番組の初まりで部分でハープの音色とともに大きなシャボン玉を膨らませていたのが
マスコット・ガールの入江美樹さん(当時はファッション・モデル)でした。


ロシア人の血が混じったクオーターで大変美しいお嬢様で自家用車送迎だったとか。
後に指揮者・小澤征爾さんとご結婚されました。

歌って踊るピーナッツ

ザ・ピーナッツ・デビュー当時の爆発的人気がどんなであったか、残念ながら筆者は知らない。
忽ち人気者になったということだが、私は、ザ・ヒット・パレードの放映ぐらいからしか記憶
にないのだ。デビューした時期は私が既に小学校6年生だったのだから、もっと覚えていても
良さそうに思うのだが、よっぽどぼんやりした子供だったに違いない。
ザ・ヒット・パレードで歌っている頃から、ザ・ピーナッツは他の歌謡曲の歌手とは違ってて、
色んな可愛らしい仕種をしながら歌っていたのは覚えている。それは踊りというものではなく、
身振り手ぶりというだけのモノだったのでダンスをするようになるとは思えなかった。

以下は、日本テレビ出版「シャボン玉ホリデー”スターダスト”をもう一度”」からの受売り、
または引用が多く含まれています。ザ・ピーナッツの踊りについて自分の言葉だけでは上手く
語る事が出来ないからです。

まず、ザ・ピーナッツさんは子供のころ、西川流の日本舞踊を習っていたことがありました。

 ご本人たちは「ちょっとだけ」と言っておりますが、しなやかな身のこなしが出来る特質は
これと無縁とも言えないと思います。とにかく芸事は小さい時から始めるのが基本ですから。
学校でもジャズ・ダンスのようなものは得意だったので学芸会の花形だったようです。
名古屋地方という土地柄は割と芸事を好む面もあるようで地域的な特性も見のがせません。
ただし、スポーツ的な運動神経は余りなかったようで体育会系の人間ではないようです。

シャボン玉ホリデーを企画するにあたって、主役はザ・ピーナッツであり、バラエティショーで
あるので、どうしても歌だけじゃなくて、踊りも必須な条件となる。
番組起案プロデューサーの秋元近史は「とにかくダンスを踊らせろ。難しいことはいいから」と
振付師に小井戸秀宅を任命し、番組が始まるまでに、とにかく踊れるピーナッツにすることを
仕掛けたのだった。
それ以上太ったらテレビには出せないよ、とまで脅かされたピーナッツは丸ポチャだった。
「あのコたちはネ。こ〜んな太ってて、すごい不細工な女の子だったんですよ。昔は(笑)」
それがシャボン玉が始まるまでに少しは出来るようにと、早朝の6時ころからレッスンをし、
シャボン玉が始まってからも、日本テレビの稽古場で振付けの踊りの練習をしてから、収録に
臨んだという。これはかなりの運動量であり、人気沸騰の時期の忙しいスケジュールの中で
行われたのであるから、途端にピーナッツはスリムなプロポーションに変身したという。

そういう裏話は知らないものの、私が感覚的に思ったのは、ザ・ピーナッツは歩き方からして
美しいし、さりげない身のこなしがなんともステキで、町中で見かける女の子とは大違いという
印象を抱いたことは事実であった。一言で言えば「上品」なのである。

シャボン玉ホリデーはまず初めにザ・ピーナッツの歌と踊りでの一曲があるのがお約束であった。
ただし、ここで歌われるのはミュージカル・ナンバーやスタンダード曲、最新ポピュラーソング
が一般的なので、茶の間のみんなが知っている曲というのは少なかった。音楽的な素養がない
私などは、どういう類いの歌なのかも良くわからなかった。
これは随分とハイレベルな仕事をしていたわけで、茶の間の視線は卓袱台の夕飯のオカズの方へ
向いていたのではなかろうか。

これが、シャボン玉のショーとしての白眉なのだが、よくこんなに色んな歌を覚えたり歌ったり
出来るものだと感心する面はあった。
踊れる歌手第一号だったザ・ピーナッツのこの定番のシーンは592回あったわけでありますが、
それがどれほどの偉業かは、それ以前も、ザ・ピーナッツ以後もこれと匹敵するような仕事を
している歌手がいないので説明しようがなく、イメージは伝えにくい。
歌って踊る歌手は以後、沢山現われたのであるが、毎週毎週、違う曲を歌って踊る歌手の存在は
以後出て来ないのである。本人も大変だし、振りつける人も大変。それが2〜3分で終わって、
もうその踊りは一回限りなので、忙しい人気者にさせるわけがないのだ。
決まりきった振りをつけて、繰り返すピンクレディのようにした方が楽で、踊りそのものさえも
流行る要素となったわけだった。ザ・ピーナッツの踊りはそれとは全く異質のものである。

