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♪山小屋の太郎さん     1962.02 
<ニッポン放送・今月の歌より>
  作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰 編曲:宮川泰
  演奏:シックス・ジョーズ・ウイズ・ストリングス 指揮:宮川泰
  録音:1961.12.12
   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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これは好きな歌です。とても大好きです。
この世の汚れというものが、この曲には一切ない清清しさなのです。
別に悪いことはしていませんが。心洗われる思いがします。(笑)
心根が美しい岩谷時子さんだから、この詩が書けた。
心根が美しい宮川泰さんだから、この曲が作れた。
心根が美しいザ・ピーナッツだから、この歌唱ができた。
この歌をレコードで出したキング・レコードも大したもんです。
流行歌ってもんじゃなく、昔の文部省唱歌のような人畜無害なイメージ。

ラジオ放送の時点で聴いていましたが、アレンジが斬新に変わりました。
イントロの弦楽器がリズミカルなカントリー風の弾き方で楽しくなった。
いかにも田舎へ帰ろうという感じが出るのですが和洋折衷で面白い。
それとピーナッツの歌声は低音部をしっかり伸ばすようになっていた。
太郎、太郎……と歌う箇所にはエコーが付くようになった。
これらの改善は著しく、オリジナルのラジオ用録音を完全に上回ってる。

ニッポン放送の「ザ・ピーナッツ」という番組は自分の歌を流しながら
お話をするのだが、ディスク・ジョッキー番組ではないのだ。
つまりレコードをかけるのではないのでテープ・ジョッキーなのである。
自己完結にするストイックさを意識しているのかもしれないな。
すべて番組用にシックスジョーズとザ・ピーナッツで録音しているのだ。
その後、流行して新しいアレンジのレコードが出ても旧録音で通してた。
それらが残っていれば面白いという面があるけど、出来としては未熟な
感じがするので、レコード化しなかった曲だけでいいかなあとも思う。

後年になると宮川さんも岩谷さんも大変な有名人にもなったので、この
曲のような全く世間の評判などというものを意識しない作品を作るのは
難しくなっただろうなと推察する。
しかし重鎮とか大御所のような大作家のイメージは終生漂わせなかった
お二人ならば、ニーズがあれば案外ホイホイと生み出したかもしれない。
作詞も作曲もお仕事の苦行というより、とても楽しんでいる感じだから。
色々汚いといわれる芸能界だが、サイダーの清涼味のような一曲である。

さて、このレコード盤には他と異なる特徴がありました。
それは、これです。


編曲者の名前は表示されたりされなかったりしますが、指揮者の名前は
歌謡曲の世界では普通は表示されません。これ、珍しいですよね。
このように書かなくても一般に編曲者が指揮を行うのが一般的だそう。
指揮をするといってもクラシック楽曲ではないので、主にタイミング、
テンポとバランスぐらいでしょう。打ち込み時代には不要なのかも
編曲をする方はいわば最後の仕上げを担当するので最終責任があります。
それでも指揮が苦手な方は「代振」というスタジオ指揮専門の人に頼む。


宮川先生の場合、指揮が嫌だとは考えられません(笑)からOK。

ところが、編曲/指揮もそうですが伴奏にも印税というのが入らない。
例外的に「恋のフーガ」では宮川さんにも印税収入がすぎやまさんの好意で
付与されているのだそうですが、あまり一般的ではない。
その代わりに、編曲/指揮には高額な一時金(日当)が支払われるらしく、
現金でポンなので、ついつい飲みに行ってしまうとか……
これは伴奏者も同じで、とても良い稼ぎになるのだそうです。
弦楽器奏者は特に高額らしいので、この曲などはコストがかかってます。

当時のキングレコードには専属の演奏者用のロッカーもあったそうです。
光文社ビルの7階がキングレコード音羽スタジオですが、このメンバーは
主に歌謡曲を主とするレコーディングオーケストラ名義の人達らしい。
なぜ光文社ビルにあったかというと、キングレコードの親会社の講談社が
戦後の戦争(戦意高揚)責任者対象になりそうだったので別会社を作って
いざとなれば、そっくり移籍しちゃおうというダミー会社だったから。
その後、光文社は私も愛読した雑誌「少年」などの出版で大成功します。
このレコードの録音時代は上記の音羽スタジオはまだ未完成で外録です。

ザ・ピーナッツのCDには録音場所まで記載されてるので面白いですね。
もうまるで録音の為の小旅行。ジプシー録音隊。
http://peanutsfan.net/StHiFi3705.html
このようなコンサート会場で演奏会があるのは夕方からなので、昼間は
格安で貸してくれたそうですが、時間の制限があるのでグズグズしてると
後の撤収が大忙しとなるのでハラハラすることもあったとか。

マルチトラック録音が出来る装置が登場する以前(昭和40年代以前)でも
伴奏と歌を別々に収録することは可能でした。
しかし、テープをダビングすることになるので、3デシベルほど音質劣化が
生じます。テープ固有の雑音が倍になるということ。
しかし、レコード盤での再生はテープのノイズよりも大きいのだからそれでも
いいじゃないか、という考え方もあったようですが、キングレコードの技師は
プロ意識から、そういうのはやりたくなかったのだと思います。
SPレコードならまだしもステレオLPならば一発録音しかないという信念。

このような不自由な思いをしながらの録音ですが、これが、これならの響きが
あって、私は好きです。
もちろん昭和39年に完成したキングレコードの音羽スタジオの録音ももっと
現代的で一般的に言われる音質の良さとしては、こちらの後年の録音の方が
優れていると思うのですが、この昭和30年代の録音もこれならではといった
素敵な空気感ともいうべき良さが確実にあると感じます。

さあ、どうだ、というような仰々しさは微塵もない素朴な曲ですが、今ではもう
あまり聴く事のないウッドベースの弾んだ音色に乗って軽快な気分になれます。
太郎さんもお爺ちゃんになっちゃったかもしれませんが、みんなで行こうよ。

(2015.08.13記)