快調! シャボン玉ホリデー

年が変って昭和37年。シャボン玉の人気は不動のものになりました。
番組の構成も確立されましたが、それが10年以上も続くことになるのですから
如何に完成度の高いバラエティ番組だったかがわかります。

既に実力はを世間に認められていたザ・ピーナッツが音楽面をリードし、新しい
笑いの世界を創出したクレージー・キャッツが斬新なコントを繰り広げる番組は
圧倒的なクオリティを茶の間に提供したのです。

この番組の一糸乱れぬチームワークはコマーシャルにまで及んでいて、CMさえも
番組テーマから孤立させないという今も昔もありえない脚本で構成されていました。
生CMが評判だったという記事を見ましたが、もちろん誤解でシャボン玉は録画で
ありますからCMだけ生放送をしたわけではありません。
重要なことはCMさえも番組のコンテンツとして毎回異なった台本で出演者たちが
収録の順番に沿ってコマーシャルを演じたのです。

このCMの効果は絶大で、初めは番組提供さえ難色を示したといわれる牛乳石鹸が
爆発的に認知され、大阪の地方メーカー規模の会社であったのに一躍一流メーカー
に格上げ。24時間フル操業でも製品の製造が間に合わない事態となってしまった。
急遽大規模な新工場を建設したというとんでもない発展ぶりとなったのでした。
テレビの宣伝の強力さに気付いた牛乳石鹸は他局で「シャボン玉ミコちゃん」という
弘田三枝子を主役にした番組の提供も新たに始めた。
シャボン玉ホリデーの台本を書いていた前田武彦はこちらのお仕事に移籍しました。

ザ・ピーナッツ、クレージー・キャッツがメイン・キャストでしたが、ナベプロの
若手も逐次、この番組に起用。「プロモーションとさえ考えていなかった」という
渡邊美佐さんの回想を遥かに超える売込み効果となって人気者が続出したのです。

スリー・ファンキーズ(当時のメンバー)、ミスターツイストの藤木孝、実力派の鹿内タカシ

絶好調のクレージー・キャッツ

どうしてこんなに当たるンだろう! という具合に出す曲はすべて大ヒット!
完璧にクレージー・キャッツの面々の顔は全国区の人気者になった。
斜陽といわれた映画にも出演。これも連続大ヒット。超絶な忙しさとなった。
そんな人気者になってもクレージーとピーナッツは遊び惚けたりはしない人達。
お仕事が終わると一目散に帰宅してしまう真面目人間たちだったそうだ。
この時代から現在に至るも今時のタレントどもが起こすような不祥事は皆無で、
まさに優等生。普通の会社員同様に(株)渡辺プロダクションの社員であると
いう毅然たる意識で仕事に邁進していたのでしょう。

シャボン玉ホリデーの人気というものは、このような生真面目さがベースにあり、
きちんとした音楽、台本、演出、照明、大道具、小道具、衣装などプロの仕事の
結晶として生み出される潔癖とも思える清潔感が茶の間に安心感を与え、また、
一生懸命に汗水流して働いている視聴者にも無意識のうちにも頑張ろうといった
連帯感を生んでいたのではないかと推察します。
私は今のバラエティ番組と根本的に違うのは目に見えないこの真面目感覚の差が
あるのではないかとも感じます。面白ければ何をやっても良いとは思いません。

ザ・ピーナッツも快進撃

このジャケットは1年間で全部リリースされたものですが驚異的なペースです。
後年の人気アイドルでも、こんなリリース・ラッシュはないのではなかろうか?
ザ・ピーナッツは既に衝撃的デビューから4年目ですが、人気下降の気配なし。
初めての主演映画「私と私」も東宝配給で封切られました。
これは、観客1255万人という大ヒット特撮映画「キングコング対ゴジラ」の
添え物として作られた面がありますが、それだけに多くの人に見られた映画です。

ホーギー・カーマイケル出演

この事件は前年に起きたのですが、書き洩れましたので、ここに追記しておきます。
ホーギー・カーマイケルさん(テレビ映画「ララミー牧場」のお爺さん役で人気)が
来日していた時、帝国ホテルでテレビを見ていたらシャボン玉ホリデーをやってて、
これは音楽とコントなので日本語が判らなくても楽しめたからだということですが、
そのエンディング・テーマが自分が作曲した「スターダスト」だったのでびっくり。
すっかりご機嫌になって、この番組に出てみたいと思ったそうです。

