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♪マイ・ラブ    1964.11
   作詞:安井かずみ 作・編曲:宮川泰
   演奏:レオン・サンフォニエット
    

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★* ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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私はこの「マイ・ラブ」が、とても大好きだ。
ザ・ピーナッツの歌は、何れも好きなんだから、改めてまた好きと書くのは変だけど、
どうしても書きたくなるほど、やっぱり大好きだ。
私がこんなに好きでも、世間的には殆ど忘れられてしまっていると思う。
こういうところにも「縁」というものがあるわけなんだろう。
ザ・ピーナッツ・ファンになったからこそ、この曲を好きになれたのだろう。
ここにも、ひとつの幸せがある。幸せの形は色々あっていいのでしょう。

ジャケットのザ・ピーナッツは、とても可愛い。
小画像はサムネイルみたいなものだから、クリックして大きいのを見てくださいね。
コンパクトLPの写真も好き。色合いがスキャナーでは上手く読み取れないけど。

この「マイ・ラブ」は、初めてレコードで聴いたときに「官能的」だな、と思った。
当時の私はまだ17歳なので、表現としての「官能的」の言葉は後付けなのですが、
なぜか、「官能的」という特徴付けが私の中では定着してしまっています。
音楽に「官能的」という言い方が適切なのか、自分でも疑問がいっぱいです。
「法悦的」の方が良いのかもしれません。
スクリャービンの交響曲第4番が「法悦の詩」というので、こっちが良いのかなあ。
いや、やっぱり「官能的」のままで私的には合っているのだろうと思います。

お前、そりゃおかしいんじゃねえの? と異常者の眼で見られそうですが、この曲は
聴いていると、ムズムズしてくるんです。正確には、当時はムズムズしたのです。
快楽原則とでもいうのか、快楽的な曲線を描いている。昔はそんな風に感じていた。
そして、痒いところに手が届くような、こうやって欲しいという思い通りに曲が進む。
前奏からして、なにやら陰微(いんび)に始まります。もぞもぞしてるんです。
いんび、だからインビテーションでもあり、淫靡にも発展する感じもある。(まさか)

リズムパターンは耳と身体に馴染んだルンバとかそういうやつらしい。(良く知らん)
ラテン・パーカッションだから、耳当たりよく、心地よく、それだけでいい気分だ。
これは「愛」の歌だ。「恋愛」の讃歌である。それも目下、熱愛中なのだ。
案外、こういう歌は少ない。それもスキンシップを求めている。切実なのだ。
 ♪強い腕に抱き締められて その瞳に見つめられたい
物凄く切実な歌詞である。プラトニックではない。綺麗ごとでは済まされない感じだ。
こういうウソじゃない詩を書くから、安井かずみはいいなあ。

 ♪眠れないほど 熱い想いで あなたを呼ぶ
わあ〜っと情感が盛り上がっていく旋律がすばらしい。人の感覚はこういう風なのだ。
そして、絶頂感がくる。繰り返し二回のエクスタシーである。サービス満点なのだ。
二回目はこうである。
 ♪もえるような そのくちづけ この胸に愛をききたい
言葉で愛してると言って欲しいのではないのだ。くちづけして抱擁されたいのだ。
この歌は当時の私にとって、鼻血が出そうなくらい刺激的であった。

それは大好きなザ・ピーナッツさんが、こうやって他の男の人に抱かれるのかと思う
だけで、悔しくて、切なくて、胸が張り裂けそうになってしまったからだ。
それにしても見事な作曲であるが、アレンジが曲とまさに一体となっている。
あの絶頂感のあとの弦楽器へと収束する落下感が凄い。もう神業である。
この曲だけで、宮川泰は天才だと断言出来る。もはや人智を超えた天上の音楽である。
そのくらいの、なにかが天から降ってきている。

それにしても、作詞、作曲、編曲、演奏、録音とこんなに完成された音楽があろうか。
クラシックではないけれど、これはレコード芸術そのものではなかろうか。
出て来る音の順番で行けば、コンガ、ギター、で始まるが、そこへマラカスが参入し、
やがて、歌声と共に、ここで初めてベースが加わり、センターでドラムスティックで
シンバルを微妙に加えて来る。そして、トロンボーン隊も重厚に加わり、荘厳な響き
を形成する。厳かに弦楽器が中低音で参加すると、バックコーラス隊が人の声として
飛び出さない慎みをもって背景音として更に荘重な奥行きを曲に与えるのだ。

このような構成には、どこか絵画的なステップを連想する。
徐々に絵の具が塗り重なっていき、絵が出来上がっていくような、そういう感じだ。
宮川先生は絵書きを目差したこともあったので無縁とは言えないと思う。
このようなオーケストレーションは見事なもので楽器の音色に相応しい役割があり、
個々の彩りを見事に全体に反映している。
あの、ドッドっという重い音は何の音なんだろう。バスドラムなのだろうか?
それともベースと一緒に鳴らすのだろうか、よくわかりませんが、電子音を使うと
いう時代ではないので楽器の生音で作られた音なのです。生音は結構凄いんです。

管楽器もそうだが、単調に鳴らしている楽器はほとんど存在しない。
あまり楽な演奏を赦さない楽譜と言える。
弦楽器はクラシックのメンバーなどが臨時に参加することが多かったらしいのだが、
ぱっと初見で弾きこなせるようなパート譜でないことは明確だ。
間奏部分などは細かな音符で上昇下降を繰り返すし、多彩な表現を求められている。
そして、この曲が明らかにピアノで作曲されたことを裏付けるかのように、間奏の
目玉はピアノソロである。待ってました大統領という感じのさっそうたる登場だ。