キャンディーズやピンクレデイはザ・ピーナッツの一部分の要素をデフォルメした存在なのであり、
そういう視点で「ふりむかないで」はどういう振付けだったのですか、と問われると苦笑せざるを
得ない。ザ・ピーナッツはあくまでレコードと同等のクオリティを持った歌唱を、舞台やテレビで
歌い上げる歌手であって、始終踊りながら歌えるような歌は持ち歌にはないのである。
シャボン玉での歌は、プレスコ(予め録音しておくこと)であって、ハリウッドのミュージカル
映画と同じように、あたかも「歌っているように」見せているのであるから、動きの激しいダンス
が繰り広げられている。実際に歌っていないことをわかった上で鑑賞するのは、映画の楽しみ方と
同質のものなのである。ザ・ピーナッツはこの口パクを感じさせない才能も際立っていた。

シャボン玉ホリデーでのザ・ピーナッツの踊りというのはザ・ピーナッツの芸を見せることが目的
ではなくて、ショーアップを目差したものなのです。したがって、どうだ! というような派手な
ことはしません。踊りの技を見せるのではなく楽しさを表現してお茶の間に夢を送り届けるのです。
踊りそのものを見せるなら、テレビカメラのフレームは全体を写すように固定したアングルを取る
べきですが、シャボン玉はまるで映画のように頻繁にコマ割りが変化し、ズームも多用します。
「テレビは難しくするな。やさしく、かつ綺麗で、いかにカット割で上手く見せられるか」という
一種のトリックのような展開で魅せたわけです。

シャボン玉ホリデー主演に向けて、早朝からのダンス特訓は半年間続けられた。靴を履いていては
足が痛くなるので、ピーナッツの希望で素足でのレッスンとなった。毎日、時間にして一時間半か
ら二時間。踊れるスターを目差しての徹底的な訓練が行われた。


「ぜんぜん、へこたれませんでしたネ、あのコたち。それほど素晴らしい人材でした。あのコたちは
一回ゆっくりステップを教えると、すぐ覚えました。リズム感が良いんです。ですから、教える側の
苦労は何もなかった。やりやすかったですね」
何よりも本人たちの「上手くなりたい」という情熱が伝わってきたという。
「二人で手の上げ下げをきちんとそろえて、ステップも二人が一つのものになるよう、自分たちで
心掛けてました」
他にも誰か組んでみたいというタレントはいなかったのか、という問いかけに小井戸氏は、
「ピーナッツ以外はいませんでした(笑)。ダメなんですヨ、本当。ピーナッツに教えると、他の
人は目に入らなかったですヨ。歌手っていったらボクはピーナッツが一番上手いと思っていたから」
小井戸の思い描いた世界を完璧に舞ってくれるのが、ピーナッツだった。
「あの表現の素晴らしさったらないないですヨ。……歌手には出来ないことが出来ちゃうんだから、
あの人たちは」


恥ずかしながら私はザ・ピーナッツがこれほどのダンスの名手だったということを知らなかった。
指先までしなやかに踊るザ・ピーナッツの様子は、それはただの個性なんだろうと思っていた。
素人目には上手さを感じさせないほど上手かったのかも知れない。
別の書籍もあるので、そこからも紹介してみましょう。(内容は似ていますが)