昭和36年11月26日の「お伽の国だよ ピーナッツ」に特別出演が決まりました。
素敵な歌声だと感じていたザ・ピーナッツの歌にピアノで伴奏をつけるという趣向を
考えましたが、いつもホーギー・カーマイケルさんが弾いているキーとピーナッツの
それは違うので、そのままでは合奏出来ません。
ピアニストならばお茶の子さいさいで転調(キーを変える)出来るのが当たり前だが、
ホーギーさんは俳優なのであって音楽は余技。ピアノでの転調など出来ないのでした。
しょうがないので演奏と歌は編曲で転調させて繋いだそうです。

私は当然、この場面を目撃したのですが、いつの間にか記憶が混乱しちゃいまして、
フジテレビで秋の番組改編時期かなんかで、ザ・ピーナッツ主演のファンタジックな
お伽話風のミュージカル特別一時間番組があって、その中で共演されたものとばかり
思い込んでしまってましたが、錯覚であったことが今頃わかりました。

人間の記憶というものは繰り返し刷り込まれることによって確実なものになります。
当時のテレビ番組は自宅で録画することが出来ない”一期一会”でありましたから、
記憶に長い間留めることは出来ないのだと思います。
それでも、特別な感慨があったことなどは強く印象づけられますが、上記のように
他の情報と入り混じってみたり、混乱してしまうのはコンピュータじゃない人間の
弱味でもあると思います。

ザ・ピーナッツの「スター・ダスト」がストリングスとハープの調べで終わると、
絶妙な間をおいて、ロス・インディオス・タバハラスのギター・デユオ演奏で
再び「スター・ダスト」が流れます。この演出は日本のテレビ史上最高でしょう。
画面ではクレージーの犬塚弘さんがギターを弾く真似をしています。
これを見たホーギー・カーマイケルさんが、凄いアレンジと演奏だ、あのギタリスト
を俺に紹介してくれ、と要望したらしく、あれは違う、格好だけだと説明するのに
苦労したというエピソードもあったそうです。

またまた記憶の話なんで眉唾ものですが……
シャボン玉ホリデーの演出・構成は徐々に育って変っていった筈なのです。
あれは面白いからまたやろう、あれは止めよう、という具合になのですが、偶発的に
やったことが以後は定着することが度々あって、またそれに改良改善を加えることで
更に面白くエスカレートしていったのです。
たまたま犬塚さんがベンチに片足を載せて、ギターを弾く真似をやってたのを見て、
プロデューサーがそれ使ってみようよ、となったのではないでしょうか?

だもので、初めは街灯とベンチだけが残る背景が楽しかった一時を追憶するような
もの悲しさを抱かせる演出だったように思うのです。
だから、犬塚パフォーマンスを見たカーマイケルさんというのは、もっとあとでの
出来事じゃなかったのかな、と感じました。
たしかにあれはカッコ良かったので、始めた時に胸中で喝采を送りましたし、更に
あらら、今度はドライアイスで霧が出てきた……と、またまた演出が凝って来たぞ。
そうなんです、シャボン玉ホリデーは毎回完結テーマでしたが、その内容は続き物
であったとも言えるのでした。


史上最強のスタッフ聯合艦隊

左から純にご紹介。

青島幸男 :青島だあ。
宮川 泰 :説明不要でしょう。
塚田 茂 :日劇のピーナッツ・ショーは全部この方の構成。「銀色の道」の作詞も。
河野 洋 :シャボン玉の本を書かせたら天下一品。この方が最高でした。
津瀬 宏 :安定供給型のベテラン脚本作家。
小井戸秀宅:シャボン玉で振付師という職業を世に認めさせた天才。
齋藤太朗 :テレビ界の黒澤明ともいえる緻密な演出で大傑作を生み出した。
秋元近史 :シャボン玉ホリデーを産み、それに文字通り命をかけた異才。

写真では紹介出来なかったキラ星のスタッフたち。

構成作家 :伊藤裕弘、野坂昭如、田村隆、向井敏、三木鮎郎、前川宏司、谷啓
      滝沢ふじお、渡邊晋、小川健一、奥山☆伸、恵井章、はかま満緒
音楽   :東海林修、森岡賢一郎、和田昭治、広瀬健次郎、前田憲男、服部克久、
      大沢保郎、萩原哲晶
演出   :小俣達雄、向笠正夫、中村公一、小郷秀武


(2006.8.20記) 昭和38年へ続く……