■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

♪ジョニー・ジンゴ    1962.07
 JOHNNY JINGO
   原曲:Dick Manning,Kathleen G.Kay Twomey
   訳詞:あらかは ひろし 編曲:宮川 泰 演奏:記載なし
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★ ★★★★★

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

ザ・ピーナッツのこの歌は、このCDアルバムに収載されるまで未発表であった。
どうやらキング・レコードの倉庫に録音済みテープのまま死蔵されていたらしい。
このような未発表曲がCDの時代になって復活するケースは初めてではなかった。
17年前のCDアルバム「ザ・ピーナッツ・ドリーム・ボックス」では15曲もの
未発表曲が初めて聴けたし、以後もポツポツと出現して来る。
そもそも、レコードの時代でも「内気なジョニー」という録音が引退後の5枚組の
LPボックスで初めて収載されたという歴史もある。

なんで、こんなに未発表曲って存在するものなのだろうか。
以下、私の考察です。(例によってデータ的裏付けはありません)
ザ・ピーナッツが現役の時代は、レコード盤そのものが高額商品であった。
一般庶民には殆ど贅沢品といってよい品物なのであった。
当時の一曲当たりの単価は、100円〜150円という水準であろうと思う。
これは現在もそう変わっていない価格なのである。
よく鶏卵は物価の優等生と言われるが、これは昔も今も金額が変わらないからである。
これとレコードやテープ、CDは価格設定が似ている。ほとんど変化していない。
タマゴなど今じゃ好きなだけ食べられる。だが、昭和30年代は贅沢な食品であった。

上記のことが納得頂ければ、沢山の録音が商品にならなくてもかまわなかった理由が
わかったようなものだと思う。非常に儲かる商品であったわけだ。
あの時代は、例えば、1000枚しか売れなくても「採算がとれた」時代だったのだ。
シングル盤が1000枚で売り上げ=30万円である。
今じゃ、社員一人の月給にも満たず、大赤字に決まっているが物価から考えてみると
当時なら、10人以上の月給が払える額である。
だから、少しでもヒットして売れればボロ儲けなんである。3万枚も売れれば万歳だ。
この「ジョニー・ジンゴ」でも、ちゃんとしたアレンジと水準の高い演奏陣であり、
お金も手間もかけている。これを無駄にしても良いほどレコードは収益率がそれを
上回ったということでしょう。

ザ・ピーナッツは一発屋じゃないので全体のバランスで考えれば録音投資は有意義だ。
録音にかけるコストに比べて収益の方が圧倒的に勝っている。
だから、機会を逸しないためにも、先行投資で、どんどん録音はやったと思う。
録音に至るまでのコストは全体の利益で相殺されていたのだろう。
ところが商品にするにはセットにする曲が必要になるし、同レーベルの他の歌手との
競合も懸念すべきかも知れない。ここは営業面の戦略の問題だと思う。
それにファン側のお財布の状況も考えなきゃならない。
リリース・ラッシュの時は、こんなに出されても買い切れないよと思ったものです。

現代の音楽商品の価格は当時に比べて格安である。バカ安いと言っていいだろう。
今や薄利多売の趣があり、何万枚というセールスが期待出来なきゃ新作は作れない。
だから大売れしそうな路線ばかりがリリースされるように思えてならない。
クラシックの新作CDなど息も絶え絶えという状況らしい。殆ど出なくなっている。
なんだか二流三流の演奏家の寄せ集めの格安全集みたいなものばかり並んでいる。
どこの店頭でも、似たようなもので、もうショップで買う時代じゃなくなっている。
品数が少なく選択もへちまもない。通販でないと良い演奏のものは入手しづらい。

とにかく購入しやすい商品であるCDは保管場所の面でも有利なので、どんどんと
売れまくった。私が知らない歌手の知らない歌でも何百万枚も売れてしまう。
買いやすいので、色んなアーティストのものを多彩に揃えて買う人も多くなった。
だけど、一日は24時間なので聴く時間なんてのは昔も今も増えてるわけじゃない。
すると、ろくに聴かずに持っているだけという無駄も多くなってるように思う。
または一時的に聴くが、数カ月で死蔵ということも多いのだろう。または売却だ。
ついこの間の大セールスとなった歌が中古市場で二束三文で買えるみたいだ。

