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ブルー・カナリア   1963.06
  BLUE CANARY
   作詞・作曲:Vincent C.Fiorino
   編曲:宮川泰  演奏:オールスターズ・レオン
   録音:1963.02.14 文京公会堂

    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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この歌のお手本はかなり有名ですね。
https://m.youtube.com/watch?v=REPqry3tBUE
でもこれもオリジナルじゃなくポップス風カバーらしいです。
日本では雪村いずみさんの歌で知られました。
と言っても、私、子供だったので良く知りません。
ブルー・カナリアって青いカナリアなのかしらとずっと
思ってたんですが青い羽根のカナリアは存在しないらしい。

ブルーでも気持がブルーだという意味のブルーです。
雪村いずみさんの日本語歌詞部分で青いカナリアって歌ってる
せいで誤った解釈が拡まったんでしょうね。
英語弱いので何歌ってんだか分かりませんが、おそらく擬人化
させて、カナリアが泣くの心配してるようで実は失恋なんかの
慰めを暗喩してるみたいですが、大したことは歌ってなさそう。

カナリアで記憶鮮明なのはオウム真理教の秘密アジト捜索。
鳥かごに入ったカナリアさんがちょっと気の毒な役割だった。
鳥を飼ったことがないけど子供の時、友人の家で飼っていて
家の中を飛び舞わさせていたのが楽しそうで羨ましかった。
綺麗なセキセイインコだったけど、昔は流行ったのだろうか?

ザ・ピーナッツは鳥さんの歌が多いなと感じます。
 モッキン・バード・ヒル
 イエロー・バード
 かわいい小鳥
 いそしぎ
 哀しき小鳥のワルツ
 浜千鳥
 カンタ カナリート
そしてこのブルーカナリアですが、スタンダードナンバーの
アルバム二つの先頭曲がいずれも鳥の歌なのは不思議な偶然。
で、どちらも鳥の鳴き声が歌詞になってる。オカルトだなあ。

ピーナッツ盤のアレンジも歌い方もダイナ・ショア盤を踏襲。
これ程の有名盤があると妙なことをすると返ってダサいかも。
鳥の鳴き声をバックに流したらパクリになるんでそれはナシ。
アコーディオンが活躍する曲ですが、これ宮川さんが弾いてる
のでは、と思います。ジャケットでは、編曲・指揮ですが、
この小編成のコンボで指揮は要らないと思うのです。
ブルーカナリアとセンチメンタルジャニーとバンビーノ3曲は
同じ編成で同じ1963年2月14日に収録されています。

宮川少年は、当時500円で安普請の家が立つ終戦直後に800円の
アコーディオンを買ってもらったそうで、この楽器とは馴染みが
あったと推察します。(下は演奏風景例)
https://m.youtube.com/watch?v=V87EHjV2aNg
宮川さんは楽譜を書くだけの音楽家ではなくミュージシャンで
ありますから一緒に演ることも多かったのでは。
バンビーノでの弾き方なんかもう宮川さんタッチですからね〜。

とにかく、この時代の録音は歌い手もバンドもいっせのせーで
皆んなでノリノリで演ってるわけでカラオケ作ってから歌うと
いう現在の収録とは違う愉悦感というのが絶対にあると思う。
まあそれに当たり前のことだけど、交代でソロで歌っていて
ここぞとばかりデュオで盛り上げるザ・ピーナッツだけしか
出来ない歌い方がこの歌でも非常に活きています。
普通にやったら詰まらないカバーにしかならない曲だけども
ザ・ピーナッツが歌うと全く新鮮で思わず傾聴させてしまう。

アルバムそっくりCD化された際にモノラルトラックもおまけで
収められていましたが、家には前年(昭和37年)末の賞与で
ステレオを親が買ったので(ねだって買わせた/笑)モノで
愛聴したことはなく、この曲なんかは絶対にステレオで聴く
べきで、右と左それぞれで、tweat tweat tweatと囀りを歌う処は
とっても可愛くてもう天国に行ってしまいそうな恍惚感です。

こちらの写真は私が撮ったもので、ブルー・カナリアを歌っています。
アルトサックスの人が曲に合わせクラリネットを吹いております。

http://peanuts2.sakura.ne.jp/omotya/butai.html

こういうアルバム曲こそハイレゾ化すべきじゃないかとも思う
のですが、そういうのは贅沢すぎるとも思うようになりました。
そんなに何もかも自分の希望通りにならなくてもいいじゃんか。
そうそう、この前、川崎弁というのがあるとのネットの記事で
「……じゃん」というのが東京・神奈川でよく使われるけれども
川崎の人は更に「……じゃんか」「……じゃんよ」が多いらしい。
6歳から30年ほど住んでたから書き言葉でも使ってしまうな。

3代続いて江戸っ子、三日住めば(横浜)浜っ子、住んだその
日から川崎っ子なんだそうで、地方出身者のルツボが川崎市民。
何にも誇りに出来るようなものがない川崎。特に南部というか
湾岸地帯の川崎区の住民だった私らは公害の真っ只中で暮らし、
綺麗な小鳥は自然界ではなく学校の鳥小屋でしか馴染みはない。
小鳥の世話とウサギの世話は特定の係の生徒だけだったしね。
繊細ではない山羊の世話は順番だったけど懐かなくて嫌だった。
でも川崎大好きだよ今も。不思議に家に帰る夢って川崎なんだ。

川崎の思い出掲示板を見るとオオモリカレーがトップの話題で
ええっ、皆んなそうなのかと驚いた。オオモリは店主の名前。
駅ビル2階の50円のカレーが大好きだった。世界一美味かった。
昔の駅ビルの写真見ると涙が出るほど懐かしい。

この写真、ザ・ピーナッツがデビューしたその頃だと思います。
鰻の寝床みたいに細長いが、凄く広大で色んな店が一杯あった。
喩えが変だがあの軍艦島みたいな凝縮感があり、面白かった。

(2019.03.16投稿)