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♪ママごめんなさい    1962.2放送
   作詞:岩谷時子 作・編曲:宮川泰
   演奏:シックス・ジョーズ
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★★ ★★★★★

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この曲も生まれた背景などについては、こちら↓を先にご覧下さい。
http://peanutsfan.net/KICS1408.html

このCDを聴いた人は私も含めて、1曲目〜2曲目で、いいなあ〜とうっとりし、
そして3曲目のこれを聴いた時点で、涙ポロポロになってしまったのではないか?
そうでない冷血漢はもう人間じゃない。(またそういう過激なことを書く/笑)
このようなワルツ=三拍子で曲を作られると、それが素敵な旋律であったりすると
ガーンと強烈なショックを人間に与えるような気がするんです。
ワルツというのはグサッとくるんです。なかなか良いメロディを作るのは難しいと
思うのですがハマったら、こんなに効果的なことはないように感じます。

シックスジョーズでの番組用の録音ではあるのですが、ちょっと弦楽器が入ってて
ハモンドオルガンも使って温かくて切ないような飛び切りのメロディーを支えます。
愛だ恋だとか生具くない清純な、ザ・ピーナッツのこういう歌は大好きです。
他の随想でもザ・ピーナッツの童謡・唱歌の類いが大好物だと書いているのですが、
このような歌はクラシック系の発声法で歌ってほしくないんです。
そうじゃなく自然な話し声の延長で歌ったのを聴きたい。普通のお母さんの歌声で
普通の少女達の歌声でなきゃおかしい。オペラじゃないんだからさ。
大きな劇場でマイクなしで会場の隅々まで聞こえるようにしたのがああいう発声法。
耳元で歌ったり、赤ちゃんを抱いて歌ったりする時にあんな声で誰が歌いますか。

ザ・ピーナッツは普通の人の声で裏声さえ使わずに自然そのもので歌っています。
ユニゾンの圧倒的な素晴らしさとかハーモニーの美しさなどが賞賛されるのですが、
大きな声では言えないので小さな声でいいますが……。
結局、そういう技術的なことじゃなく、単にザ・ピーナッツの声音が好きなんです。
もちろん美声ではありますが、それ以前に本能的に私の耳には温かく心地よく感じ、
こればっかりは世界中のどんな歌手の歌声でも勝てません。
個人の好みの範疇であろうと思うので他の人はどう感じるのかわからないのですが、
割と普遍的に好まれるようなのでザ・ピーナッツの歌声を毛嫌いする人は少ないと
思われますが、これでなきゃ聴けないというほどこだわるのも変なのかも知れない。

この曲の歌い方も上手いですよね。でもそれが余り技巧に感じられない良さがある。
瞬間、独唱になったり、ハモるところとユニゾンで歌うところが必然性を感じさせ、
強く語りかけたり弱く余韻を漂わせたり、そういうテクにイヤミが全然ないのです。
意図してやってるのにわざとらしくない。これは天性のしなやかさだと思います。
ヒット曲を作るという面では、岩谷時子、宮川泰、ザ・ピーナッツのプロジェクトは
あまり成功したとは私は思っていません。そういうチームではないのだと思います。
良い歌を、心から人を暖かくする歌をたくさん作った。そういう面で大成功なのです。
評価されるために、営業成績のために寄与しなくたって私達には関係ないことです。
こうして素敵な歌が聴ける。こんな幸福はかけがえのないものでしょう。

(2009.01.04記入)


<付録>
短期集中連載シリーズ

ザ・ピーナッツ萌え〜(その2)

そもそも「萌え」とはどういう状況のことを言うのでしょうか?
通常の異性に対する恋心とは明らかに違う性質のもののようです。
萌えの対象には、必ずしも異性であったり、恋人であったりする制約もないのです。
先に紹介した本によると、それは「森羅万象」への愛だということです。
これは著者が作った言葉ではないので分析結果が正しいかどうかはわかりませんが、
この「萌え」の感覚のルーツは、実は、手塚治虫だろうということです。
この説には私も大納得です。手塚治虫の影響は実に多岐にわたっているからです。

手塚治虫の影響というと可視的なものを思い浮かべるかも知れないけどそうじゃない。
「なんとなく、胸がきゅーんとなる感覚」それが全てのベースなのだ。
オタク系のストーリーに妹萌えがあったりするが、そういうタブーな部分であっても
深層心理的にそういう感情があるのは異常ではない。
「萌え」とは、プラトニック・ラブであって「精神的な愛」の感覚なんである。
人間だけが対象でもない。仏教の教えのように、この世の全てのモノに仏が遍在する
ことと同義で、全てのモノに愛を感じることが可能なのである。
愛車とか愛機なんて言葉の概念は外国にはないかも知れない。そこにこそ日本人が
持っている特徴的な良さがある。萌えこそ、日本人の優秀さを象徴している言葉だ。

「萌え」は高度な精神的活動が必要だ。感覚や情報は著しく少ないのだから妄想力が
研ぎ澄まされないと存在出来ない神秘的に夢幻な領域でもある。
実体が無いのであるから、主観的脳内愛情だけで成立するので、3次元の知覚はなく、
リアルであることをむしろ拒絶する方向に向うと思われます。
私がザ・ピーナッツの動画映像にあまり興味がないのは、映像というものは想像力が
何も要らず、そこから一歩も踏み出せない完結した世界であり、発展性がないからで、
ただそれだけのものか、で、終ってしまうからです。
ビデオは萌えの対象にならない、と私の感覚ではそう信じます。

ノーベル賞を受賞した昨年の日本人は対象に萌えたオタクだったに違いないと思う。
萌えとはロマンなのだ。たまたま世に評価されたのが、あの方たちだったのである。
萌えるには情報量が少ない方が良い。世に溢れかえっていない代物に意味がある。
絵にも描けない美しさとくれば絵でも写真でもない脳内感覚だと思うからです。
ビデオ映像もレコードやCDなどの録音も同じことを繰り返し再生しているに過ぎ
ないのであるが、私には全然別物という感覚がある。

「音」の世界は、一次元とも思えるほどに自分の感覚で探り、補い、再構築すると
いう自由度が大変多い世界のように思えます。
視覚情報は脳の機能の多くを専有してしまうため、メモリ不足になることから眼を
閉じたりしないと「音楽」の世界に没入出来ない。なにをやってるかわからない。
現実世界をメインにしてヘッドフォンで音楽を聴きながら勉強するとうならいいが、
音楽をメインに据えるというのは実は大変な集中力が必要なのである。
音楽を聴くには、まず音楽に萌えなきゃ駄目なのだ。

<以下>ザ・ピーナッツ萌え〜(その3)へつづく。