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♪涙のスクリーン     1962.01
   SAD MOVIES
   原曲:Johnny Dee Loudermilk 作詞:漣 健児
   編曲:宮川泰 演奏:シックス・ジョーズ(ウイズ・ストリングス)
   録音:1961.11.10 イイノホール

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★★★ ★★★★ ★★★★

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一般には「悲しきスクリーン」という日本語タイトルが付けられています。
「涙のスクリーン」という題名はザ・ピーナッツ盤だけのようです。
直訳では「悲しい映画」ですが、スクリーンになり、涙になったわけです。
「悲しき……」というタイトルはうんざりする程多いので避けたのかも?
あれ、どうしてだろう? と不思議に思うのは訳詞が漣健児さんだから。
この頃、ザ・ピーナッツの歌うカバーポップスの競合盤で作詞されており、
ザ・ピーナッツは音羽たかしさんが圧倒的に多かったはずです。
何故、今回は漣健児さんなのでしょう? 理由/事情はわかりません。

漣健児さんは超訳でも有名なのですが(笑)、この曲では元の英語歌詞の
ストーリー構成とほぼ同じです。
https://www.youtube.com/watch?v=C3cj5_IgLxw

歌っているのはスー・トンプソンさんという方です。
ハイティーンのような可愛らしい歌声ですが、1926年生まれなので35歳。
それが魅力らしいのです。幼い感じの声が彼女の特性らしいのです。
今回、随想を書く為に初めて聴いたんですが、これ、けっこういいね!
シルヴィ・バルタン(フランス語)、レノン・シスターズ(ポルトガル語)
のカバー盤もあるのだそうです。
ザ・ピーナッツ盤の日本語歌詞はこういうのです。

 悲しいスクリーン

 明日は彼と映画に行くの 彼の腕に抱かれて見るの
 どんなに悲しい映画をみても 優しい彼となら楽しいの

 待ちに待った今日はデイト 喜ぶわたしを裏切る電話
 淋しくただ一人 わたしだけが泣いてみるスクリーン

 わたしの前であの人が 知らぬ女の子と 見ていたの

 お家に帰ってママに言ったの とても映画が悲しかったと
 うそをついて思いきり 泣いた悲しいスクリーン

 ウー…… わたしのもとに帰ってきて もう一度 オー……

うーん、なんとも不実なスケコマシ野郎ですなあ。
元の詞では、仕事が入っちゃってさ〜なんて嘘ついてるのでなお許せない。
また、家に帰って様子が変なのでお母さんが、どうしたのと聞いたので、
悲しい映画だったの、と嘘をついたと歌ってるらしく、とてもかわいそう。
こういう遊び人は相応しい尻軽女と付き合うべき。(ま、そう怒るな/笑)

内容が内容だけになんか鬱陶しい歌です。
高校生だった私にはあまり好きにはなれない感じでした。
LPアルバムだから流れで聴いてる感じだったと思います。
途中の曲から聴いたり、途中で止めたりとかはアームリフターが付いている
とはいえ、盤の溝を大切にすることを考えると好ましくありません。
なにしろダイアモンドの針が付いているのだから危険な行為です。
一曲だけ聴くのであればシングル盤が良いのですが、LPだけの収録曲では
そうもいかないのが辛いところです。CDはそういう点でもスグレモノかな。

それにしても、冒頭の、悲しいスクリーン、と歌ってるその唱和の仕方って
もうそれだけで、いいなあっって思えてしまいます。
コーラスをやったことはないけど、このように二人で歌うだけのことなのに
どうやったらこんなに魅力的な響きになるのでしょうか。

皆様も学校で教わったように「和音」とは異なる三つの音が鳴るものです。
ザ・ピーナッツは二人なので構成音の一つが欠けることになります。
このために知らず知らずのうちに満たされぬ思いのようなものが生じるのか
という感じも抱いています。
それにユニゾンとハーモニーする部分が交叉的にやってくるので摩訶不思議な
世界となっているのかも知れません。
冒頭のハーモニーを聴くと、とても不安感を抱きます。なにが起きるのかと。

本体の歌に入ると、ユミさん、エミさんが交互にソロで歌います。
私達はデュオで歌うことが通常と思ってますから、これは異常なのです。
普段以上に聞き耳をたてることになります。歌の行く末を心配する心境です。
待ちに待った今日はデイトという箇所で弦楽器が不安感を煽る旋律と音色で
嫌な予感を暗示しています。すると中間部でとんでもないことが起きます。
わたしの前であの人が……ここに至ってややヒステリックな歌声と化します。
同じ日に録音した「悲しきかた思い」とは歌声の響きが違います。
こっちの方が嫌な響きです。マイクの調子が良くないのか。エコーが不調か。
でも、これは歌い方が激しかったのではないかなと思います。

この歌は起承転結がはっきりした構造になっています。
普通はAABABAという構成になってるのに、こちらはAABAだけです。
AABAだと完全に起承転結の物語構造になるんです。
それに導入部と結尾部がこの曲には存在します。
映画みたいな構成です。原題は「悲しい映画」です。

もっと後味の良い曲にするならば、AABABAという形にしたら出来ます。
実は映画に一緒に行った女の子はわけあって別々に暮らしてた妹だったのだ。
理由には両親の離婚とかね。そういうわけで、今度、紹介するから、などと
いう歌詞にすれば、メデタシ、メデタシ、のハッピーエンド。
だけど、それじゃ、曲調がついてこれない。成り立たないのです。

そういう曲調の変化という点で画期的なのは植木さんの「はい、それまでよ」。
こんな凄いのは空前絶後。これは昭和歌謡史の金字塔だと思います。
萩原哲晶さんは大天才。余人には真似出来ない異常な才能です。
その大天才がザ・ピーナッツに贈った歌。どうぞご贔屓に。
http://peanutsfan.net/077.html

この歌のテーマは「裏切り」ですが、まあこの程度はよくある日常茶飯事です。
でもうら若き乙女にとってはどんなことより大事件であって、嘆き悲しむ事態。
あとになって思い出せば青春の一ページ。とるに足らないようなお話でしょう。
でも、こういうちっぽけなお話の方が身近なわけで、何でも歌にすること自体
とても良いことだと思います。馬鹿馬鹿しくてもいいじゃないですか。

とるに足らないといえば、この歌もカバーポップスとしては流行らなかった。
だってザ・ピーナッツしか歌ってないし、それもシングル盤じゃなかったから。
それでもラジオからは流れることがあったんです。
大体ニッポン放送にチューニングしてたので、それで聴いたことが多かった。
ザ・ピーナッツは文化放送の局CMを歌ってたけど両社は双生児局のように
仲良しだったからね。

ラジオ関東(現ラジオ日本)の電波が強くてちゃんとしたメーカーのラジオで
ないとニッポン放送が正常に受信出来なかった。
何故かというとラジオ関東の送信所が家から近かったのです。
電力そのものはニッポン放送の方が倍以上強かったのですが、鉱石ラジオでは
バリコンを動かしてもラジオ関東しか入らない。その位強かったんです。
遠足なんか行くとこれが逆転。ニッポン放送しか良く入らなかった。

ラジオ局にはレコード各社からレコード盤はプレゼントされてたのでしょうか?
このようなマイナーな曲を放送してたんだからなあ。
今週のヒットなんて番組じゃあ、同じのばっかりで飽きるしね。
外盤を紹介する番組って殆ど聴いてなかったんで、そっちではどうだったのかは
知りません。もともと音楽自体にあまり興味なかったからね。
ザ・ピーナッツは私にとって真の音楽の先生ですよ。

(2015.08.11)