前年までの活動でヨーロッパでの着実な実績を残したザ・ピーナッツは、いよいよ
この昭和41年において、全米ネットワーク放送である、エド・サリバン・ショー、
ダニー・ケイ・ショーにも出演し、国際的なタレントとして認められたわけだが、
そのような活動経過をシャボン玉ホリデーでは、一切PRすることはなかった。
何でも商売のネタにする昨今の場組作りとはそこも決定的に異なる潔さでもあった。
シャボン玉ホリデーにおいてはお茶の間に娯楽を提供するということだけを目的に、
一切の雑音成分はカットしていたのである。

クレージー・キャッツも然り。どんなに出演映画が多くなっても、個人での活動が
各方面で評価されても番組ではそのようなことには触れないで、ひたすらに番組の
楽しさ面白さに貢献することだけに専念していた。コント芸だけで純粋に魅せた。
どんなにブーム的に当たったところで、そのテンションを維持することは容易では
ない。後年、そのギャグのいくつかが話題になっているが、単に流行語を作ったと
いう安っぽいグループではないのだ。そこを勘違いしてはならない。
ザ・ピーナッツとクレージー・キャッツは、そういう実力面の豊かさが似ている。
中身が濃いのだ。そのチームワークと真剣さがシャボン玉を支え続けたのだろう。

このように単純にスナップショットを並べただけでも、なにやら楽しそうな
雰囲気が伝わってくるし、バラエティに富んでいても、下品さは全くないし、
日曜日の夕飯時に家族団欒で見る番組として相応しいスマートさがあった。


クレージー・キャッツのヒット連発はそろそろ終焉を迎えたが、ザ・ピーナッツのリリースは堅調。


家庭画報(1966年3月号)記事


青島幸男さん、御逝去

 シャボン玉ホリデーをはじめとするテレビなどでマルチタレントぶりを示した直木賞作家で、
参院議員や東京都知事も務めた青島幸男(あおしま・ゆきお)氏が20日午前9時半、骨髄異形
成症候群のため死去した。74歳だった。

仕出し弁当店の二男として、東京・日本橋に生まれ、早大商学部卒業後、同大大学院へ進学し
たが、肋膜炎を起こし、療養生活中に書いて送った漫才の台本が採用されてラジオ・テレビの世
界へ。放送作家のかたわら、坂本九の「明日があるさ」や、高度経済成長を風刺した「スーダラ節」などを作詞した。
 テレビ初期の人気番組「シャボン玉ホリデー」では自らもギャグマンとして出演。「意地悪ば
あさん」では主役を演じて人気者となった。昭和41年には映画「鐘」で脚本・監督・主演をこ
なし、カンヌ映画祭批評家週間に出品、話題となった。
 43年、参議院選に立候補し、初当選。その後も「カネのかからない選挙」を掲げ、政見放送
と公報以外、街頭では選挙運動をしない独自のやり方で連続4選を果たした。
 その間、56年には参院議員の傍ら生家の人々をモデルに描いた小説「人間万事塞翁が丙午
」で直木賞を受賞した。
 平成7年、参院議員を辞職して東京都知事選に立候補、170万票を集めて当選。公約を守り、
世界都市博覧会を中止して話題を呼んだ。9年に施行したペットボトルをスーパーやコンビニで
回収する「東京ルール」は、今日のリサイクル法の先駆けとなった。

ご冥福をお祈りします。