ザ・ピーナッツの踊りはプロ級
                   小井戸秀宅(ダンサー、振付師)
 テレビの元祖的ショー番組『シャボン玉ホリデー』の振付は大分苦労しました。とくに
ザ・ピーナッツは歌いながら踊らせるのが大きなテーマでした。
 ピーナッツのバックで踊る振付を、毎週一場面一場面を考えてつくるのが大変でした。僕は、
毎日『シャボン玉ホリデー』の振付のことばかり一日中考えていました。この番組は現在の踊
りと比べても切れ味のケタが適うほど、その技術的レベルは高度でした。
 ザ・ピーナッツはとくに稽古熱心でした。二人は渡辺プロダクションの超売れっ子タレント
なので、常にスケジュールが埋まり、朝しか稽古の時間が取れません。そこで毎朝6時に集合
して、2時間から3時間、世田谷の若林の稽古場で汗を流しました。
 特訓を始めた当初のザ・ピーナッツは、決して踊りはうまくありませんでした。二人ともダ
ンサーではなく歌手ですから、踊りを練習したことがありません。プロのバックダンサーと一
緒に踊ると、二人の踊りはいっそう貧しく見えます。二人の踊りは視聴者から見れば、素人同
然でした。
 しかし毎朝の特訓が始まり、二人はすさまじく成長、進歩、上達しました。ザ・ピーナッツ
の踊りは、決して付け焼き刃ではない本格的なもので、特訓の成果が実るにつれ、いつしかバ
ックダンサーのスタジオNO.1ダンサーズのなかで踊っても、遜色がないくらいまでに上達
しました。
 ザ・ピーナッツのハーモニーのすばらしさは言うまでもありません。しかし踊りも短時間の
うちに見違えるほどにうまくなり、完全にマスターしました。僕の使命は、二人の歌のうまさ
を崩さず、いかにうまく踊るかが最大のテーマでした。その意味では大成功でした。ザ・ピー
ナッツは、のちにブレイクする、歌って踊るピンク・レディーの見事なお手本になりました。
 全盛時のザ・ピーナッツは、ドイツのテレビ局に出演しましたが、二人の歌と踊りはドイツ
のマスコミから絶賛されました。ザ・ピーナッツの歌と踊りは、世界に出して誇れるほどレベ
ルが高く、アーティストヘの目が肥えているヨーロッパ人から見ても、驚嘆するエンターテイ
ナーの実力をもっていました。
 僕は今でもザ・ピーナッツは世界で通用する一流のタレントだと思います。僕が自慢できる
すばらしいタレントです。

土居甫の見たピーナッツ

後年、ピンクレディーの振付けで評判となった土居甫さんもシャボン玉ホリデーのダンサーと
して、また振付けも担当したこともあった。その土居さんのザ・ピーナッツ評。
「シャボン玉で唄った曲をコンサートで唄うでしょ。ダンスナンバーじゃなく"You've Got
A Friend"とかサイモン&ガーファンクルとかバート・バカラックとか、あの頃流行ったものを
やるピーナッツのすごさって、世界一じゃないかと思うくらい、すごかった」と讃える。
その土居氏がピーナッツのダンス・センスを評する。
「あのネ、センスがすごくいいの。同じフリでも、お尻ひとつ振るにしてもスゴく下品な奴と
品が良いのがいるんだけど、ピーナッツはそのセンスがすごくいいの」
たとえば四小節振り付ける。次いで五小節目に入るとき、
「次に移る動作をするじゃない。われわれがよく”アンド・ワン”って言うんだけど、その流
れがピーナッツはすごく奇麗なの」
ピンクレディーと比較すれば顕著だという。
「やっぱり、ピーナッツのほうが上手いんだ。ただ、ピンクみたいなハードなヤツはダメで、
奇麗に並べるようなものが上手い」
しかし、土居にしてみれば、いつも奇麗に流れるダンスではなく、ときには変ってほしいと思う
こともある。
「今度のコンサートは違う部分も見せたいなと思うときは、冒険してみて、ハードなものを取り
入れることもあったんだけど、彼女たちは自分たちの踊りの流れを持っているから、それでも
奇麗に流してしまうのネ」
だから、ときには口喧嘩をすることもあった。
「でも、結局。タレントとしての踊りは上手いし、それでいいと思っている」
そして、性格面を「ピーナッツはネ、タレント向きじゃない人なの」とも評する。
「アドリブはきかないし、決まったことしかできないし……」
しかしスタッフ間で、ピーナッツの評判は抜群だった。
「われわれ、旅で回ってるでしょ。楽屋に入ると、ピーナッツ用のミラーがすごく奇麗に磨いて
あって、花が必ず生けてあるの。それは地元の人がやってるんじゃなくて、前乗りしたスタッフ
が全部やってくれるわけ。それぐらい、スタッフに評判が良かった」


この年もザ・ピーナッツのレコードのリリース・ラッシュは留まる気配がありません。
「東京たそがれ」のB面曲「こっちを向いて」はシャボン玉ホリデーのディレクター
秋元近史さんの作詞であるためか、番組中で良く唄われたが、珍しくレコード録音が
そのまま使われ、ピーナッツは口パクで唄っていた。
ディレクターの趣味というか横暴というか(笑)、これが流れると曲の経緯を知って
いるので面白く思った。「ふりむかないで」のアンサーソングでもあった。


クレージー・キャッツのレコードも順調に売れ続けた。

シャボン玉ホリデーにも出演した可愛い子役の上原ゆかりちゃんと植木等がデュエットで
唄った歌「パパといっしょに」は宮川泰作曲の名曲。(この年の10月に発売)
現在、この曲は、宮川先生とお孫さんの二重唱をCDで聞くことが出来ます。


(記:2006年9月4日)(追加:2006年10月22日)