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♪わたしの心はうわのそら 1963.01
作詞:竹内伸光 岩谷時子
作曲:宮川 泰
編曲:宮川 泰
演奏:レオン・サンフォニエット
一般知名度 | 私的愛好度 | 音楽的評価 | 音響的美感 |
★ | ★★ | ★★★ | ★★★★ |
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この曲についての誕生経緯などを残念ですが私は何も知りません。
それは「手編みの靴下」の随想で書いた内容とそっくり同じです。
手編みの靴下の随想より
作詞は竹内伸光さんと岩谷時子さんの共作となっている。
竹内伸光さんは舞台やドラマの脚本を書いたり、演出もやったりする作家である。
このことから、ミュージカル仕立てのテレビドラマなどの挿入歌の感じもするのだ。
そこで歌われた原詩に磨きをかけ、形式も整えて歌謡曲としての完成度を高めたのが
岩谷時子さんなのではないのかなあ、と、想像してしまう。
あるサイトの記事では梅田コマでの劇場公演「私と私」の舞台で歌われた挿入歌で
「手編みの靴下」が歌われたとのことなのですが、私は記憶に無く、未確認です。
しかし竹内伸光さんがこのミュージカル劇の脚本を書いていますので劇中歌として
作られたということは十二分な信憑性があるように思います。
ということから想像すると、その後も幾たびか梅田コマや新宿コマで竹内伸光脚本で
ミュージカル劇が上演されているので、この曲もその劇中歌であったかもしれません。
作詞は今度は音羽たかしさんと共作で、おそらく作詞専門家として補作されたのでは?
当時は劇場中継をテレビで主に日曜日にやっていたので劇場に行かなくとも放送を
ご覧になって、この歌が記憶にある方が居られたら是非教えて下さい。
まったくヒットしなかった曲なので、このレコードを購入された方はA面の若い季節が
お目当てだったであろうと思います。
ドラマチックでもなく、素晴らしいメロディーでもなく、凄い歌唱でもありません。
ポカポカの縁側で座布団を枕にウトウトしてるようなノンビリした歌で癒される感じ。
こういう歌もこの世にあってもいいよね〜とレコーディングしてみたのかしら?
「うわのそら」というのは、心ここに在らずという気持ちの状態だと思うのですが、
この歌の場合、ニュアンス的にウキウキしてるケースなんでしょうね。
あることが気になっているのですが、それは病人がいるとか借金が嵩んでいるとか
身内の誰かが危篤でとか不幸な出来事の渦中に居ない幸福感に満ちています。
夢中になっている時や楽しいプランや思い出で頭がいっぱい。そういう感じかな。
とにかくこの歌の場合は両想いか片想いかわからないけど恋人のことが気になって
うわのそらなんだから、ワクワクした幸せな時間なのでしょう。
恋の歌で多いのは失恋の方が圧倒的に多く、特に演歌系では嘆き節が主体と感じる。
本来、恋をしている最中は多少不安感がありつつも楽しくて嬉しくてルンルンの
気分の筈ですが歌の世界では少数派。明るい恋歌が流行ると斬新な印象があります。
島倉千代子さんの「恋しているんだもん」という歌、素敵ですよね。
哀愁のある歌声でこんな幸せいっぱいの歌を歌うミスマッチ風の意外性がいいよね。
実は私、人が死なない・失恋も無い、そういう映画やドラマが好きなんです。
これら無しでドラマチックな物語を作る作家を尊敬しちゃいます。
考えたら三分間くらいの短い楽曲で強烈に悲しくなるような歌は勘弁してほしい。
私の場合、ザ・ピーナッツが大好きになってからの中学生〜高校生の時期は特に
リアル世間の暮らしは上の空でした。お勉強なんてとんでもない。(笑)
現実世界のザ・ピーナッツさんとは何も接点がなく、高校生の時に楽屋訪問して
握手して頂いたのが唯一の遭遇(笑)ですから、本当に夢の中の人でした。
それでも仮想空間の恋人への疑似恋愛をしているようなもので上の空なのでした。
勿論現実にも存在されているのも事実ですが、どうかすればご縁が出来るという
わけでもないことは普通にわかりますよね。片想いで我慢するしかないでしょ。
空想・妄想で色々思い描くのは自由ですし人に迷惑もかけませんから問題なし。
今風に表現するとザ・ピーナッツにまたはそのどちらかに恋するファンはガチ恋系。
そういうお熱はせいぜい3〜4年で醒めるのでアイドル系の歌手のピークもそれ位。
ファン層の新陳代謝はあるでしょうが、恋のフーガを歌っていた頃のファン層は
恋愛対象としてではなく、殆どが歌手としてのザ・ピーナッツ・ファンだったのかも。
近年、逢えるアイドルだとか称して握手会に参加出来るオマケ付きCDなどは
ちょっと問題あると私は思う。実際、刃傷沙汰も起きております。怖いですね。
自分とアイドルの距離を客観視できなくなりストッパーが外れてしまうという
脳の状態になるのは単にその方が異常者だからというだけでもないような?