さあ、やっと本題「ジョニー・ジンゴ」のお話です。
ヘイリー・ミルズという少女歌手(16歳)が歌った歌をカバーしたものです。
彼女は映画でもお馴染みですが「レッツ・ゲット・トゲザー」の舌足らずの歌の方が、
私には印象が強くて、こっちは記憶に薄いです。
ザ・ピーナッツの歌を聴いたことがあったかどうかもわかりません。
とにかくテレビで歌った歌の数という面ではザ・ピーナッツは抜群の多さなのでして
録音でもしておかない限り、いちいち覚えているのは至難の技です。
それでも、こうして歌を聴いていると、初めまして、という感じが不思議と起きない。
これは何故だかわかりません。

当時、商品化されたカバーでは、梅木マリという可愛い少女が歌っていたそうです。
懐かしいもの好きのマニアの間では、そのレコードなどは貴重品らしい。
キングレコードでは伊東ゆかりがB面カバーしていたので、そういった事情からも
ザ・ピーナッツ盤は発売しなかった可能性はありますね。
ヘイリー・ミルズ盤はキングレコードの洋楽レーベルだったから伊東盤をメインに
推したかったのでしょう。カバー盤はタイミングとか勝負だから大変でしょうね。
曲自体もそんなにヒットしなかったような気がしますが、それは結果論かも。

良く調べたわけじゃないけど、恐らくザ・ピーナッツの録音曲では最短記録だろう。
1分37秒という短さなんだけど、楽しさ凝縮、魅力濃厚で素晴らしい完成度です。
1960年代のキング録音は私は珠玉の時代だと思ってます。天使が舞っている。
そしてまた最近のキングのCDの音質が素晴らしい。まさに魅惑のサウンドです。
新しいCDが出る度に音の美しさが磨かれて来ています。
もう絶対に美音のノウハウのようなものを現技術陣が体得したに違いない。
高解像度とか明晰さとかシャープだとか、そういう感触ではない自然の音響が持つ
ギラギラしない作り物らしくない響きが出せるようになった。著しい進歩だ。
ここまで良くなると上位フォーマットであるSACDにも肉迫しているほどだ。
皮肉にもSACDが登場してから普通のCDの音が良くなってきてしまったようだ。

しかし、歌唱も演奏も抜群に上手いよなあ。
演奏と歌が空気感も含めて一体化してるし、一緒にエンジョイしている感覚が濃厚。
どういう事情か知らないが、ザ・ピーナッツの録音はスタジオじゃなくてホールを
借りて収録することが多かったようなのだが、スタジオじゃない方が響きが良い。
そもそもスタジオというのは歌でも演奏でもダイレクトの音のみを収録するように
作られている。吸音材を貼り巡らしているから、そういうことになる。
あとは人工的にエコーやリバーブを付加して、それらしく聴かせるわけだ。
だが、ホールの場合はむしろ適度な残響を持たせて音楽を豊かに聞かせ、後方の
お客さんまで音を届ける構造になっている。
このホール・トーンというものがザ・ピーナッツの録音の魅力にもなっている。
だから現代のソースからは得られない響きの魅力がそこにある。
この「ジョニー・ジンゴ」でも、その醍醐味が色濃く聴くことが出来る。

ところで「内気なジョニー」という歌も当時はお蔵入りになってましたねえ。
もしかすると、ジョニーで両面というシングル盤を考えていたかも知れませんねえ。
だけど「ジョニー・エンジェル」をすぐ後にリリースしたしねえ。
ジョニーばっかりになってしまうのも、変だもんな。
それに、この年は、
  1月=涙のスクリーン/ポケット・トランジスター/悲しきかた思い
  2月=いつも心に太陽を/山小屋の太郎さん
     ふりむかないで/アテネの恋唄
  3月=君去りし夜/あなたなんかもういや
  4月=夕焼けのトランペット/ローマの恋
  5月=私と私/幸せのシッポ
  6月=モスコーの夜は更けて/初恋のところ
  7月=イエスサリー/グッド・ラック・チャーム/モニカ
  8月=さいはての慕情/ジョニー・エンジェル
 10月=手編みの靴下/二人の高原
 11月=レモンのキッス/恋のジュークボックス
     ジングル・ベル(新録音)/サンタクロースがやってくる(新録音)
こんなに沢山のレコード(EP=11枚、LP=2枚)を出しています。
もうここに割り込んでリリースする余地はないと考えるのが自然じゃないかな?

このCDの解説に「当時お蔵入りしてしまったことが惜しまれる」と書いてあるが、
この状況では、仕方ないことがわかるよねえ。無理だよ。
買う側であった私の身になってみれば、もう購入限界を超えたリリースでしたね。
中学三年生〜高校一年生だったのだから、よくついていけたものだと感心します。
ちゃんと買っていったんだから大したもんです。ファンの鑑のような人だよなあ。
親が偉い、というか、親も変わった人だったんだね。普通、許さないよ。(笑)
(2008.7.12記)