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♪冬の朝    1963.1放送
   作詞:岩谷時子 作・編曲:宮川泰
   演奏:シックス・ジョーズ
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★ ★★★

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この曲も生まれた背景などについては、こちら↓を先にご覧下さい。
http://peanutsfan.net/KICS1408.html

この歌は聴いたことがないか、忘れてしまったのか、記憶にありません。
高校一年生の時なのですが、ポケット・トランジスタ・ラジオを持っていて、
川崎駅南武線のホームの一番東京寄りの場所で聴いていたはずなんですが、
確か、7時9分発の電車に乗っていたのが途中から7時7分発に変わって、
番組自体途中迄しか聴けなかったり、ホームが喧しくラジオの感度も悪くて
何を歌ってるんだかわからないような状態になってしまったと記憶してます。

そういうことから今回のリリースで初めて聴いたようなものだと思うのですが
どことなくお馴染みのようなメロディーのような錯覚があります。
恐らく奇を衒った作品じゃないから、そのように感じるのかも知れません。
佳作なんですが傑作でもない穏やかな存在の歌のように思うのです。
人間だって天才も居れば凡才も居る。物凄く優秀な頭脳や運動神経の持主じゃ
なくたって世の中に不要な人なんか居ない。
こういう際立った特徴がなく、慎ましい存在感の歌があったっていいじゃんか。
胸騒ぎもしない涙も出ない、のんびり淡々と過ごす日々が一番幸せなんです。

そういう視点から見れば、これも岩谷時子、宮川泰、ザ・ピーナッツの作った
ふんわりとのどかで落ち着いた楽園という感じがしないでもない。
代表作ではないが、ある意味で典型的に特徴を醸し出しているような気がする。
案外、こういう事件もない平和そのもので感情を揺さぶらない歌を作ってみろと
云われても、そうそう出来ないのかも知れない。独特の世界なのかも知れない。
いずれにしても、これから学校とか会社に出かける時間帯にあまり深刻な歌を
聞かされるよりも適切な楽想とも言えるだろう。朝の音楽なんですからね。

♪何もないから しあわせな あなたとわたしの 冬の朝

ほんとに何もないんです。ないからいいんですよね。あなたとわたしが居れば。
こういう大袈裟にならない自然さが本来は普通なんで、これでいいんですよね。
ある面じゃ加山雄三さんの「君といつまでも」と同じ世界観でしょ。
君がいるだけで幸せなんだ、と言い切っているじゃないですか。そんなもんだ。
早朝番組の今月の歌なので、季節感をテーマにした歌が多かったように思います。
この歌は冬がテーマですが、秋をテーマにした「枯れ葉」というオリジナル曲が
私は好きでした。どこかに録音が残っていないかなあ。

他愛のないレビューなんだけど、なにも強いメッセージを必要としない曲だから
これでいいのだ、ということで、お終い。

(2009.01.06記)


<付録>
短期集中連載シリーズ

ザ・ピーナッツ萌え〜(その3)

さて、ここで、ちょっと変わった書籍をご紹介しましょう。これです。

右上に「伊豆の踊子」の漫画カットをちょこっと貼っておきましたが、この感じが
伝わりますでしょうか?
原作の踊子のイメージって、実写映画より、これの方が的確じゃないでしょうか?
この場面が小説の白眉なんでしょ。「子供なんだ……」というところね。
吉永小百合や山口百恵じゃ、「子供なんだ……」じゃ似合わないんです。
つまり3次元感覚より、2次元の漫画の方が原作のイメージに近いと思われます。
それは文学である原作が1次元なので、次元要素が少ない方が雑味が入り込まない。
萌え感覚というものはそういうものです。現実とはかけ離れることに意義があります。

萌えというキーワードには、どこかエッチで、いやらしく淫靡な感覚を伴います。
この本のオビにも<美しい言葉で綴られた名作文学に、萌えのキーワードをふりかけ
ると隠されていた淫靡な真実が見えてくる>
なんて書いてありますが、別に隠されているわけじゃなく、エッチなことをする時、
エッチな気分でするわけでしょ。神聖な儀式を執り行う気分でする人の方が変態。
だから「萌え」という言葉や、その感覚には罪はないのです。
「萌え」感覚を持った人が全て秋葉原事件やらを起こすわけじゃない。

ただ一つ言えるのは「積極的能動萌え」と「消極的敗北萌え」があるように思います。
犯罪者の類いは後者であって、現実の恋愛を希求してるのに思う通りにならず逃げて
しまっただけの結果なのであって、萌えたから事件を起こしたわけじゃないんです。
正しい萌え感覚は「積極的能動萌え」でなきゃならないし、負け組じゃ駄目なんです。
「萌え」というのは無償の愛。対象には何も求めません。勝負は存在もしません。
現実の愛はそうはいかない。獲得競争。選ばれるのは一人だし、ゴールインしたって
浮気するかもしれないから安心も出来ない。もう大変なんすから。

「電車男」というテレビドラマがあった。面白いので欠かさず見ていたのだが……。
次第に、どうも何か違うな、という違和感が生じて来た。
あれは結局、オタクという人種はダメな動物としてしか描かれなかったではないか。
現実の恋愛が成就して、オタクを卒業することでメデタシ、メデタシとなっちゃう。
それって違くねえか。
オタクである自分をオタクのままの存在をエルメスちゃん(伊東美咲)が認めると
いうことでなきゃ本当のハッピーエンドとは違うのではないか。
だからエルメスにもコスプレとかやってもらったり、一緒にコミケに行くなりして
オタクの世界を共有することでなきゃオタク否定に終ってしまうではないか。

中学生の頃は、ザ・ピーナッツと結婚したいな、なんて思っていた。ほんとだよ。
これはまだまだ修行が足りないからなのでしょうがない。過渡期なのだ。
「ザ・ピーナッツは凄いスタッフが創り上げた作品でした」とご本人達も言ってる。
もちろん、そのスタッフにはザ・ピーナッツ本人も含まれるのです。
つまり、萌える対象は、ザ・ピーナッツという作品であらねばならないのであります。
けっして生身のザ・ピーナッツに恋愛感情を抱いてはならない。これは鉄則です。

これがわからないと、こまどり姉妹に刃物で怪我をさせたファンのようになります。
バーチャルはバーチャルな存在として認識しなきゃ、させなきゃダメなんです。
それを貴方と同じように私達も苦労してきたんです、なんて、同情させたりするから
身近な存在として生身に接しようとする輩が現われる。
貴方とは違うんです、貴方の恋愛の対象じゃないんです、という面は明確にするべき。
ザ・ピーナッツのショーは舞台が巨大なブラウン管のカラー画面のようでした。
客席に降りて来るということは一切ありません。そうあるべきでしょう。
華やかなステージにしか存在しないのがザ・ピーナッツ。身近じゃいけないのです。

<以下>ザ・ピーナッツ萌え〜(その4)へつづく。