こうなると初音ミクのようなバーチャルアイドルが一番安全かもしれません。
こういう思い詰めちゃう人は昔から居たわけで、名曲の幻想交響曲はまさに
恋愛対象が好き過ぎちゃったベルリオーズが作った曲でサイケデリック妄執曲。
優雅なクラシックとかじゃなく時代も常識も超えた美しくも不気味な不思議曲。
この曲がヒットしたので有名人になった彼は、その片想いだった女性と目出度く
結婚出来たのだが、数年で激しい熱は冷めたそうである。
それは彼女の人間性に惚れたのではなく、ジュリエット等女優の彼女が演じた
舞台の役に惚れたからであった。ステージ上の仮想の女性に恋したのである。
これは私が小美人のザ・ピーナッツに憧れたのと一緒であると思うのだ。
このような高嶺の花というか別世界の存在に、そうとはわかっていても好きに
ならずには居られないし、どうにも手も足も出ないザ・ピーナッツへの超絶な
片想いをずーっと続けていたため、身近に居るリアルな女性が好きにならず、
困ったことになったが、23歳の時に水疱瘡に罹り、高熱を発したからか、
病み上がりに出社した途端、新入社員の生身の女性に初めて恋をしてしまった。
さあ、何をどうしたらいいのかわからない。プロマイド売ってないしね。(笑)
それでも臆することなくアタックはしたが、見事玉砕してしまった。初心者だ。
あまり狂気のように追いかけては気味悪く感じられるのだろう。当然だろう。
その後、数年で彼女は転職してしまい。その後の消息は知らない。
馬鹿げた話だが、ザ・ピーナッツ以外の女性でも好きになることが出来た。
これは大変な進歩であるし、この女性でなければという思いは10年もすれば
変わってくるのである。これは活きた教訓であった。(笑)
上記の初恋の女性は卯年生まれだったが、家内も一回り下の卯年である。
12年過ぎればまた新しい恋に巡り会えることもあるのです。
夢中になっている時点では人類の半分は異性であり適齢期の女性は多いのだが、
その人以外考えられないという気持になるのはそのように生物としての本能が
あるからでしょうがない。そのくらい思い詰めるようにできてるのだろう。
でなければ結婚などという面倒なことをする人はいない。
ペンギン、狼、猛禽類などある特定の動物は一度結ばれると一生添い遂げる。
発情期だけじゃなくずっと一緒に暮らし、他の異性には興味がないらしい。
私はどうもこの種類の生き物らしく、浮気などしてみたいとは全然思わない。
そもそも異性を好きになるという状況は大変なエネルギーが必要なのである。
恋愛を二度も三度も繰り返せるようなパワーがそもそも私には無いのだ。
面倒臭いだろうに、芸能人などはマメに良く浮気できるものだと感心する。
この人を幸せにしたいと思って結婚したのだろうに、不幸な境遇にさせる。
そういう人間は他の面が如何に優れていても私は嫌いだし軽蔑する。
(2018.07.5.記)