。
これは大変にユニークなドンナ・ドンナなのかもしれません。
ザ・ピーナッツの歌も宮川さんのアレンジも曲そのものが世間一般に知れ渡った後に
行われたものではないことを考慮すべきです。そこを錯覚してはいけません。
そういう意味でも完成度は信じられないほど高く、素晴らしいと私は思います。
(2011.05.19記)