どこにも書いていないけど、このピアノは宮川さんです。指揮兼演奏でしょう。
この筆圧の強い、畳み掛けるタッチは宮川さんの持ち味。叩いているんだ。
その叩きが、この曲にフィットしている。
自作自演のアルバムで、この「マイ・ラブ」を弾いているけど、同じ熱気があるんだ。
音符一つでいいところをタタタンと押しまくる。そうしたいんだね、きっと。
とにかく何度聴いても、聴く度に新鮮。聴き応えがある。味わいが深いのです。

弦楽器を中心に耳を傾けて聴いていると、これ、どこかで聴いた雰囲気だと気付く。
あれに近いんだ。リカルド・サントス(ウェルナー・ミューラー)楽団の響きだよ。
思うに、この頃、宮川先生はザ・ピーナッツの音楽PTAで一緒に渡欧してきた。
ヨーロッパのポップス演奏を身近で聴いて、楽譜まで見せてもらっている。
帰国してからは、かなり気合を入れてアレンジにも一段と熱が入った時期なんです。
そういう影響が少なからずあると思う。熱中アレンジですよ、これ。

これだけの完成度だったからこそ、音楽を超えた「官能的」なものが醸し出された。
後知恵だけど、そんな気がします。
最後の終り方も、全レコード中でも白眉。いいなあ。徹頭徹尾、いいなあ、です。
この曲には、この歌唱力が必要不可欠という面で、ザ・ピーナッツは常に満点である。
120点は出さない。不純物は要らないのだ。
ザ・ピーナッツでしか、この曲は活きない。
「マイ・ラブ」を聴いたことのない人と、ザ・ピーナッツの話はしたくない。嫌だ。
私はそういう人間です。
(2008.01.19記)

> 「マイ・ラブ」を聴いたことのない人と、ザ・ピーナッツの話はしたくない。嫌だ。
> 私はそういう人間です。

こんな文章で終ってしまうと、これは大変に偏屈な人間だと思われてしまいそう。
事実、偏屈な面は十分にあるのですが(笑)、それほどの異常者でもないとは思う。
そこで補足(蛇足になりそうだけど)も加える必要がありそう。

つまり、長くなりますが、こういうこと。
ザ・ピーナッツについて私が語っていることは実体のザ・ピーナッツではないのです。
実際にこの世に存在する元ザ・ピーナッツさん達のことは殆ど何も知らないのです。
バーチャルな存在として私の脳内風景を語っているに過ぎません。
実体と似ているところもあるでしょうが、パラレル・ワールドのようなものなのです。
だから、この幻想空間に抵抗なく入って頂けるには、前提のような壁を乗り超えて、
そこで感覚が共有出来るのです。
「マイ・ラブ」を聴いたことのない水準の方とは、意識を実体のこの世に変換して、
世間に通じる標準語で語らなければならない。それが、しんどいのです。

人間には長所と短所がありますが、私にとってザ・ピーナッツは欠点部分であり恥部。
自分の最も異常な部分で致命的な患部。不治の病に冒されている重篤なトラウマ箇所。
死線を彷徨うような高熱で譫言を書き連ねているようなものなのです。
随想などは、この病巣から滲み出てくる膿のようなものなので感染性の猛毒でもあり、
あまり多くの人に読まれない方が良いのではなかろうかという自覚があります。
しかし、この人、少しおかしいよ、と気付いてくれるのではないかと推察をしてます。

以前は、ザ・ピーナッツで検索しても、なかなか私のサイトなんか登場しないので、
これはいい塩梅だと思っていましたが、最近は最初の1ページ目に出て来てしまうし、
ウィキペディアにまで紹介リンクがあるので、普通の人も迷い込むかも知れない。
ここが、ヤバイなあ、と少し心配なところ。

私に限らず、どんな人も「変」なところと、「普通」なところが、混在してるはず。
このサイトは「変」なところばかりのオン・パレードなんです。
これだけで判断されると、この人は、これでよく世間で生きてこれたなと思われる。
それはそうです、「普通」なところを使って世間様とはおつき合いして来たのです。
本当にどこにでも居るような事務系サラリーマンで同じ会社で41年勤めました。
また肉親やご近所ともコミニュケーションは良好なんです。
変人だなんて誰も言いません。(と思ってます)

青島幸男さんがシャボン玉ホリデーで忠臣蔵をめちゃくちゃなパロディーで書いた
ときに、視聴者から猛烈なクレーム電話が局に殺到したということらしいのですが、
それと同じです。目くじら立てて随想を読まれても困る。
少なくとも、ためになる、というようなことは書いておりません。
教養サイトじゃない。無教養な人間が書いているのだから、それは無理というもの。
当たり障りのないことを書いても自分が面白くない。
面白くないことでも給料を頂けばやらなきゃならなかったけど、ここは別なんです。
自分が有料プロバーダーに利用料を支払っているスポンサーなんだから。

こんなサイト、何の役に立つんだ、と言われても困ります。
世の中の役に立ったであろうお仕事はもう十分にやったつもりなので、余生を送る
道楽でしかありません。見た人がもし楽しかったらなお結構。
ものの程度はあるけど、これからも思いのたけを自由に書かせて頂くつもりです。
18禁ということはありませんが(笑)。どうか、大人の視点で見て下さいね。

中学校で習いましたね、↓これ。
  子曰く、
  吾れ十有五にして学に志ざす。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳従う。
  七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

途中、省略するけど、
  六十で何を聞いても動じなくなった。
  七十になってからは心のおもむくままに行動しても道理に違うことがなくなった。
ということなので、今は何言われても、動じないことなのかな?
生きていれば、70歳までサイト運営を頑張ってしまおうと思っています。

(2008.01.31追記)