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二人の高原    1962.10.20
   作詞:岩谷時子 
   作曲:宮川 泰
   編曲:宮川 泰
   演奏:シックス・ジョーズ・ウイズ・ストリングス
      バックコーラス:記載なし
    

   

一般知名度 私的愛好度 音楽的評価 音響的美感
★★ ★★★★★ ★★★★★ ★★★★★

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この歌は大好きです。大好き大好きってレコード随想の中で
定番で書いているじゃないか、と指摘されそうですが(笑)。
個人的にはベスト10には入るように思います。
二つ違いの妹は「二人の高原」と「明日になれば」が好きで、
我が娘は「恋のオフェリア」がお気に入り。
世間一般でのザ・ピーナッツの代表曲との違いが面白い。
ザ・ピーナッツ・ファンの投票で収録曲を決める企画での
CD「THE PEANUTS BEST 50-50」では「二人の高原」は
27番目の人気でした。ベスト50には入ったがちと低いか。

ここに興味深いショットがあります。

この写真は昭和38年6月23日(日)のザ・ピーナッツ後援会
新緑の集い(成子坂新宿会館)で「二人の高原」を歌って
いるシーンです。手に持っているムック本はこちら_
http://peanuts2.sakura.ne.jp/omotya/jounetu.html

なぜムック本を持っているのでしょうか?
実は、即興で客席からリクエストを受け付けたのです。
さすがに後援会の会員ですから普通の客層とは違っています。
「二人の高原」をという声があって客席全体からも支持多数。
そこで、ピーナッツ、宮川さん、松宮さんが急遽打ち合わせ。
伴奏は何とか出来るけど、歌詞を覚えていないのが問題。
ところが、参加したファンがサインを貰おうと持参した本の
記事に「二人の高原」の歌詞が載っていると手渡した……

私は歌詞が載っていても活字が小さく、ピーナッツさん達は
お二人とも視力0.2なので読めないだろうと思ったが……
いやいやこれがちゃんと歌ってしまったんですよ〜。
作ったご本人とはいえイントロも間奏も宮川先生のピアノで
カッコよくやっちゃいました。
譜面なしでシックスジョーズもバッチリ。魔法使い達だね。

この一事で次のことがわかります。
*ザ・ピーナッツはこの歌を既に主レパートリーにしていない。
*熱心なピーナッツ・ファンはこの歌が大好きだったのだ。
*ピーナッツは歌詞を忘れてもヒント程度の情報で思い出せる。
*演奏は譜面が無くともコード進行などの簡単な打合せで可能。

宮川さんは意外なリクエストで驚いたかもだが嬉しそうだった。
バンドメンバーも幸いレコーディングしたのと同じ楽団であり、
音楽的には脳内にちゃんと残っていたのでしょう。
でもリクエストにバッチリ応えたのは見事だと思いましたよ!
客席の拍手も本当の絶賛に近い気持が入ってて熱烈でした。

先日、BS朝日の番組、昭和偉人伝で岩谷時子・安井かずみの
放送があり、まあ、皆さんご存知の内容だったのですが……
ザ・ピーナッツ・ファンとしてはまた違う世界が見えてます。
テレビ番組では絶対に紹介されない。またこのネット情報が
溢れるなかでも殆ど触れられないのがニッポン放送の番組
「ザ・ピーナッツ」。これがサッパリ抜け落ちてるのです。
ここから二人の女流作詞家が羽ばたいた、その重要な視点です。

この番組が始まったのは昭和36年。その時点で岩谷時子さんは
東宝文芸部の社員兼越路吹雪さんの無給マネージャーで作詞家
としてはフリーで無名の新人同様。
同様にどのレコード会社にも所属していないいずみ・たく氏や
宮川泰さんといつどのように知り合ったのか不明なのですが、
ニッポン放送の番組でザ・ピーナッツのオリジナル曲を月一曲
作ろうという企画に参加してくれたのが作曲・作詞の新人同志が
育っていく場になったのはとても重要な道筋だった筈です。
そもそも昭和35年6月発売の「月影のナポリc/w白鳥の恋」が
両曲とも千家春(岩谷時子の別ペンネーム)である時点でご縁が
あったのでしょう。
A面の「手編みの靴下」での私の恩人ザ・ピーナッツもどうぞ。
http://peanutsfan.net/274.html

岩谷時子さんが忙しくなったせいのか「今月の歌」の作詞を
まだ暇だった(笑)安井かずみさんが引き継いでいます。
http://peanutsfan.net/KICS1408.html

安井かずみさんは先行した訳詞の仕事ではみナみカズみの名で
ザ・ピーナッツの「レモンのキッス」で縁が生まれています。
http://peanutsfan.net/EB7163.html

岩谷時子さんと安井かずみさんでおそらく60曲を半分づつ
作詞されたのであろうニッポン放送の帯番組ザ・ピーナッツ。
もしかすると我が国の歌謡界の大きな流れの源泉であったと
いう可能性があるのでは、と私は思う。
いやいや、二人の大女流作家にとってはゴミみたいな些事。
さあ、どっちでしょうか? あなたはどう思います?

以前、NHK-BS2「どれみふぁワンダーランド」という番組で
宮川彬良さんが「恋のフーガ」のシングル盤を譜面台に載せ、
すぎやまこういち、なかにし礼、宮川泰の大御所が組んで、
歌がザ・ピーナッツですよ。これでお値段が330円!
こんなお買い得なレコードはそうそうあるもんじゃない。
という冗談半分のトークをして笑わせていましたが、更に
B面「離れないで」も見れば興味深いことがわかります。
作詞・橋本淳、作曲・筒美京平、編曲・宮川泰という豪華さ。
昭和42年8月ではちっとも豪華じゃなく誰なの? なんですね。

ザ・ピーナッツというプロジェクトは新人の育成の場であり、
ここから巣立って行った方々が芸能音楽業界の柱になった。
音楽だけでなくファッション、振付、マネジメントなどなど、
多くの影響を与えたと推察します。

さて、もう一度「二人の高原」の話に戻ります。
ネットのブログを渡り歩いてみますと隠れ高原ファンが居ます。
このレコードが欲しくて長期間探し求めたが入手出来なかった。
LPにも収載されず、CD時代にドリームBOXが出てやっとこれで
聴けると思ったが、B面曲なので入っていなかった。
2004年のメモリーズ・BOXに至って2万円でようやく聴けた。
いやいや涙ぐましいですよ。わかるな〜ファンの鏡です。

この歌には変遷があり、今月の歌のメロディーとシングル盤は
違っています。更に主演映画「私と私」では文字通りに高原を
自転車で疾走しながらユミさんがソロで歌ってますが、これも
メロディーが違います。
メモリーズ・BOXのシネマ・トラックスに入っています。

もっともっと良くしようと改良を加えていったのでしょうね。

なお、別のネットブログで、CDはステレオ録音されているので、
後年に再録音されたと思われ、オリジナルのモノを聴きたい、と
いうコメントがあったが、ザ・ピーナッツは世間の常識を外れ、
最初からステレオ録音なのです。オリジナルですよ。

(2018.2.25記)